29.御魂送り
それを結城に渡したところで、晃はぼそりと言った。
「所長、“この中では”車の運転が出来るのは所長だけですが……今、免許証不携帯、ですよね?」
「この際、仕方あるまい。ばれなければいいんだ」
苦笑気味に答える結城に、法引も苦笑する。
「……元警察官の言葉とも思えませんな」
結城はますます苦笑したが、とにかくドアを開け、後部座席に法引を座らせると、その隣に晃が陣取る。
結城は、戸惑ったままの“竹内サワ”を助手席に座らせると、シートベルトを締めてやり、自分は運転席に座ってシートベルトを締め、エンジンを掛けた。
「これから、街へ戻りますから、よく見ていてください」
結城はそう言うと、晃に手伝ってもらいながらカーナビに入力を済ませ、車を発進させた。ヘッドライトの明かりが、闇を照らし出す。
結城の運転で、車は来た道を戻り始めた。その間、サワは驚きに目を見開いたまま、次々に目の前で起こる出来事を、ただ見ているだけだった。カーナビが音声案内をするだけで、肩がひくりと動く。
「違うでしょう。これが、現実です。あなたが見ていた光景は、あなたを縛っていた呪術が見せていたもの。自分で自分の心を呪縛していたんですよ」
晃が優しい口調で語りかけると、サワは言葉もなく晃に視線を走らせ、溜め息をついて再び前方を向いた。
高速を抜け、市街地に戻ると、結城は繁華街に向けてハンドルを切った。
正月二日の夜であっても、あたりは賑やかだった。元日でも開いている店さえある昨今、街は初売りの活気に満ちていた。
その町の様子を呆然と眺めていたサワは、不意に一粒に涙を流した。
「……違う。何もかも違う。あたし、本当に、全然違うところに居たんだ……」
「納得しましたかな」
法引の言葉に、サワはうなずいた。けれど、納得しても自力で成仏出来る状態ではないことを、皆悟った。
御霊送りの儀式をして、この世から送り出す必要があるほど、呪術による呪縛はサワの魂を深く人形に結び付けてしまっていた。
「それでは、わたくしの寺に参りましょう」
法引の提案に、結城は改めてカーナビに住所を入力し直し、今度は妙昌寺へとハンドルを切った。
繁華街から住宅地へと、景色が移り変わっても、車窓に映るものは竹内サワの知っている町並みとはまるで違っている。見るほどに それを確認することになるサワは、次第にうつむき、黙りこくってしまった。
それに気がついた晃が、右手を伸ばして彼女の肩にそっと触れる。サワは、左手を晃の手の上に重ね、つぶやいた。
「……ありがとう。優しい人……」
「あなたが安らかに眠れることを、祈っています」
やがて、妙昌寺の門が見えてくる。結城は門の中に乗り入れ、駐車場に車を止めると、まず自分が外に出、今度はサワをエスコートして車から降ろす。その間、晃と法引は自分たちで車から降りていた。
サワを本堂へと連れて行きながら、結城は微苦笑を続けていた。
「体は小田切くんだからな、どうも妙な感じがして仕方がない」
「ここはもう、我慢するしかないでしょう。もうすぐ、わたくしがきちんと引導を渡しますゆえ」
結城の後ろにつきながら、法引が応える。晃が、その傍らでうなずいた。
本堂に上がると、今度は法引が本尊の前まで連れて行き、本尊から見て下手に当たる位置に座らせると、彼女のすぐ前に人形を置き、正面に向かい合うように座った。結城はサワの後ろに座り、晃は法引のすぐそばに座った。
晃は気がついていた。法引の消耗が、思いのほか、激しいことに。それで、万が一のときに助けられるよう、そばに座ったのだ。
結城も、法引の顔色を見てそのことに気づき、晃に目配せする。晃はうなずいた。
そうして、法引の読経が始まる。始まってすぐに、晃はそっと右腕を伸ばし、法引の背中に掌を当て、“気”を送った。読経の声を聞いて、そうしたほうがいいと直感したからだ。
晃の力添えもあって、読経の声は張りを増し、本堂に朗々と響き渡る。
やがて、今まで完全に和海の体に入り込んで見えなかった竹内サワの姿が、二重写しになって現れた。そして、和海の体から立ち上がると、一歩前に出て人形の傍らに立った。
サワが、晃のほうを見る。晃が静かに微笑むと、彼女は合掌をし、目を閉じた。いつしかその姿は、かすかな金色の光を帯び、眠っている幼子のような顔になる。
金色の光が徐々に薄れていくにつれ、サワの姿も薄くなり、やがて何も見えなくなった。
法引が読経を終え、大きく息をつく。直後に和海が口を開いた。
「……寂しかったのね、彼女。信じた人に裏切られて、心にぽっかり穴が開いたまま、それを埋められなかったんだわ。最後の最後に、晃くんがほんのちょっぴり埋めてくれたみたいだけど」
それを聞いた法引も結城も、なるほどとばかり納得の表情を浮かべる。
「その心の穴が、あの娘の最後の執着だったのかも知れません。それが少しでも埋められたので、成仏する気になったのでしょうな」
法引の言葉に、結城もそうだとばかりにうなずく。
「早見くんの力だな。さすがだ」
皆の言葉を聞いて、晃ひとりが、戸惑ったまま顔をこわばらせた。
(このポンコツ。鈍感。お前、ほんとに“天然”だな。狙ってやってるわけじゃないから、しょうがないといえばしょうがないんだが)
(え、僕が、何かしたっけ?)
(……お前なあ。これが意図的に出来たら、お前絶対彼女に不自由しないぞ。“天然”だから、無理だけどな)
(“天然”って……)
(わからないならわからないでいい。あとでじっくり説明してやるから)
晃が“遼の声”に耳を傾けていると、結城が立ち上がったので、晃も意識を戻した。
「所長、ご家族に連絡を取ったほうがいいですよ。スマホは、持っているはずです」
立ち上がりながら、和海が結城に声を掛ける。
言われた結城は、慌てて自分の体をあちこち捜し、スウェットのポケットからスマホを引っ張り出した。
自宅に電話し、照れくさそうに自分の妻と話をする結城の姿を横目に見ながら、和海はふと疑問が湧いたらしく、晃に問いかける。
「ねえ、所長のスマホ、電源を切っていたわけでもなさそうだったけど、やっぱり電波が通じない場所だったのかしら、あのお寺?」
「いや、そうでもありませんでしたよ。高台にあって、電波が通じないのはおかしいですしね。あのスマホが通じなかったのは、呪術の中心の、結界に近い力場の中にいたからだと思います。あれは、僕らの能力から所長の居場所を突き止められないようにするために、張ってあったもので、それが、電子機器であるスマホにも影響したんじゃないかと思うんですよ。そうでなかったら、僕が電話を掛けたとき、最後に妙な気配を感じるはずはなかったんですから。あれは、一瞬通じていたんだと思います」
結城が通話を終えるのを見計らって、晃と和海は法引に別れの挨拶をした。
「和尚さん、今回は、厄介ごとに巻き込んで、申し訳ありませんでしたね。ゆっくり休んでください。のちほど、謝礼はお持ちしますから」
「和尚さん、僕は今回、あなたという人と知り合えて、本当によかったと思っています。これからも、時々遊びに来るつもりです。そのときは、よろしくお願いします」
法引は、二人に向かってにこやかに微笑むと、自分の体のことは気にしないようにと言い、結城を含めた三人を、本堂の外へと見送った。
そして、晃ひとりを呼び止め、そっと耳打ちする。
「あなたは、自分の本当の姿を知られることを極端に恐れておるようですが、あのお二人ならば、きっと受け入れてくれるはずです。急には無理でしょうが、このまま互いの信頼を深めていけば、いつか、その日はやってくることでしょう」
「……和尚さん」
晃はしばし言葉を失い、法引を見つめていたが、やがて静かに深々と一礼した。
そして、法引に見送られた三人は、再びグレーのセダンに乗ると、結城の家に向かって走り出した。
「そういや、今何時だ」
先程とは逆に、助手席に座った結城が尋ねると、後部座席の晃が答えを返す。
「今、七時四十分くらいですね。所長の家を出たときは、まだ明るさが残っていましたから、なんだかんだで四時間以上経っていることになりますね」
それを聞き、結城が大きく溜め息をつく。
「なんだか、気が抜けたら腹減ったな」
「奥さんに、お雑煮でも作ってもらってください。もうすぐ自宅に着きますから」
ハンドルを握る和海が、呆れたような声を出す。
三人を乗せたセダンは、夜の住宅地へと消えていった。