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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第四話 狂い桜
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01.プロローグ

本日から、第四話の投稿を始めます。

実は、書いたのはだいぶ前なのですが、偶然にも話の内容は「桜」。

そして、書き溜めていた話も、この話で終わり。

第四話が終わったら、いよいよ書き下ろしか……

 ふと、桜の香りを感じたような気がした。桜に香りなどあった記憶はないが、それでもそれを、桜だと感じた。

 村上琢己は、周囲を見回した。辺りは夕闇に包まれようとする住宅街の一角。沈む夕日の最後の残光が、辺りを朱に染めていた。見れば、桜の木など、一本もない。

 第一、このあたりの桜は皆、もう葉桜だ。世間では、あと十日あまりで始まるゴールデンウィークの予定の話などが出ている。

 桜の香りなど気のせいだし、ゴールデンウィークなど自分には関係ない、と村上は思った。小さな個人の探偵事務所に勤めている自分には、大型連休など関係がない。

 シフト制で何とか休みは取れるが、ときに潜入調査ということで、素行調査のターゲットが勤めている会社に、派遣社員を装って数ヶ月働いたり、一週間ぶっ続けでターゲットに張り付いたり、ということを当たり前にやる仕事だ。

 本当の意味で、長期の休みなど取れたためしはない。旅行でも、一泊二日が関の山だ。

 今日は、久しぶりに割と早く仕事が終わったので、まだ明るさが残るうちに帰宅の途につけた。

 途中で一杯飲むことも考えたが、安月給で、給料日にはまだ間がある。途中のコンビニに寄って缶入りのカクテルを買い、自宅のアパートへの道を急いだ。

 道を歩きながらも、村上は、不思議な違和感を覚える自分に戸惑っていた。自分の傍に、誰かがいるような気がする。

 もちろん、気のせいだとは思っているが、気のせいにしては、いやに長い間感じているような気がしていた。気配を感じるようになったのは、昨日今日の話ではなかったからだ。

 時折感じる、この気配ともいえない気配は、いつ頃から感じるようになったのだろう。懸命に思い出してみるが、判然としない。

 しかし、何かあれば、所長の結城孝弘や、秘書兼総務&経理の小田切和海が何か指摘するだろう、と村上は考えた。

 最近知ったことだが、この二人は霊能力を持っていて、探偵事務所自体が、裏仕事として超常現象の調査を行っているという。ならば、自分の身に変なことが起こっているなら、毎日のように顔を合わせる二人が指摘しないはずがない。

 確かに、仕事で事務所に詰めているときは、その気配を感じたことはなかった。でも、“霊感”のない自分が感じなくても、霊能者は感じるはずだろう。

 村上は、先ほど感じた桜の香りも、きっと気のせいだと自分に言い聞かせ、自宅アパートの前に立った。

 築十年ほどの二階建て木造アパートは、ごくごく当たり前に住宅地に馴染んでいる。

 「……ここに引っ越してから、もうすぐ二年になるな」

 前に勤めていた商社を、飛び出すようにして半年で辞め、親戚でもある結城の事務所に勤めるようになってから、このアパートに越してきた。

 外階段を昇って二階へ上がると、自室のドアの鍵を開け、中に入る。

 短期間で探した割には、いい物件だったと今でも思える、お気に入りの部屋を借りられた。ちょうど角部屋で、南側と東側に窓がある絶好の間取り。小さいけれど、キッチンとトイレ、ユニットバスがついていて、洗濯機を置くスペースまであった。

 もっとも、そこは風呂場の脱衣所と洗面所を兼ねた空間だったが。

 上着を脱いで、鴨居に引っ掛けてあるハンガーにかけ、コンビニ袋からカクテルの缶を出すと、一旦冷蔵庫に仕舞い、最近買い換えた全自動洗濯乾燥機に、脱いだワイシャツや靴下、ハンカチなどを放り込み、洗剤と柔軟材をセットしてスイッチを入れ、自分はジャージに着替えて居間のテーブルに座る。

 「……飯、どうしようかな」

 これでも、ひとり暮らしはそれなりにしているので、簡単な料理ぐらいは作って食べるが、面倒くさいとインスタント食品で済ませることも多い。

 一応作ろうか、せっかく早めに帰ってこられたのだし、と腰を浮かせた途端、一瞬目の前が薄紅色に染まった。桜吹雪が舞ったのかと思った。

 村上は、中腰のまま目をこすり、何度も瞬きした。その色が見えたのは本当に一瞬で、今見えるものはいつもの自分の部屋だ。

 「……なんだったんだ、今のは」

 部屋の中を見渡してみても、特に変わった様子はない。

 「疲れているのかな、オレ」

 村上は改めて立ち上がると、大きく溜め息をついた。そのとき、視界の片隅に、何か白っぽい小さなものが、ちらりと動くのが目に入った。

 はっとそちらを見ると、先ほどまでは何もなかったテーブルの端に、親指の爪ほどの大きさのものが落ちている。よく見ると、花びらだった。

 恐る恐る手にとって、掌の上に乗せてみる。間違いなく、桜の花びらだった。

 何故桜の花びらが、それも一枚だけ、こんなところにあるのだろう。どこか、桜の咲いているところを、通って帰ってきただろうか。

 村上は、今日の帰り道のことを思い浮かべた。花が咲いている桜どころか、葉桜の下さえ通ってはいない。

 「事務所の行き帰りには、桜見物が出来るところはなかったよな……」

 村上は、困惑して天井を仰いだ。生まれてこの方、不可思議な出来事に出くわしたことはなかったが、今回、初めてよくわからない出来事に出会った気がした。

 そのとき、また桜の香りがした。今度こそ、気のせいではない。桜の花に全身を包まれたかと思うほどの生々しい香りだった。

 「なんで、桜……」

 村上の脳裏に、何故か桜の巨木が浮かんだ。樹齢数百年と思われる、薄紅色の満開の枝垂桜。まるで花の重みで枝が垂れ下がっていると思われるほど、爛漫と咲き誇っている。周囲には何も見えず、ただ桜だけが夜のライトアップのように、鮮やかに浮かび上がっていた。

 桜の幻想を、何とか振り払おうとした村上だったが、目を閉じれば現実の存在のように迫ってきて、目を開けても、実際の光景に重なるように桜が見える。

 自分の身に何が起こったのか、村上にはわからなかった。ただ、不安とも恐怖ともつかないものが、心の奥から湧き上がってくる。

 村上は、無我夢中でスマホを手に取ると、自分の勤め先である結城探偵事務所の番号登録を押していた。

 呼び出し音が、異様に長く感じる。桜が目の前に迫ってくる。掌が汗でびっしょりになり、急に喉が渇いてくる。

 「はい、結城探偵事務所です」

 聞き慣れた、小田切和海の声が聞こえた。

 「和海さん、桜が、桜が……」

 「え、何、村上さんなの。桜がどうしたって言うのよ」

 電話の向こうの和海の声が、明らかに困惑している。けれど村上は、それ以上の声が出なかった。何とか、息だけの言葉を振り絞り、“助けて”と告げたつもりだったが、それが聞こえたかはわからない。電話からの和海の声も、急に遠ざかっていく。

 目の前が暗くなり、あたりの様子が見えなくなる。それに比例して、枝垂桜が鮮やかに闇の中に浮かび上がる。

 (……るさん……)

 誰かが、何か言ったような気がする。それが和海の声なのか、それとも違う誰かなのか、村上にはわからなかった。

 何故、こんなことになるのだろう。今まで、こんなわけのわからない目に遭ったことはなかったのに。逃げ出したいのに、足がすくんで動かない。

 どうして、どうして……

 闇の中で、圧倒的な存在感で現れる枝垂桜が、自分を包み込んだような気がした……


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