03.事情
「それで、その家にはどうやっていくんですか」
晃が尋ねると、和海は時間を確認しながら、間宮義彦本人がもうすぐ迎えに来るはずだという。
「『余計な交通費使わせるのは悪いから』と言って、車で迎えに来てくれるんですって。二時半頃に、駅前のタクシー乗り場近くにいてくれって言われたんだけど……」
二人がタクシー乗り場近くまで歩いてくると、ちょうどこちらへやってきたブルーの真新しい軽自動車が二人の前に止まった。運転席のパワーウインドウが開くと、中から若い男が顔を出す。
「小田切さん、久しぶり。姉貴のことで、面倒かけちゃって悪いね。後ろは……」
義彦に向かって、和海は晃を紹介した。
「彼は、わたしの知り合いで、早見晃くん。これでも、すごい霊能者なの。それで、今回わたしのフォローに入ることになって、来てくれたの」
「よろしくお願いします」
晃が微笑むと、義彦は一瞬呆気に取られ、我に返ったようにぎこちなく会釈した。
「よ、よろしく。とにかく、二人とも、乗って」
同じ軽自動車でも、普段探偵事務所で使っている車と違って、これは普通に四ドアだった。逆に、事務所で使っている車種が古すぎるのだ。それはともかく、和海は後ろのドアを開けると、まず晃を促し、 それから自分が乗り込んでドアを閉め、シートベルトを締めてドアをロックした。それを確認し、義彦は車を発進させる。
義彦の実家へと向かう道すがら、二人はもう一度詳しく事情を聞いた。それによると、姉の様子が変だと最初に思ったのは、亡くなった伯母の葬儀の日。すべてが終わって一旦伯母の家にお骨を戻したとき、どこからか探し出してきた市松人形を抱きしめ、自分が引き取るといって聞かず、大騒ぎになったという。
「その時の姉貴は、目が釣りあがったようになっていて、ヒステリー起こしたみたいに『この子は私が引き取る』って繰り返してて、誰も手がつけられなかった。家に人形連れて帰ってきてからは、しばらく落ち着いてたんだけど……」
昨日、義彦が会社の独身寮から自宅に帰ったら、一日中人形を手放さず、人形に話しかけてはむやみににこにこと笑うという状態になっており、人形を引き離そうとすると半狂乱で喚き散らす有様。一度は母親が、風呂に入っているときにこっそり持ち出そうとしたら、どうやって気づいたか浴室から裸で飛び出してきて、母親に摑みかかり、本気で殴りつけてきたという。
「お袋は、そのとき殴られた痣が、いまだに顔に残っちゃって。そのときから、これはどうしようもない、誰か霊能者や行者さんみたいな人に見てもらわないとまずいだろうってことになって、頭に浮かんだのが、びっくりするくらい霊感強くて、いろいろ親しくしてくれた小田切さんだったんだ。うっかり変な相手に視てもらって、金だけ取られて何にも解決しない……なんてことになったらまずいし。だったら、知り合いの小田切さんにまず見てもらおうって思って。それで、どうすればいいか、相談しようって考えたんだけど。悪かったかな。ちゃんと、それなりのお金は払うから」
「お金のことは後回しでいいわ。とにかく、“視て”みないことには、どうしようもないから」
和海の答えに、義彦は安堵する様子を見せた。
「ところで、人形を抱きしめて放さない、というほかに、何かおかしなことはありませんでしたか」
晃が問いかける。すると、自分は直接聞いたわけではないが、と前置きしてから、義彦はこんなことを言った。
「家に戻ってから最初におかしくなった夜、お袋が姉貴の部屋から若い女の声みたいな甲高い笑い声を聞いたっていうんだよ。それこそ、マンションの壁を通してはっきり聞こえたらしい。それで、近所迷惑だって注意しに言ったら、人形を抱いてる姉貴ひとりしかいなかったんだそうだ。姉貴自身は、笑い声は聞いてないらしい。それがきっかけで、異常が始まったみたいだな」
「なるほど」
気味悪い話ね、と和海が応じている間、晃は考えていた。
(本当にそれが人形の声なら、かなりの“モノ”が人形に入っている可能性があるね)
(まったくだ。作られた時期がはっきりしてないが、元々は骨董屋にあったっていうなら、数十年は経ってるだろう。どんなもんが入っているか、わからんぞ)
(依り代にはもってこいだし、長年可愛がられているうちに、自我を持ってしまうこともあるしね)
しばらくして、住宅地の中の十階建てほどの高さがあるマンションの前で、車は止まった。
「ここがそうなんだ。このままちょっと待ってて。車を駐車場に置いてくるから」
二人を降ろすと、義彦はマンションの敷地内にある駐車場に車を止めて、戻ってきた。
義彦はオートロックを解除し、二人をマンションのエレベーターまで案内すると、ボタンを押してエレベーターを呼び、三人で乗り込んだ。義彦は七階のボタンを押し、程なくドアが閉まると、エレベーターが動き出す。
エレベーターが上がっていくにつれ、晃はなんとも表現しがたい圧迫感のようなものを感じ始めた。まるで、自分を拒絶しているかのようだ。
傍らの和海にも、小声で話しかけてみる。
「小田切さん、何か感じませんか。圧迫感というか、拒絶の意思みたいなもの」
「……感じるわ。やっぱり、何かがわたしたちを嫌がっているみたい」
和海が小声で答えを返したとき、エレベーターのドアが開いた。いやな威圧感は、外のほうがずっと強かった。
「人形なのかしら。それとも……」
「“人形の中のモノ”が何か呼んだのか……」
エレベーターから一歩降りたところで、晃と和海は立ち止まる。それに気づいた義彦は、怪訝な顔で振り返った。
「二人ともどうしたの。急に立ち止まったりして」
「ああ、間宮さんは、霊感とかそういうの、ないわよね」
和海の言葉に、義彦は事態を理解したらしく、表情をこわばらせた。
「まだ気配の段階ですよ。ただ、僕らに来て欲しくないらしいという意思は伝わってくるんです。まだ家の中に入っていないのに、これだけ拒絶の意思を伝えてくるのですから、僕らが中に入ったら、大荒れになる可能性もあります。それだけは、覚悟しておいてください」
晃が真顔で伝えると、義彦はますます顔が引き攣る。慌てて和海が、なだめに掛かった。
「可能性の話を言っているだけだから、そんなにびっくりしないで。なんてことはない可能性もあるんだから」
三人は廊下を歩き、廊下の突き当りまでやってきた。一番端の角部屋が、間宮の家だった。
「連れてきたよ」
義彦がドアを開け、中に向かって声をかけると、奥から女性の声で返事があり、左目の下を青黒く腫らした中年女性が玄関に姿を現した。義彦の母頼子だ。義彦が頼子に二人を紹介し、二人が自己紹介をして、あたふたと顔合わせが終わった。
「年も押し詰まっているというのに、わざわざ来てもらってごめんなさい。さ、上がってくださいな」
頼子が、二人を家の中へと招きいれる。
晃と和海の二人は、頼子の顔に残る痛々しい痣を見て、思わず同情して内心顔をしかめたが、一歩中に入った途端、全身が総毛立つ様な気配に包まれた。
「……怒ってるわ。わたしたちがここにやってきたことを」
和海のつぶやきに、晃もうなずく。
「……これは、荒れるかもしれませんね、本当に」
二人は、コートを脱ぎながら、周囲を見回した。怒りと、二人を拒絶する意思の気配だけがあたりを漂い、二人に纏わりついてくる。
和海は、頼子に義彦の姉のことを尋ねた。
「義彦さんのお姉さんが、人形を手放さなくなって様子がおかしいと聞いたのですが、どんな具合なのでしょうか」
「ええ、一週間ほど前でしょうか、あたしの姉が亡くなって、葬儀に行ってきたんですけど、そのときに、姉が昔から大事にしていた市松人形を見つけて……」
多くは、義彦から聞かされた内容と同じものだったが、人形が来てから、家の中に雰囲気がなんとなく変わり、どこか暗く陰鬱な感じになったという。ただ、さすがに今の拒絶の気配には、気づいてはいないらしい。