07.過去話
斎場近くの路上を歩きながら、村上琢己はその日何度目かの溜め息をついた。
そして、ちらりと後ろを振り返る。そこには、晃がついて来ていた。何度見ても、悔しいほどの美貌だ。
男の自分が見ても、美しいとしか言いようのない顔立ちをしている。
その彼が何故、斎場付近の聞き込みをすることに決まった自分と一緒に行動しなければならないのか。
それも、所長命令であるのが、どうしても解せない。
所長である結城とは、実は親戚関係に当たる。村上の母親と結城がいとこ同士で、子供の頃から可愛がってもらっていた。
それが縁で、前に勤めていた商社を辞めたあと、この事務所で働くことになった。
そのことで両親とはずいぶん喧嘩もしたが、商社での勤めは性に合わなかった。今の仕事は、給料こそ安いものの、水が合ったらしく面白かった。
平凡で地味な、目立たない容姿を逆に生かしての、尾行や張り込み、ターゲットの職場への潜入調査など、さまざまなことをこなしてきた。
そうして過ごして二年近く経ち、今の仕事に自信を持ち始めたところで、半年前に晃が事務所にやってきたのだ。
最初に顔を合わせたとき、本気で芸能人だと思った。依頼人のほうだと考えた。だから、アルバイトでやってきたと聞いたとき、自分の耳を疑った。
芸能人ではないという彼の、その容姿の美しさがあまりに信じられなくて、ついスマホのカメラを使って撮った写真を、まだ両親と同居している大学生の妹に送ってやったら、そのあと『紹介して』というメールが延々送られてきて往生した。
今でも時々、『紹介して』というメールが来る。何でも、待ち受け画面に設定して友達に見せびらかしているそうだ。
困ったものだと思うと同時に、無性に腹立たしくさえなってくる。
こうして聞き込みをしていても、話を聞く人聞く人背後に視線が泳ぐ。
身長も自分より高いため、まっすぐ相手を見ていても、背後の晃に目がいく構図になってしまうのだ。
確かに、あんな若さで事故に遭い、苦労しただろうとは思う。
だが、それだけにどう考えても『ハンディキャップに負けずに頑張る若者』というプラスの評価、ある種同情票が集まる。
加えてあの飛びぬけた容姿。反則ではないかとさえ思う。
(どうせだったら、和海さんと一緒に回りたかったよ)
和海は自分より少し年上だが、それだけに率先して引っ張っていってくれるような頼もしさがある。ふと、ずっと一緒に居られたらいいなと思うこともある。
単なる夢のようなものだが、半年前に晃が事務所に顔を出すようになって、和海の関心が明らかにそちらへ向き、余計に遥かな夢になってしまった。
内心やり場のない苛立ちを、どこにもって行こうかと思いあぐねていたとき、突然晃が声を掛けてきた。
「村上さん、なんか、いらいらしているみたいですね。そこのカフェで一息入れませんか」
自分の心の内を見透かされたようで、村上は動揺を抑えきれずに顔を引き攣らせた。
「い、いや、まあ……」
確かに、通りの少し先には、チェーン展開しているので有名なカフェがあった。
このまま入るのは業腹だが、だからといって断るのも大人気ない。相手は、年齢から言えば自分の弟のようなものなのだ。
「……わかった。少し、休憩するか」
村上はそのまま少し歩いて、カフェの中を横目でざっと見た。混んではいない。混んでいて座れそうもなかったら、それを理由にして入るのをやめようと考えたのだが、そうもいかなくなった。
入り口の自動ドアをくぐると、すぐ後ろから晃も続く。店内の先客は皆、自分の用事に没頭していて、新しく店に入ってきた客のことなど気にも留めない。村上にとって、それは幸いなことだった。
ここでまた、晃が店中の注目を集めたなら、自分の嫉妬心が抑えられなくなるところだったからだ。
それでも、注文カウンターでアルバイトらしい若い女が、晃を見て目を丸くしている様子は見てしまった。なんとなく面白くない。
村上はカプチーノを、晃はカフェオレをそれぞれ頼み、どちらからともなく、一番奥まった目立たないカウンター席に、隣り合って腰掛けた。
「……村上さん、僕がついてきたことで、ずいぶん不愉快な思いしているでしょうね」
不意にそう話しかけられ、村上は一瞬言葉を失った。先程も感じたことだが、まるで心の内を覗かれているような気がする。
「そ、そんなことはないさ。でも、オレひとりでも聞き込みはいくらでも出来るのに、何で君がついてくることになったのか、それが不思議なんだけどね」
村上は、必死に作り笑顔を浮かべて、動揺を押し隠した。
「……知りたいですか」
晃が、妙に淡々と問いかける。それがかえって、裏に何かあるのではないかと思わせた。
知りたい気持ちと、知りたくない気持ちとが交錯する。晃の同行が所長命令だったのも気にはかかっていた。
しかし、たかが聞き込みに大げさなことを、という気持ちのほうが強かったので、聞いてみてすっきりしたほうがいい、と思った。
「どんな訳があるのかな。せっかくだし、教えてくれないか」
晃が、村上の顔を凝視した。そして視線を全く逸らそうともせずにこう告げた。
「……護衛です。村上さんの」
村上は、にわかには言葉の意味が理解出来ず、口を開けたまましばらく固まってしまった。どう考えても、晃に一番似つかわしくない言葉に思えた。
次の瞬間、急に馬鹿馬鹿しくなって、無性に笑いがこみ上げてきた。
「……護衛。君が護衛だって。なかなか面白い冗談だぞ、それは」
村上は、周囲に声が漏れないように笑いを噛み殺したが、晃が真顔のままなので程なく笑うのをやめた。様子がおかしい。
「村上さんにとっては、冗談に思えるのでしょうね。でも、これは冗談でも何でもありません」
「どういう……ことなんだ」
晃は、一呼吸ほどの間を置いて、静かに話し始めた。
「村上さんは、いわゆる“霊感”というものを信じますか。霊というものを“視た”ことがありますか」
いきなりそのようなことを訊かれ、村上は完全に面食らった。何故、そのようなことを今訊くのだろうか。
そういえば、生まれてこの方、そういったものを見たという話は人伝てには聞くが、自分で見たことは一度もなかった。
「……いや……霊だのなんだのっていうのは、一度も見たことはないけど……」
「それでは、そういうものの存在は、信じますか」
あくまで淡々と尋ねる晃に、なんとなく薄気味の悪さを感じながら、村上はうなずいた。
「見えるという人がいるんだから、なんとなくいるんだろうとは思ってる……」
つぶやくように答える村上に、晃は言った。
「信じるというなら、説明がしやすいです。実は、僕は“視える”のです」
唐突といえば唐突な告白だが、今までの流れの中では、そう不自然ではない。と思ったものの、まだ話が全然見えてこない。
「……君が“視える”人だというのはわかったけれど、それと護衛の話とどう繋がるんだ。オレにはまだわからないんだが」
「それには、僕が何故結城探偵事務所に出入りするようになったのか、そのいきさつを説明しなければなりませんね」
晃は、結城探偵事務所にスカウトされたのだと言った。“視る”能力ゆえに。
「……いや、僕は“視る”だけの人間ではありません。悪霊を祓ったり、説得して成仏させることも可能なのです。その能力の高さに、所長や小田切さんに『ぜひその力を貸してくれ』と懇願されて、僕はアルバイトを引き受けたのです。ここまで言えば、なんとなく予想がつくのではありませんか」
確かに、予想はつく。だが、それ確認するのが怖かった。気持ちを誤魔化すために、ぬるくなりかけたカプチーノを、一口飲む。特有の苦味が口から喉に落ちていく。
晃が言葉を続けた。
「結城探偵事務所は、ただの探偵事務所ではありません。『超常事件の真相究明』という“裏仕事”も引き受けているのです。僕は、そちらの仕事専任のアルバイトです」
そして、今回の聞き込みも、“裏仕事”のほうに関わるもので、ある悪霊が絡んでいること。その悪霊は、すでに何人もの男性を死に追いやっていることを晃は告げた。
「その男性の共通点と同じものを、村上さんも持っている。だから、万が一の事態に備えて、僕が護衛についたのです」
晃は、村上を見つめながら、亡くなった男性の共通点を挙げた。それはそっくり、現在の村上にも当てはまった。
悪い夢のような打ち明け話だった。聞かなければよかったと、本気で思った。自分が、被害者になりかねないなどという話を、問題の場所のすぐ近くで聞くなんて。
「……たいしたものだな、君は。その美貌で、護衛になれるほどの能力があって、たいしたもんだ……」
村上は、混乱した気持ちを皮肉にして晃にぶつけた。そうでもしなければ、心の平静が保てなかった。しかし、それを口に出した直後に後悔した。それまで自分をじっと見ていた晃が、目を伏せてしまったからだ。
「……す、すまん、オレも混乱してた。君に当たることじゃないよな……」
「……いえ、いいんです。こんな話をしたら、大笑いされるか拒絶されるのが普通ですから。僕自身、この能力と外見のせいで、子供の頃から目立ちすぎて、周囲から浮き上がっていました。友達も、あまり出来ませんでした……」
村上は、意外な告白に呆気に取られた。てっきりちやほやされて、いろいろといい思いをしてきたのだろうと思い込んでいたからだ。
と、晃が再び顔を上げ、村上を見つめた。哀しそうな顔だった。
「僕は、あなたが羨ましくて仕方がない。普通でいることはすばらしい……」
「そんな、ことは……。だって、こんな平々凡々より、君のような美形のほうがどれだけ得してるだろうと思っていたんだが……」
しかし、晃は首を横に振る。
「最初だけです。そのうち、僕の言動が“普通の人”と違うことに気づいて、なんとなく……時には露骨に気味悪がって離れていくんです。そういう態度をとられることには、もう慣れましたが……」
晃の言葉の端々には、本当にそういうことが何度もあったことをうかがわせるものがあった。そして、晃の告白はまだ続いた。
まるで、今まで胸の奥に溜め込んでいたものを、吐き出しているかのようだった。
「事故に遭ったせいで、余計に周囲が腫れ物に触るような扱いになって、ますます打ち解けられなくなりました。学校に戻るまでに、一年近くかかったんですけど、戻った後の学校側の余計な配慮が、クラス内での孤立をひどくしてしまいました……」
出席日数の関係から、もう一度二年生のクラスに編入された晃に、学校側はいろいろ配慮をした。そのひとつで、一番大きかったものが、“体育はすべて、見学していれば平均的評価を与える”というものだった。
確かに、健常者と同じ運動をするのが難しい、球技や柔道のような種目はあった。しかし、陸上のトラック競技である短距離走や長距離走までも見学を強いた。
事故の際に、左肺にも重度の損傷を受け、肺活量が健常者の六割ほどしかないことが、余計な配慮を生んだのだろうが、走るだけなら自分のペースを守れば出来ないはずはなかったのに、歩く程度でもよかったはずなのに、それさえも禁じられた。
それは、今にして思えば、配慮というより事故を恐れての措置だったとしか思えない。
そのため、クラスに一体感が生まれる球技大会や体育祭といった行事さえ、まともに参加することが出来なかった。その流れで、秋の文化祭では、存在感すらなかった。
村上が、言葉もなく晃の顔を見つめる。晃は、そんな村上に対して、どこか自嘲的な笑みを浮かべながら、話題を変えてさらに話を続けた。
「……僕、前々からジャズが好きだったんです。ジャズを聴いているときだけは、そのことに没頭して、自分の能力のことをほんのひと時でも忘れられた。それで、高校に入った頃から、一般の人がやっているジャズ研究サークルに入って、同じ趣味の人たちと、ジャズのことをよく話していました」
晃は、ふと目を伏せる。
「でも、そのサークルから帰る途中で事故にあったせいで、学校に戻ってからも、『サークルなど行くな、学校のクラブ活動もするな、寄り道せずにまっすぐ帰ってこい』と、特に母親が異常なくらい神経質に厳命してきて、何も出来なくなってしまったんです。僕がジャズを聴くことさえ、母は嫌がるようになりました」
聞いている村上が、思わず生唾を飲む。
「一番きつかったのは、退院して家に帰ってきたら、好きだったジャズレーベルがみんな処分されていたこと……。ショックでした……」
村上の頭の中に、“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”ということわざが浮かんだ。事故とジャズとは絶対に関係ないだろうに、と思うのだが、彼の母親の頭の中で、何かが短絡したのだろう。
「それで、レーベル買い直したの?」
恐る恐るという調子で訊いてみた。
「いいえ。処分されたショックが尾を引いて、二度と手に取る気になりませんでした。また処分されるのが怖かったんです……」
当時のことを思い出したか、目を伏せたまま溜め息をつく晃に、村上は、何も言えなくなってしまった。でも、沈黙しているのも間が持たないので、カプチーノを何度も口に運ぶ。程なく、カップは空になった。
「……済みません、こんな愚痴にもならない繰言につき合わせてしまって。こんなこと、人様に話すことじゃないですよね。まして、今は仕事中だというのに……」
「いや、オレは別に構わないよ。オレだって、親との喧嘩はしょっちゅうだしね。時には、誰かに愚痴をこぼしたくなるときもあるさ」
晃が、ぬるくなったカフェオレを一気に飲んだ。表情がすっかり硬くなっている。
「そういや、今でもジャズは好きかい?」
「好きなのは好きですけど、一連のことですっかり熱が冷めました。今は、ほとんど聞いていません。偶然耳に入れば、なんとなくリズムを取ることはありますけど、積極的に聴こうとは思わなくなりました」
母親も、罪作りなことをしたものだ、と村上は内心嘆息した。そうでなくても、事故で心身ともに傷ついていたところへそれでは、たまったものではないだろう。
その時晃が、再び村上に向かって羨ましいとつぶやいた。
「普通でいることって、すばらしいんですよ、村上さん……」
晃は、まだ何かを言いたそうだった。
ならば言わせてあげよう、と思った村上は、下腹に力を入れて、少し重々しい声を出してみた。なんとなく、相手より立場が上な気持ちになり、格好をつけたのだ。
「このさいだ、何もかも打ち明けてしまえ。ここまで話したんだろう。だったら、言いたいことは全部言ってしまえ」
すると、晃が静かに微笑んだ。しかしそれは、今にも泣き出すのではないかと思うほど、哀しげな笑みだった。
「……僕は、普通の人間ではないんです。悪霊にも警戒されるほど、高い能力を持ってしまった。いわば人外の存在なんです……」
これにはさすがに面食らった。いくら自嘲の言葉といえど、自分を“人外”というのはあまりにも意識が飛びすぎだ。
「おいおい、誰が“人外”だよ。確かに、君は高い能力を持っているんだろうが、自分のことを“人外”だなんて言うのは、いくらなんでもどうかと思うよ」
すっかり重苦しくなった場の雰囲気を、何とか取り繕おうとする村上に対し、晃は哀しげに微笑んだままだった。
「……もういいんです。今、この体に宿っている力は、どうしようもないものなんです。いろいろ話を聞いてくれて、ありがたく思っています。さあ、仕事に戻りましょう、村上さん」
そう言われては、村上としてもこれ以上は話を続けられなかった。やむなく立ち上がると、カップをトレーごとカウンターの返却口に戻し、店を出る。晃も一拍遅れたタイミングでそのあとに続いた。
村上は、ちらりと後ろを確認し、溜め息をついた。