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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第三話 霊人形
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13.助っ人

 和海が思わず叫び、頼子が悲鳴を上げたとき、玄関のドアが開いた。

 刹那、ドアが閉められるのと同時に裂帛の気合が空気を切り裂き、すべてのものの動きが止まる。

 玄関を一歩入ったところに、頭巾を被り、袈裟を身に付け、数珠と錫丈を手にした法引の姿があった。法引は、その場で読経を始め、錫丈を打ち鳴らす。

 結城は顔を歪めたまま、完全に動きを止めていた。晃は必死に結城の体の下から這い出すと、その場にうずくまって激しく息をつく。呼吸を整えないと、何も出来ない状態だった。和海がその背中をさすり、呼吸が落ち着くよう手助けをする。

 半ば無理矢理息を整えると、晃は結城に対峙した。結城の体越しに見える法引の力に呼応するように、結城に絡みつく見えざる糸をゆっくりと切りにかかった。

 結城に負担がかからないように、ゆっくりと、確実に。

 法引もまた、晃がやろうとしていることが明確にわかるらしく、それを手助けするような形で力をかけてくる。

 床に突っ伏すような姿勢の結城のすぐ前に立った晃は、右手の人差し指と中指をまっすぐに伸ばして揃え、短い気合の声とともに空間を切るように振り下ろし、さらに結城の体すれすれを、素早く払っていく。それとともに、結城の体に絡まる“糸”が、次々と断ち切られていく。その様は、和海にも法引にもはっきりと見えた。

 法引と力をあわせて、呪術の糸を切っていく作業は、優に三十分はかかった。二度と操られることがないように、見落としがないように、丁寧な手順を繰り返したからだ。

 そのために余計に力を使ったのだろう、最後の糸を切った直後、晃は膝からその場に崩れ、動けなくなった。

 「晃くん、しっかりして」

 和海に抱き起こされ、晃は青ざめた顔で力なく微笑む。

 「……また、やってしまいました……」

 「いいの、無理にしゃべらなくていいから。とにかく休んで」

 そこへ、状況が飲み込めていない結城が声をかける。

 「おい、一体どうしたんだ。早見くん、どうしてそんなに消耗しているんだ……」

 「所長、覚えていないんですか? 自分が何をやったのか」

 和海に非難がましい口調で問い詰められ、結城は完全に当惑している。

 「おそらく、記憶が抜け落ちているんでしょうな。仕方がないことです。それより、早見さん、本当なら、場を司らねばならないのはわたくしの方であったはずなのに、あなたにやらせてしまい、申し訳ありません」

 法引は草履を脱いで上に上がると、結城の傍らをすり抜けて、晃の元にやってきた。法引も、先程の力は晃自身の力だと見抜いていた。だからこそ、余計に消耗したのだと。

 法引は和海に向かって、結城に対し、状況を説明してやるように促すと、次に呆然と立ち尽くしている頼子に向かって言った。

 「どこかに、ゆっくり横になれる場所はありますか。この方を、しばらく休ませなければならないので」

 「あ、は、はい。和室に布団があったと思いますし、リビングにはソファーがあります」

 法引は、開け放たれた和室の引き戸の奥から余りよくないものを感じたので、リビングのほうに晃を連れていくことにした。

 頼子にも手伝ってもらってリビングのソファーに晃を寝かせると、頼子に栄養補助になるゼリーとか流動食のようなものを買ってきてくれと頼んだ。

 「こういう状態なので、手早く栄養が取れるものが必要なのですよ。お願いします」

 「はい、わかりました」

 頼子が部屋の外に出ると、法引は晃に小声で話しかけた。

 「……あなたはやはり、自分というものをわきまえている方だ。わたくしの思ったとおりです」

 「……思ったとおり……?」

 晃が戸惑っていると、法引は優しく言った。

 「あなたは、その気になればあの呪術の糸など一気に断ち切ることも出来たはず。結城さんに負担をかけることなくね。だが、あなたはそれをしなかった。超常の力を使わないで、場を収めようとしていました」

 「……僕は、人外の力を持つからこそ、余程のことがなければ、人前ではそれをあからさまにして使うまいと心に決め、今までやってきました……」

 「そう、そういう人だと感じたからこそ、わたくしはあなたの超常の力のことは、決して人には話すまいと決めたのです。やはり、思ったとおりの方だった」

 そう言ってから、法引は両手で晃の右手を握った。その手が、不自然なほど冷たく冷えているのは、力を使いすぎて末梢まで精気が回らなくなったためだ。

 「……無理をしましたな。あなたが場を司ってしまったから、あなたに負担がかかってしまった。しかも、あれをする前に、すでに相当力を使っていましたな?」

 晃はうなずき、結城を止めるために、“本気”にならなくても使える金縛りの力や、多少の念動などを駆使していたのだと打ち明けた。もちろん、それを繰り返せば消耗してしまうのは、承知の上だったことも。

 「……交通事故のせいで、僕はこのとおりの体です。肺活量も、普通の人の六割ほどしかありません。その僕が、所長をあの場にとどめておくには、たとえ消耗してもその力を使うしかなかったんです……」

 そのとき、結城と和海がリビングに姿を現した。

 「……早見くん、すまない。小田切くんに説明されて、やっと何が起こったのかわかった。〈過去透視(サイコメトリー)〉をして、人形を抱く女性の姿が見えたあとは、全然覚えていなかったんだ。君にえらく負担をかけてしまった……」

 結城はすっかり肩を落としている。法引は結城のほうを振り返ると、静かに言った。

 「誰も、こうなると思っていたわけではありますまい。あなたが呪術にかかってしまったのは、相手に見込まれて、呼ばれた可能性もないではないですが、普通は偶然でしょう。良かれと思ってしたことが裏目に出ることなど、よくあること。お気になさらないことです。あまり小さくなっていると、かえって早見さんが心配しますよ」

 言われた結城が、ソファーの背もたれ越しに晃を見ると、晃は青白い顔ながらも、結城のほうをじっと見ている。

 「……所長、僕は負担だとは思っていませんよ。最悪の事態を回避するためには、仕方のないことですから……」

 そう言って、晃は結城の眼を見ながらうなずいた。それを見た結城も、無言のままうなずき返した。

 ほどなくして、頼子が大きなコンビニの袋を提げて戻ってくる。

 「いろいろあったんで、もしかしたら皆さんもお腹が空いているんじゃないかと思いましてね、余分に買ってきたんですよ」

 頼子は、ウエットティッシュでリビングにおいてあるローテーブルの上を軽く拭くと、その上に、おにぎりやサンドイッチ、ペットボトルのお茶などを並べる。そして、チューブに入ったゼリーを晃に手渡した。

 そこで頼子は一瞬目を離したのだが、すぐに晃が隻腕だったことを思い出し、慌ててチューブのキャップをはずした。それを受け取りなおして、晃は微笑む。

 「……気を使ってもらってすみません……」

 「い、いえ、いいんですよ。まだ顔色、悪いですね」

 頼子は、晃に微笑みかけられて、かすかに笑みを浮かべる。娘のことを案じているために、どこか疲れたように見える笑みだった。

 「頼子さん、あなたも何か口に入れたほうがよろしいのでは」

 和海が声をかけると、頼子は我に返ったようにテーブルに戻った。

 すでに他の三人は、思い思いのものを手に取り、口に運んでいる。法引が梅や昆布のおにぎりを食べているのがいかにもそれらしいが、他の二人はサンドイッチや天むすなど、適当に食べている。

 特に結城は、かなりの勢いでカロリーの高そうなものを集中的に食べまくっていた。聞けば、どういうわけか腹が減って仕方がないのだという。

 「所長なんか、そんなに疲れるようなことはしていないと思うのに……」

 和海のつぶやきは、どこか棘があった。結城は苦笑する。

 「そう言われても、どういうわけか腹が減ってしょうがないんだ。自分でもわけがわからないんだが、どうしてだろうなあ」

 そのとき、法引が静かに口を開いた。

 「それは、やはり体が要求しているのでしょう。結城さん、あなたが疲労していないはずはないのですよ」

 法引は、結城が晃に引き止められている間、晃の力に抗おうとして、相当体力を使っていたはずだと指摘した。

 「あなたは、人並みはずれて体力があるから、あまり感じなかったでしょうがな。疲れていないわけはない。そういうことです」

 結城は、傍らの和海に目をやった。和海はどこかむくれた顔で、ハムサンドをほおばっている。

 「……和尚さん、どうも今回、私は分が悪いようです」

 「まあ、今のところは仕方がないでしょう。ですが、あなたが過去を見たことは、決して無駄ではない。間違いなく、ヒントがあります」

 法引は、そう言って笑った。


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