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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第四話 狂い桜
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02.花弁の残滓

 すでに暗くなりかけた道を、自宅に向かって急いでいた早見晃は、着信を告げる“トッカータとフーガ”が鳴り響いたのを聴き、大急ぎでジャケットの胸ポケットから携帯電話を取り出した。

 発信元を確認すると、和海からだった。

 いつものアルバイト先の女性だが、ここから電話が来るということは、超常現象の調査依頼が来たということを意味する。晃は心の準備をすると、電話に出た。

 「もしもし、晃くん」

 和海の声は、いつになく切迫しているように聞こえた。

 「小田切さん、また何かあったんですか?」

 問いかけた途端に、和海は思いもかけないことを言い出した。

 「村上さんが、おかしいの。仕事が終わって帰ったあと、しばらくして電話があって、様子がおかしいから所長と一緒に見に行ったら、自分の部屋の中で、茫然と座り込んでいて、変な気配が纏わりついた状態だった。何とか祓ったんだけど、元に戻らないの。何があったのか、全然わからなくて……」

 和海の声は、困惑を通り越して震えているようだった。

 「……村上さんの家からかけているんですか?」

 晃の問いかけに、和海はそうだと答えた。それを聞いた晃は、電話越しに“視て”みるといった。

 「遠隔透視は苦手なほうですが、電話を近づけてもらえれば、何かわかるかもしれません。これから向かうより、早いと思いますから」

 「わかったわ。お願いするわね」

 電話の向こうで多少の雑音が聞こえ、何らかの気配が近づく。晃は道路わきの邪魔にならないところで立ち止まると、ゆっくりと深呼吸して精神を研ぎ澄ます。

 電話を通して、何かが“視え”てきた。村上の姿が、脳裏にありありと浮かぶ。だらしなく座り込んで、呆けたような表情を浮かべている。

 その彼の肩に、淡い紅色のものが積もっているのが“視え”た。晃はそれが、桜の花びらだと見えた。明らかに、実体のあるものではない桜の花びらが、まるで花吹雪の中を歩いてきたように、いくつも折り重なっている。

 しばらくして、再び和海が電話口に出た。晃は和海に、“視えた”ことを告げた。

「小田切さん、村上さんの肩の上に、桜の花びらが“視え”ますが」

 「桜って……あの、桜なの?」

 「そうです。桜の花びらですよ。もちろん、実体のあるものではありません」

 電話の向こうが、一瞬沈黙した。雰囲気からして、再度霊視をしているようだ。

 「……確かに、桜ね」

 和海は、村上が電話口で告げた言葉を口にした。

 「村上さんはね、『桜が』って言っていたのよ。『桜が、桜が』って。それから、何か言っているみたいだったけど、聞き取れなくて、しばらくして切れたの」

 和海の言葉に、晃は考え込んだ。

 (あまりにも、漠然としすぎてるな。桜なんて、この日本に一体何本あると思うんだ)

 遼が話しかけてくる。晃の中にいて、超常の力を与えている幽霊にして、一番の親友である存在だった。

 (僕も、今の段階じゃどうしようもないと思う。もう少し、情報を集めないと。しかし、今回まさか村上さんが巻き込まれるなんて……)

 晃は大きく息を吐くと、漠然としすぎていると答えたあと、村上をいちおう病院に連れて行ったほうがいいのではないかといった。

 「一時のショックで、呆けているだけかもしれません。病院で診察してもらったほうが、いいですよ」

 「そうね。どちらにしろ、このまま放っては置けないわ。現場保存はしておくから、あとでこちらへ来て、確認してみてね。村上さんは、わたしと所長でこれから病院へ連れて行くから」

 「わかりました。あとで、診断結果は教えてください。明日、大学が終わったあとにでも、村上さんの部屋に行きますから」

 「それじゃ、お願い。なんなら、大学まで迎えにいってもいいわよ」

 「それは、勘弁してください。車だろうと電車だろうと、時間はたいして変わりませんよ。最寄り駅だけ教えてもらえれば、直接そっちへ行きますから」

 和海から、村上のアパートの最寄り駅を聞くと、晃は電話を切った。そして、歩きながら遼に話しかけてみる。

 (遼さん、どう思う。確かに桜なんて、日本全国数え切れないほどあるだろうけど、生きている人間に影響を及ぼせるほどの桜なら、それはある程度限定されてくると思う。多くの木が集まって、集団意識になっているか、何百年も生きている古木か、それくらいしかあり得ないからね)

 (確かにな。だからと言って、あの村上って男が、どういう形で何に影響されたのか、まだわからんけどな)

 晃は、自宅への道を急いだ。

 家に帰り着き、夕食を食べているときでも、晃は村上のことが気になっていた。電話越しではあったが霊視をし、様子を“視て”いるだけに、とても普通の状態とは思えなかった。呆けたようになっていたのが、一番気になる。

 晃は早々に夕食を終えると、食器を片付けて自分の部屋に戻ろうとした。それを母である智子が、横から攫うように集めると、流しへと持っていく。

 そして、呆れ顔で立っている晃に向かって、さらに言った。

 「ところで晃、前に運転免許を取りたいなんていっていたけれど、本当に車の免許なんか取るつもりなの? お前、自分が交通事故にあって、障害を負ったのよ。危ないとか、考えないの? 車が必要なら、タクシーを使えばいいじゃないの」

 晃は、大きく溜め息をつくと、たしなめるように口を開いた。

 「母さん、どこの世界に、成人した息子に向かって、危ないから車の免許は取らせないなんて言い出す親がいるのさ。実際僕は、運動能力試験で、免許取得に問題はないって判定もらってるし、母さんには言ってなかったけど、実はもう、障害の程度に対応した車がある教習所に通い始めてるんだ。今日だって、大学はもっと早く終わっていた。帰りがけに、教習所に寄っていたんだよ」

 智子が、目を剥いたのがわかった。晃は、母親が驚きで言葉に詰まっているうちに、さっさと階段をあがって自分の部屋へとはいった。階段の下からは、智子のややヒステリックになった声が聞こえたが、すべて無視した。

 (とうとうぶちまけたな。しかし、過保護だな。確かにお前、左腕をほとんど付け根から失くして義手をつけてるし、左眼も失くして義眼だし、左肺もやられていて普通の六割の肺活量しかないが、だからって息子の残された体の機能の可能性まで、全否定する勢いだもんな、お前のお袋)

 (だからいやなんだ。車の運転免許を取ろうと思ったのも、将来の自立に備えてだっていうのに。運動能力試験受ける前に、前ふり程度にちょっと話向けたら、途端に機嫌悪くなったから、前々から、こっそり申し込んで既成事実作ってから打ち明けようと黙ってたんだ。言えてせいせいした。まったく、呆れるよ、自分の親ながら)

 そのとき、再びガラケーが“トッカータとフーガ”を奏でる。晃は素早く手に取ると、電話に出た。

 「ああ、晃くん」

 和海の声だった。村上の診断結果が出たという。

 「……それがね、かなり厄介なことになって……」

 村上に下された診断、それは、重度の心因性の解離性健忘。わかりやすくいえば、記憶喪失に等しいという診断だった。

 「入院しなさいといわれて、急遽親御さんに連絡を取って、緊急入院することになってしまったの。自分の身の回りのことも、自分でほとんど出来ないような状態だから、どうしようもなかったんだけど」

 「そうですか……」

 思った以上に、重症だった。しかし、病院がいくら頑張っても、村上がどうしてそういう状態になったのか、おそらくは判断が出来ないだろう。

 「わかりました。あとで、村上さんに直接面会して、どうなっているのか、“視て”みます。霊感のないはずの村上さんに、なぜここまでのことが起こったのか、絶対に突き止めましょう。そうしないと、村上さんは治らないような気がするんです」

 電話の向こうの和海が、自分もそう思う、といった。

 「ところで、村上さんは、ここのところどういう行動を取っていたんですか。何か、桜がたくさん生えているところを通るとか、そういったことはありませんでしたか」

 晃の問いかけに、和海が溜め息をつく。

 「……村上さんが最近手がけていたのは、ストーカーの調査よ。クライアントの女性に付きまとっていた男の正体を突き止め、クライアントに報告して、今後の対処の方法を検討する、っていうあたりまで進んでいたはず」

 「それで、クライアントや相手の男の行動範囲に、桜はありましたか」

 「……村上さんの話を聞く限り、一本二本なら見かけたことがなくもない、くらいの感じだったみたい。それこそ、植えられたばかりの細い桜だったらしいけど」

 それでは、まず間違いなく違う。そんな細い桜に、それだけの霊力が宿るはずがない。

 「その桜は、無視して差し支えないでしょう。これだけのことが出来るのは、数十本まとまって集合意識となった樹齢数十年の桜か、樹齢数百年の古木。村上さんが、最近そういうものに接触したことがないのなら、見当がつきませんね」

 「そうでしょうねえ」

 とにかく、明日は大学の講義が終わり次第、まず入院中の村上の見舞いをし、彼のアパートを訪ねるということを確認し、電話は切れた。

 晃は頭の中で、明日の講義の時間割のことを考えた。そういえば、明日の最終は確か英語だった。第一外国語だが、一回くらいなら飛ばしても何とかなるだろう。

 (遂にお前も、勉強よりアルバイトを優先する時が来たか)

 遼が、妙に感慨深そうに話しかけてくる。

 (冗談でも、人聞きの悪いこと言わないでよ。被害者が村上さんで、それもいつになく重篤な状態だから、より緊急性の高いほうを優先するんじゃないか)

 (冗談とわかっている言い方に、理屈をごねるのはよせ。助けたいから、だろ。あの男のこと、いい人だと思っているからだろ。自分の身の上話を聞いてもらって、どこか心を許していたからだろ)

 (……遼さん)

 晃は、痛いところを突かれたと思った。そう、素直に“助けたい”といえばよかったのだ。知り合いである村上を、絶対に助けたいのだ、と。

 晃は、明日の早退の言い訳を考え始めた。


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