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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第三話 霊人形
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06.急転

 元日の朝、晃は睡眠不足でぼんやりする頭をどうにか無理に目覚めさせると、自室を出て顔を洗った。大晦日は、日付が変わった後も年越し番組を見、深夜映画も観ていた。正月の深夜から早朝にかけて、意外と名作が放送されていたりするからだ。ここのところ、 毎年これをやっては朝遅く起きるのが、元日の朝恒例になっていた。

すでに日は高くなっており、時計は午前十時近い時刻を指している。とはいっても、実際の睡眠時間は五時間にやっと届く程度だ。

 「晃、初詣に行くから、軽く何か食べなさい。もう用意はしてあるから」

 母の智子の声がする。

 「父さんは、今年も非番じゃないんだね」

 父の正男は、今日も出かけていった。警察官である正男には、普通の年末年始の休暇は存在しなかった。

 「お父さんは、今捜査の山場に掛かっている事件があるのだそうよ。だから、それが終わってからでないと、まとまった休みが取れないんですって」

 「そう」

 特に感慨などはなかった。父親が、正月に家にいたためしなど、数えるほどしか記憶にない。別に、今始まったことではないのだ。

 晃は、リビングに行くと、用意してあるおせち料理をいくつかつまんだ。黒豆や栗きんとんなどは、智子の手作りだ。最近はさすがに手作りする品数は減ったが、以前はかまぼこや伊達巻といったもの以外、ほとんど作っていたものだ。

 晃が事故にあってからは、晃の世話にかまけるようになり、別な意味で出来合いの品が多くなった。

 お屠蘇も用意はしてあったが、これから出かけるのがわかっているので、酔いたくなかった晃は、口をつけなかった。帰ってきてから飲んでも、別にいいだろう。

 (お屠蘇くらい飲めよ。縁起もんだろ。それにもう、大手を振って堂々と飲める歳になったんだから)

 (自分の中に、アルコールを飲む習慣が、まだないんだよ。自分がどのくらい飲めるのかも、わからないしね)

 (親父さんは相当いける口だが、お袋さんは下戸だしな。どっちの血を引いたか、だな、酒が飲めるかどうかは。でも、確認の意味でも、どこかでちょっとは飲んでおいたほうがいいぜ)

 (遼さんが飲みたいんじゃないの? 僕が飲まない限り、遼さんも酔えないから)

 (……普通は、友達同士飲みに行くとか、コンパに参加するとか、そういうことで飲み始めるきっかけがあるもんだが、お前そういうの、ないからなぁ。二十歳になったのは、去年の五月だろ?)

 (小田切さんが、成人祝いも兼ねて奢ってくれるって言うから、そのときにはワインでも飲んでみようかと思ってるよ)

 おせち料理をつまんで小腹を満たした後、重箱の蓋を閉め、自分の部屋に戻って外出の用意をする。

 ナイロン製のコートを着、タバコの煙をまともに吸わないように、不織布で出来たマスクをかけ、立体裁断してあるマスクをその上から二重にし、大勢の人が集まる場所への対策をする。マスクの間にガーゼを挟み、そのガーゼに、咳止めの効果があるというユーカリオイルを軽くスプレーしておく。

 事故で左肺を損傷し、肺活量が同年代の人の六割しかない上に、タバコの煙に過敏になってしまった晃にとって、初詣のようにタバコを吸っている人の傍から簡単に逃げられないような場所へ行くのには、それなりの準備が必要だった。いよいよとなったら、さらにハンカチを当てて煙を防ぐことになる。

 ワンショルダーを背負って階段を下りてくると、ツイードのスーツを着た智子が、やはりコートを手にして待っていた。

 「さ、行くわよ。午後になると、余計に混むからね」

 智子は、一足先玄関に向かった。晃としては、別に母の初詣に付き合わなくても構わないじゃないかと考えてもいるのだが、一緒に行かないと二、三日不機嫌になるので、仕方なしに付き合っている。

 (子離れ出来ないんだから。後でとばっちりが来るのがいやだから、とりあえず付き合うけどさ)

 (正月ぐらい、いいだろう。親孝行だと思えば)

 遼がなだめると、晃はやっと足が玄関に向いた。

 智子が戸締りを確認して、二人で駅に向かうと、電車で十数分のところにある大きな神社に向かった。風は多少あるものの、のどかに晴れた初春に相応しい日和だ。

 すでに、最寄り駅から神社まで、途切れることなく人波が続いている。

 「はぐれないようにしなさいよ」

 「母さん、僕は子供じゃないんだから。仮にはぐれたって自力で家まで帰れるから、心配せずにお参りすればいいよ」

 鳥居をくぐり、人混みをぬって手水舎で手や口を清め、拝殿に詣でて一年の無事と学業の進展を祈る。さらに、気に掛かっていた消えた市松人形のことも含め、結城探偵事務所での仕事が、無事に解決出来るよう、重ねて祈った。

 人の波に押されるように、出口へ向かっていくと、マスクの中のユーカリオイルの清涼感のある香りに混じって、露天の食べ物の匂いが漂ってくる。

 なんとなく空腹を感じて、晃が買い食いでもしようか、と考え始めたとき、突然携帯電話がトッカータとフーガを奏でる。

 前方を歩く母の姿を目で追いかけながら、晃は着信を確認した。和海からだった。

 確か、寝る前に新年の挨拶メールは送ったはずだったがと思いながら、晃は電話に出た。

 「小田切さん、明けましておめでとうございます」

 型どおりの挨拶をした途端、和海のあたふたとした声が耳の中に響く。

 「晃くん、それどころじゃないのよ。間宮梨枝子さんが、いなくなったんですって」

 「えっ!?」

 一瞬、頭の中が真っ白になり、次の瞬間浮かんできたのはあの市松人形だった。

 「まさか、人形に……」

 「それはわからないわ。でも、家族で初詣に出かけて、お寺の境内の人混みの中で姿を見失ったんですって」

 「それなら、ただはぐれたんじゃないんですか?」

 「義彦さんの車で、夜中に出かけたんですって。家族四人で。それで、駐車場から境内へ入った直後の人混みの中で見失って、家族はそれっきり誰も姿を見ていないそうなの。駐車場でしばらく待ったらしいけど、人波がいなくなる午前二時過ぎまで待っても、戻ってこなかったって。家族全員で車で出掛けるっていうことで、梨枝子さん自身は財布も持ってなかったそうよ。だから、電車に乗ったとも考えられない……」

 「……わかりました。僕も初詣の帰りで、外出してるんで、このまま直行します。母にはまた、友達と約束が出来たということにでもしておきますよ。嘘ではありませんから」

 「それじゃあ、事務所に来て。正規の依頼に昇格したんで、所長にもさっき連絡を取ったわ。所長は間宮さんの家を知らないので、現地集合というわけに行かないから」

 「それじゃ、事務所へ行きます」

 晃は電話を切ると、智子に追いつき、電話で友人から遊びに誘われたから、と告げると、駅へ向かって足早に歩き始めた。

 「ちょっと、食事はどうするの。まだお雑煮も食べていないでしょ」

 「今日のところはいいよ。明日の朝にでも食べるから」

 智子の困惑した声を振り切り、晃は一足先に駅に到着した。事務所の最寄り駅が自宅のそれと同じため、さっさとICカードで改札を通って、電車に乗る。

 駅を降りた後、バスに乗って最寄りの停留所で降りると、晃は事務所へと急ぐ。事務所に到着すると、ちょうど玄関のドアを開けようとしている和海の姿が見えた。

 「小田切さん」

 晃が声をかけると、和海は振り向き、うなずいて、ドアを開けた。晃も続いて中に入る。

 「まさか、元日早々この事務所を開けることになるとは思わなかったわ」

 中に入って、いつもの自動車のキーを手にしながら、和海がつぶやく。

 「僕もですよ。ところで、キーを出したということは、車で所長を迎えにいくんですね」

 「そのほうが早いと思って。それにしても、厳重なマスクね。タバコ除けなの?」

 「ええ。こうしておくと、少しは違うんです。普段の通学なら、駅も電車もバスもキャンパスの建物内でも禁煙だからマスクはしないんですけど、初詣みたいな人混みだと、煙から逃げるのが難しいですから」

 「でも、そうやってマスクしてると、せっかくの美貌が台無しよ」

 和海がかすかに笑う。しかし、本気で笑える雰囲気ではなかった。

 「……ところで、今ご家族はどうしていますか」

 「ひとまず家に帰っているそうよ。駐車場で待ってから、手分けしてずいぶん境内を探したらしいけど、見つからなかったんですって」

 和海とともにガレージへと移動しながら、晃は考え込んだ。

 (人混みに紛れて、どこかへいったとしか考えられないな)

 (あの人形だろ、元凶は。だとすると、どんなことでもしてきそうな気がするぞ。あの部屋から、いきなり消えやがったんだからな)

 (それにしても、厄介なことになった。現場に行ったとして、手がかりが見つかるかどうかわからないな。また所長の〈過去透視(サイコメトリー)〉に頼らざるを得ないか……)

 (あの所長の能力は、こういうときのためにあるようなもんだ。お前の力は、その場の出来事に対処するということなら最強だが、他の局面はイマイチだからな)


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