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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第三話 霊人形
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27.呪術

 三人は気を引き締め、懐中電灯で直接照らさないようにして、静かに庫裏へと歩み寄った。と、今まで真っ暗だった庫裏の中に、突然ぼんやりと明かりが灯る。揺らめくその明かりは、明らかに炎の灯りだ。ちょうど、蝋燭が灯ったら、こんな感じになるのではないか。

 「まるで、僕たちが来たことをわかっていて、明かりをつけたみたいですね」

 晃が真顔でつぶやく。和海は顔をこわばらせ、法引も表情を硬くする。

 それでも、晃を先頭にして、三人は庫裏の入り口までやってきた。屋根の形が崩れた庫裏の入り口は、半ば戸が外れ、はまったガラスにまともなものは一枚もなく、すべてひびが入り、割れ落ちている。

 外れかけた戸は、体を横にしてかろうじてすり抜けられる程度に開いていた。まるで、誘われているように感じ、三人はかえって足を止めた。

 互いに顔を見合わせ、晃が懐中電灯で、戸の隙間から中を照らしてみる。入ってすぐは土間になっていて、奥にはひび割れたかまどが見えた。

 全体に、埃だらけで蜘蛛の巣が張っている状態だが、一部不自然に埃がなくなっているところがあり、誰かがつい最近ここに入ったことをうかがわせた。

 しかし、中から漏れてくる気配は、異様だった。どこかひやりとした霊気が、纏わりついてくる。その感触が、無数の糸が生き物のように体を這い上がってくるかのように感じられた。

 決して呪術そのものではないが、それを髣髴(ほうふつ)とさせる何かがある。

 「入りますよ。いいですね」

 いったん後ろを振り返った晃は、それだけ言うと懐中電灯を戸の隙間に差し込んで押し広げると、体を斜めにして中に入った。その途端、あの違和感が襲ってくる。

 晃に続いて入ってきた和海も法引も、その強烈な気配に顔をしかめた。

 「……でも、何故所長だったのかしら。わたしや晃くんのほうが、どう考えても能力は上なのに」

 和海の疑問に、法引が答える。

 「相性の問題でしょう。あなたや早見さんとは、持っている“力”の属性があまり合わなかった。結城さんのほうが、相性がよかったのでしょうな。早見さんに何度も接触を試みたのは、たとえ属性が合わなくとも、その強力な“力”に魅力を感じたためと思われます。そのたびに跳ね返され、結局一番相性がよく、抵抗力がなかった結城さんを媒体に選んだのでしょうな」

 「要するに、相手も妥協したわけですね」

 和海がわずかに苦笑する。

 「それだけ、気がせいていたんでしょうね。せっかく媒体に出来ると思っていた人間、笙子さんは、呪術との相性が合わなくて、完全には支配下に置くことは出来なかった。次の梨枝子さんに移り変わるまで、二十数年かかった。その歳月は、本人も自覚しているはずです。そして、梨枝子さんは、呪術との相性はよかったものの、媒体とするには能力が不足していた。そこへ、僕たちが介入してきたんです。そこそこ能力があって、相性のいい人間がいれば、媒体に選ぶでしょう」

 晃の推測に、和海も納得した。晃は、さらに言葉を続ける。

 「竹内サワは、自分が死んで二十数年しか経っていないと思っている。だから、復讐が間に合うと思っているし、死に物狂いで実行しようと考えているんです」

 そして、二十数年という歳月の自覚はあるので、その間に寺が朽ちても、それは不思議ではないと考えている。だから、彼女の中で、歳月のずれは矛盾を起こさないのだ。

 「目覚めさせてやることが、一番穏便に解決出来る道ですが、僕が識域下で接触したときも、心は頑なでしたからね。自分で自分に掛けた呪術に、逆に心が縛られているのだと思えるんですが」

 言いながら晃は、破れた障子の向こうに朧に映る蝋燭の茫洋とした光を見つめた。破れ障子の向こうには、もうひとつ同じような破れ障子があり、それぞれの破れがうまく重なり合って、奥が見えなくなっている。

 しかし、気配は間違いなくその奥から漂っていた。晃は意を決し、障子を開けると、土足のまま中に踏み込んだ。雨漏りで腐った畳の、()えた臭いが鼻をつく。四畳半ほどの部屋の奥の破れ障子の向こうに、はっきりと蝋燭の光が見えた。

 「行きます」

 後ろに続く二人に、振り返らずにそう言うと、晃は最後の障子を開け放つ。

 刹那、三人は息を飲んだ。ありえない空間が広がっていた。

 そこは、闇だった。その闇の中に、たったひとつだけ、巨大な燭台に掲げられた人間と変わらない大きさの蝋燭が、赤味がかった金色の炎をともしていた。

 人形の姿も、結城の姿も見えない。それどころか、闇は視界の遥か彼方まで広がり、どれほど広がっているのか、見当がつかないほどだった。

 「呪術で創られた異空間……なのかしら」

 和海が、かすれ声を出した。

 「……いや、わたくしも、このようなものは、初めて見ました」

 法引も、困惑を隠せない。そのときだった。

 「騙されちゃいけない! これは、幻覚です!」

 晃は叫ぶなり、部屋に踏み込んで何かに摑みかかった。一瞬にして、虚無の彼方まで続いていたかと思えた闇は消えうせ、腐りかかった畳が立てかけられた崩れた土壁に囲まれた、八畳ほどの部屋が現れる。

 そのほぼ中央部で、結城と晃が揉み合っていた。二人の間には、あの人形があった。蝋燭は、当たり前の大きさのものが部屋の四隅の燭台の上でともされている。

 次の瞬間、体力に勝る結城が、晃を突き飛ばした。晃の体は苦もなく飛ばされ、まともにひっくり返って、床で背中を強打する。

 和海が晃の元に駆け寄ったときには、法引が結城とそれを操る人形に対峙していた。

 家族から、着て出ていったと聞かされたスウェットの上下にジャンパー、サンダル姿の結城の足元には、床板の上になにやら文様とも図形とも文字とも見えるものが描かれた紙が敷かれており、それはいつか鑑定してもらった呪符と同じ系統に属するものであるとすぐにわかった。

 法引を見る結城に、表情はない。代わりに、その腕に抱かれた人形は、最前あれほど揉み合ったにもかかわらず、髪にも着物にも一切乱れはない。

 蝋燭の明かりに照らされた人形は、とても人形とは思えない気配を漂わせていた。黒髪は赤味を帯びた光を放っているように見え、肌は人間の、それも若い女の艶かしさを宿し、その瞳は明らかに意思を持った光で、法引を見つめていた。

 「お前はいつまで迷っているつもりだ。もはや、時は流れた。今はもう、復讐などという愚かなことはやめ、成仏しなされ」

 法引は、懐中電灯を手放し、数珠を手にして錫丈を鳴らした。そのまま読経を始めた法引に対し、笑みの形に結ばれていたはずの人形の紅の唇が、うごめいたように見えた。

 「アタシノ邪魔ハ、誰ニモサセナイ」

 はっきりとした、声が聞こえた。それは、人形から聞こえてきたわけではなかった。結城の口を通じて、若い女の声が紡ぎ出されてきたのだ。

 「……今は、所長のほうが人形です。よく見てください。まるで、蜘蛛の糸に絡め取られたみたいですよ」

 何とか立ち上がった晃が、傍らの和海に話しかける。和海も“視て”みると、今の結城は本当に蜘蛛の糸にがんじがらめにされた虫のようだ。あの“糸”を、結城に跳ね返らないように切らないと、結城を開放することは出来ない。

 「さっき、何とか人形を引き離そうとしたんですが、所長ががっちりと抱えていて、僕の力では体力的に無理でした。せめて物理的に引き離そうと思ったんですけど……」

 背中の痛みに顔をしかめながら、晃は人形を見つめた。

 「どうしよう。和尚さんが、どこまであの“糸”をうまく切れるか、なんだけど……」

 和海も、不安そうに法引の様子を見ている。

 法引の、読経の声が一層大きくなり、錫丈を打ち鳴らす音が、蝋燭の炎を揺らさんばかりに響く。

 やがて、結城の顔が、微妙に歪み始める。

 法引の読経が、“御仏の御力”を呼び、あたりに清らかな力が満ち始めた。その力が、結城と人形を取り巻いていく。蝋燭に照らされた結城の顔が、明らかに苦痛に満ちた表情になった。

 次第に、人形と結城をつないでいる“糸”が、青白く浮かび上がってくる。法引が、晃に視線を送った。その額には、いつの間にか玉のような汗が浮かんでいる。法引が、その法力を持って、ひとまず結城を抑えているのだ。

 晃はうなずくと、結城の元に近づいた。そして、結城の腕から右腕一本で人形を抱きとると、今度は和海に向かって言った。

 「僕が、このままここを離れて人形と所長を引き離します。小田切さんは、和尚さんを助けて、呪術の“糸”をはずしてください。切るんじゃなくて、はずすんです。人形のほうは、僕が何とかします」

 人形の代わりに結城が唸り声を上げ、晃の腕から人形を奪い取ろうとする。だが、法引の読経が声量を増すと、結城の動きは止まった。

 「早く。和尚さんの力も、長くは持ちません」

 晃自身、全身が総毛立つような、相反する力の拒絶反応のようなものと戦いながら、和海に呼びかけると、そのまま部屋を飛び出した。

 「晃くん、懐中電灯!」

 晃が、懐中電灯を取り落としたのを見て和海が叫ぶが、晃はたちまち闇に消えた。

 和海はどうしようもなく、今度は結城のほうに向き直る。結城に近づくと、まず深呼吸をして精神統一を図ると、手を伸ばして結城の体にかかった“糸”を、念を込めながらそっとはずしにかかった。


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