14.絡む縁の糸
ふと、和海が晃のほうを見ると、晃はからになったチューブを手にしたまま、うとうととまどろんでいる。
「頼子さん、毛布か何か、ないかしら」
「和室の押入れに、布団も毛布もありますけど」
その答えに、和海は一瞬いやそうな顔をしたが、法引が付き添うと言ってくれたので、二人で立ち上がり、和室へと向かった。
一歩入るなり、法引は数珠を手に合掌し、読経を行う。
それにつれ、部屋の中に漂っていた“モノ”たちが読経の声に乗るようにして成仏していく。その隙に、和海は押入れから毛布を引っ張り出して、素早くリビングへと戻った。
毛布をかけるころには、夢も見ていないのではないかと思えるほど、晃はぐっすりと眠っていた。和海は、手から落ちそうになっていたチューブをそっと取り上げると、毛布を整え、結城の傍に戻った。
「能力を使うって、こんなに疲れるものなんですね……」
頼子が、眠る晃のほうを見て、ポツリとつぶやく。和海はそれを聞き、傍らの結城を横目で見ながら言った。
「その時の条件や、力を使う対象にもよりますけどね」
その視線に、結城が肩をすくめる。
程なく、部屋の浄化を終えた法引も、リビングに戻ってきた。
「さて、結城さん。過去を見たとき、何が見えたのか、ここできちんと伝えてください。それによって、何かわかることがあるはずです」
法引に促され、結城は当時のことを思い出しながら、ゆっくり話し始める。
部屋の中に座る、中年の女性が見えたこと。その腕に、市松人形が抱かれていたこと。その市松人形が女性に話しかけていたが、女性は聞こえている様子はなかったこと。
そして、その人形が『喜美子』と名乗っていたことを告げたとき、頼子があっと声を上げた。
「うちの娘も、梨枝子も人形のことをそう呼んでいました。“喜美子ちゃん”と」
法引はうなずくと、今度は頼子に、人形のことについて尋ねた。
「では、その人形を、あなたのお姉さんが手に入れた経緯を、覚えている範囲で結構ですから、話していただけませんかな」
法引に質問され、結城と和海は先を越されたという表情になった。
実は結城たちも、ここで霊視をしたあと、その質問を頼子にするつもりでいた。それが、結城が呪術にかかってしまった一連の騒ぎで、それどころではなくなっていたのだ。頼子のほうは、そんな様子に気づきもせず、考え考え話し出す。
「あれは、梨枝子が生まれてまもなくのころでしたから、二十数年前のことです。姉が、骨董屋でいいものを見つけたと言って、人形を買ったことを教えてくれました」
それからしばらくして、実際に人形を見る機会があったのだが、一目見て、頼子は怖いと思ったという。
「どうしてそう感じたのかはわかりません。でも、私はあの人形、なんだか怖かった。大正初期に作られた貴重な市松人形だという話でしたけど、それで、値段も相当高かったみたいなんですけど、姉が言うほどには、私は可愛く思えなかったんですよ。なんていうのか、生々しいほどに美しいとでも言うんですかね、なんだか夜中に部屋の中を歩き回りそうで、怖かったんです」
「なるほど。それで、いなくなってしまった娘さんは、お姉さんと同じように可愛いと言っていたんですな」
「はい。子供の頃から、姉の家に遊びに行くたびに連れて行っていたんですけど、そうすると決まって姉が人形を出してきて。梨枝子も喜んで、時間を忘れて人形と遊んでいましたねえ」
「え、子供の頃から、人形に接していたんですか」
和海が、驚きの声を上げる。結城も、思わず前に身を乗り出した。
それを見て、思わず固まってしまった頼子を、法引がさらに促す。
「さあ、続きをどうぞ」
「は、はい。梨枝子は、ここに遊びに来るたびに、飽きもせず人形と遊んでいました。姉も、『元々人形とはそういうものだから』と気にも留めず、そのまま遊ばせていました。少なくとも梨枝子は、乱暴な子ではありませんでしたから、おとなしくいつまでも遊んでいる感じでした」
「それで、梨枝子さんは怖がったりしなかったんですか」
和海が質問すると、頼子はうなずいた。
「全然怖がる様子はありませんでした。私としては、本当はなんか気持ち悪く感じる人形で、あんまり遊んで欲しくないと思っていたんですけど、本人が気に入っているものを、だめだともいえなくて……」
それを聞いて三人は、梨枝子は子供の頃からすでに、“糸”が絡んでいたのだと気がついた。
頼子によると、梨枝子は大きくなるにつれ、ここに直接遊びに来ることもなくなったせいか、人形のことはまったく忘れている気配だったそうだが、先日の葬儀で、ここに来た途端、人形をどこからか見つけてきて胸に抱き、自分が引き取ると言い出して、手がつけられない状態になったのだそうだ。
「“糸”が繋がったんだな」
結城のつぶやきに、和海も法引もうなずく。
そのとき、今まで静かに寝ていた晃が、うなされ始めた。
結城と和海が、顔を見合わせる。今まで、こんなことはなかった。
二人が急いで晃の元へ駆け寄ると、様子がおかしい。まだ顔色が戻りきらない晃の額に、大粒の汗が浮かび、言葉にならないうわごとのようなものをつぶやいている。と、いきなり晃が右腕を伸ばすと、右手の人差し指と中指を揃えて虚空の何かを断ち切るかのように動かし始めた。
「いかん、何かが起こっているっ!」
結城が叫んだとき、法引もそれに気づいて数珠を手に、晃の元へ駆け寄った。そして、そのまま読経に入る。しばらく読経していたかと思うと、突然気合の声とともに、数珠を晃の顔の上にかざし、さらに激しく読経を続けた。
さらに法引が気合の声を幾度か発すると、晃の腕が急に糸が切れたように自分の体の上に落ちた。いつの間にか、呼吸も落ち着いている。
法引は最後に合掌し、肩の力を抜いた。
「……危ないところでした。彼自身が無意識のうちに“糸”を切ろうとしていたので、それをわたくしが引き継いだだけのことです。これだけ消耗している状態で、よく持ちこたえましたな」
法引の言葉に、結城も和海も顔色を変えた。
「それじゃあ……今度は早見くんが標的に……」
「眠っている人に、呪術を掛けられるんですか? お互い場所もわからないはずなのに」
法引は、“糸”はどこにでも巻きつくものだと告げた。
「早見さんは……小田切さんもそうですが、人形を直接見ておりますからな」
「それじゃ、そのときに“糸”が絡んだと……。なら、わたしも狙われるということですか」
和海の顔が青ざめた。
「可能性は否定出来ませんが、早見さんが狙われたのには、理由があると思いますな」
法引がそういうと、二人は首をかしげた。
「どういうことですか? 和尚さん」
結城の問いかけに、法引は答える。
「先程、あなたにかかった呪術の“糸”を早見さんが場を司って切りました。それで、相手に目を付けられたのでしょう。術が切られれば、それは相手にも跳ね返ります。かけられたものが強ければ強いほど、跳ね返る力は数倍になって術者に返ります」
和海は、それなら術を跳ね返されたものは、そのダメージですぐには次の術をかけられないのではないかと思った。
「どうなんですか、和尚さん」
「確かに、普通の術者では、術を断ち切られて返されれば、ヘタをすると命を落としかねない事態になります。ですが、もし人形が何らかの形で術をかけていたのだとしたら、その時点で“命を落とすことはない”とわかりますな。どういう仕組みかは、わたくしも見当がつきかねますが、何らかの方法で術を使う条件を整えられたなら、すぐさまかけ直すことも可能でしょう。相手は、本当の意味で“生あるもの”ではないのですからな」
すると今度は、結城が口を開いた。
「しかし、それなら相手は、早見くんが自分の術を切り返すくらいの実力者だとわかっていたはずでしょう。それでも、狙ってくるものですか?」
「それが逆に、相手の注意を引いたのでしょうな。最初に会ったときに、すでに侮りがたしという印象を与えていたのかもしれません。そんなときに、消耗して力が弱ったのをこれ幸いと、術をかけてきたのだと、わたくしは考えております」
法引の言葉が終わるか終わらないかのうちに、晃が小さく呻くような声を出し、やがて目を開けた。明らかに、消耗が回復していないのが、顔色からしてよくわかる。
「……いやな夢を見ました……」
力ない声で、晃がつぶやく。和海が息を飲んだ。
「……人形が……」
「に、人形がどうしたんだ、早見くん」
必死に動揺を押し隠して、結城が尋ねる。
「……人形が、『力をよこせ』と……」