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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第三話 霊人形
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25.哀歌

 三人が、和海の車で結城の家を出たのは、あたりが夕暮れ間近の朱赤に染まる頃だった。晃が目覚めるのに、それだけの時間がかかってしまったせいだ。

 「すみません、自分でも、ここまで寝てしまうとは、思いませんでした」

 晃は、先程寄ったコンビニで買ったビスケット状のバランス栄養食を齧りながら、しきりと謝った。けれど和海は、首を横に振る。

 「仕方ないわよ。これだけの時間で、ここまで回復したのが、嘘みたいだもの。ほんとに超人的ね」

 晃の顔色は、かなりよくなっていた。今ではかえって、法引のほうが悪いくらいだ。法引の言う“御仏の御加護”による“気”の回復は、実は他人に対してしか使えないとのことで、法引自身は自然に回復するのを待つしかないという。

 (俺が何とかしてるから、“気”の回復が早いんだが、お前あんまり無理するなよ。普通のやつだったら、あれだけ消耗したら、丸一日は動けんぞ)

 (わかってる。相手に、極力僕の本当の力を悟らせないようにして接触したから、余計に消耗したんだよ。これで、相手と直接対峙したとき、こっちがアドバンテージを取れる可能性が出てきた)

 (だが、今度は厄介な人が媒体になってるからな。気をつけろよ)

 (所長だね。何とかするさ)

 問題の寺に行く途中、晃は人形に接触したときの様子を、詳しく話した。

 識域下で、人形は今度は成人女性と変わらぬ大きさになって、自分と対峙してきたという。その姿は、人形というよりは、その中にいる竹内サワその人のように思えた。

 黒髪は、血を浴びたかのごとくぬめるように赤く光り、白い肌は艶のない胡粉の白ではなく、血の気の失せた人間の肌のように見える。その中で、紅を差してある唇だけが、鮮血を塗ったように紅く浮かび上がっていた。何よりその瞳が、人間そのものだった。

「人形は、いや、竹内サワは、僕に向かって『邪魔をするな』と言ってきました。所長ほどの能力があれば、ひとまず自分の目的は達せられると考えたんでしょう」

 晃がそこまで言うと、和海が問い掛けてきた。

 「その、竹内サワの目的って、何」

 「復讐です」

 その一言に、車内の空気が急に張り詰めたものになった。

 「彼女は、竹内サワは、自分をここまで追い詰めたものに対して、復讐しようとしていたんです。ただ……」

 「ただ、何よ。何かあるの? 復讐しようというんでしょう、所長の力を利用して。物凄く厄介な相手に対して、復讐しようと考えているの?」

 和海がさらに問いかけると、晃はかぶりを振った。

 「……彼女は、竹内サワは、時代が変わったことを認識出来ていないんです。彼女の中では、時間が止まってしまっていたんですよ」

 「どういうこと?」

 「竹内サワの中の時間は、自分の心を人形に封じ込めてから、つい二十数年前まで、止まっていたんですよ。だから彼女は、復讐相手がまだ元気で生きていると思い込んでいるんです。実際は、生きている可能性はまずないんですが。その当時産まれた赤ちゃんが、今ではおそらく百歳の大台に余裕でのっているだろう年齢になっているはずですから」

 竹内サワは、ある男に恋をした。男も自分を好いてくれていると信じ、身も心も捧げた。だが、男は彼女の出自に気づき、彼女を捨て去って大きな商家の娘の婿養子となった。

 彼女は裏切られた悲しみと怒り、憤りに狂乱し、遂には重い病に倒れた。そして、引き取られた尼寺で、その短い一生を終えた。享年はわずか二十一歳。

 そのとき竹内サワは、最後に自分の出自の力を最大限に利用した。彼女の一族は、代々呪術を伝える一族だったため、サワも呪術を幼いときから習い覚えていた。

 山を降りて都会へ出たとき、その力を封印したサワだったが、自分の命が残り少ないことを悟って、秘儀を使って人形に自分の心を封じ、復讐を決意する。

 自分を棄てた男、その男を受け入れた女、それを許した社会のすべてに……

 「……ですが、彼女の肉体の死後、大きな誤算が生じました。彼女の形見となった人形に対し、尼僧たちが熱心に月命日の供養をし続けていたため、人形の中の竹内サワの心は、半ば封じられたようになり、いわば眠ったまま数十年のときを過ごしてしまいました。今から二十数年前に、最後の住職が入院するまで」

 その後、住職は亡くなり、管理するものがいなくなった寺から、何者かによって人形は持ち出された。今となっては、それが誰かはもうわからない。

 寺の敷地の外に出て、そこで初めてサワの意識は完全に甦り、売られた骨董屋の店先で、復讐に必要な呪術の媒体となる人間を待ち続けていたという。

 「なるほど、やっと話が見えましたな。ところで、その人形と、竹内サワという人との繋がりは、どういうものなのですかな」

 今まで話を聞いていた法引が、晃に向かって尋ねた。

 「それは、皮肉なことに、恋した相手から贈られたもの。一番幸せだった頃の、恋の形見です……」

 車内に、やりきれなさが満ちた。

 「……でも、彼女、現代の風景を見ているんでしょう。時代が変わったことに、気づかないなんてことがあるの?」

 和海の疑問はもっともだった。晃はうなずき、話を続けた。

 「竹内サワは、“本当のことが見えていない”んです。呪術の副作用とでも言うんですかね、彼女の目に映る情景は、自分が生きていた時代のものにすり替わって映っているんです。道を走る車も、歩く人も、皆彼女の時代のものの幻をかぶって、その瞳に映っているんですよ」

 「ということは、その娘に現実を認識させ、復讐を諦めさせることが出来れば、一番穏便に全てが片付くというわけですな」

 法引の言葉に、晃はうなずいた。

 「ただ、それはかなりの困難が予想されます。彼女が自分自身に掛けた呪術を、破らなければなりませんから」

 話をするうち、外は次第に暗くなってきた。カーナビにしたがって高速に乗り、それを降りても、晃が告げた住所を打ち込んだカーナビはまだ終了を告げない。それどころか、人家もまばらな郊外へと、車を導いていく。

 「ねえ、晃くん。本当にあの住所で合ってるの? なんか変なところへ向かっているみたいだけど。人家がだんだん少なくなってきてるわよ」

 和海が、不安げに前方を見つめる。すでに完全に日は暮れ、車のライト以外では、思い出したように近づいては遠ざかる街灯と、時折灯る人家の明かりしか見えない。

 カーナビの合成音声が、指示を続ける。

 いつの間にか、小高いところへ上ってきていた。あたりは木がうっそうと生い茂り、昼間でも暗いだろうと思われる状態で、今ではすべてが闇に閉ざされている。

 カーブのところに来るたびに、車のライトに照らされた、ほとんど人の手がはいっていない荒れた里山の風景が一瞬浮かび上がった。

 「そのうち、舗装道路終わってしまったりしてね」

 和海が、冗談ともつかないことを口にする。誰も笑えなかった。

 そのとき、カーナビが目的地が近いことを告げた。

 「……こんな山の中に、お寺なんかあるのかしら」

 和海がつぶやいた途端、ヘッドライトの光の中に、崩れかけた白壁が見えてくる。

 「ここで、間違いありませんかな、早見さん」

 法引の問いかけに、晃はうなずいた。晃自身の直感が告げていた。この白壁の向こうに、自分が“視た”光景がある。

 やがて、白壁が奥へ引っ込み、今まで走ってきた道から分岐する道が見えた。和海は、そちらへハンドルを切る。直後に、カーナビが案内終了を告げた。

 程なく正面に、屋根が落ちて原形をとどめていない山門が見えてきた。

 「この奥です」

 晃が指を差し、和海はそこで車を止めた。

 あたりは、朽ちた落ち葉が道路に積もり、ここ数年、訪れるものもいなかったことが伺える。ここに車を停めっ放しにしても、何の問題もないだろう。

 それでも、帰りのことを考えて、車をUターンさせてからサイドブレーキを引き、エンジンを切った。

 三人は懐中電灯を手にすると、車を降りた。法引は錫丈をも手にし、和海は、車内灯もヘッドライトもオフにして、最後に降りる。

 「車の明かりを消したら、本当に真っ暗ね。気配に気をつけていないと、不意打ちを食いそうだわ」

 懐中電灯で山門の残骸を照らしながら、和海がつぶやく。

 「気をつけてください。寺の敷地に入ってしまえば、相手の陣地に踏み込むに等しいんです。向こうは僕らのことを見張っているでしょうが、こちらは気配を探り続けていくしかない。今だって、気づきませんか、あの山門の残骸。あれに、呪術が掛けられているのを。よく“視て”ください」

 晃の言葉に、和海は改めて山門を“視た”。まるで、蜘蛛の糸のようなものが、山門の瓦礫に絡みついているのがわかる。

 「……これは……」

 思わず息を飲む和海に、法引が言った。

 「この“糸”は、人が来たことを術者に知らせるためのものですな。あれが一本でも“切られた”ら、人が入ってきたとわかるようにしてあるのでしょう」


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