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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第二話 神隠し
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26.再戦

 そのとき、背筋に走った悪寒ともつかぬ感覚に、晃は思わず身震いした。これは、悪意だと思った。自分が命を落としたこと、他のものたちが生きていること、そういったことに対するただひたすらの憎悪。

 「どうしたんですか?」

 傍らの裕恵が、不安げな顔をして問いかける。おそらく、一瞬表情に出たのだろう。

 「大丈夫です。ここでのことではありません。このまま、脱出路を探しましょう」

 相手の不安を打ち消すように微笑むと、晃は再び歩き出した。

 (今のは……護り石を通して、現世の気配が伝わってきたんだ。あれは、ただ事じゃない。所長や小田切さんは、大丈夫だろうか)

 (ここで心配したところで、出口見つけなきゃどうすることも出来ないだろ。今は、出口を探すことのほうが先決だ。気になるだろうが、気持ちを切り替えろ、晃)

 遼に諭され、晃は周囲に気を配りながら、歩き続ける。

 あたりは相変わらず、焼け爛れたような地面が果てしなく続いている。晃のすぐ隣を歩いている裕恵は、無言のままややうつむいた姿勢で、懸命に不安を押し隠しているのがわかった。

 早く戻らなければ、と焦る気持ちを抑え、晃は気配の違いを探ろうと試みる。

 しばらくそのまま歩き続けていたが、急に求めていたものを感じて立ち止まった。ゆっくりと、その気配の出所を探る。

 それは、右手やや後方といった方向だろうか。明らかに、この世界とは異質な気配が、かすかに漂っている。

 「こっちです。この方向に、出口があると思います」

 晃が指し示すと、裕恵は落ち着かない様子で確認するように問いかけてくる。

 「本当に、出口があるんですか?」

 ただ茫洋とした、遥かな地平のかなたに朱赤のおぼろげな光が見えるだけの世界で、出口らしいものも見えていないのに、確信めいた言い方をする晃に、かえって不安がかき立てられているようだ。

 「気配があるのです。この世界のものではない、現世の気配が。すぐ近くではありませんが、近づくにつれて、よりはっきり気配を感じられるようになるでしょう」

 晃がそう答えると、裕恵はその口元にかすかな笑みを浮かべながら、つぶやいた。

 「……早見さんって不思議な人ですね。あたしなんか、いろいろなことがありすぎて、頭が真っ白になりかかっているっていうのに……。あたしより、年下とは思えない。本当に、不思議な人」

 「深山さんにも、言われましたよ。『年下と思わなかった』って。変に落ち着いているから、実年齢より上に見えるんでしょうね」

 晃が微笑みかけると、裕恵は先程よりはっきりと、笑みを浮かべた。

 「とにかく、行きましょう。出口を見つけて、脱出するまで、僕が責任を持ちますから」

 晃が裕恵を促し、二人は方向を変えてまた歩き出した。

 周囲は、相変わらず焼け爛れて何もない地面が続くが、晃の足取りは確かだった。進むにつれて、気配が強くなるのを感じていたからだ。

 二人で歩いていると、珍しく裕恵のほうから話しかけてきた。

 「……あたし、帰ったらなんて説明すればいいんでしょうね。正直に話しても、絶対誰も信じてくれないだろうし」

 「そうですよね。でも、深山さんならきっと、信じてくれると思いますよ。彼女が、あなたが消えた状況がおかしいからと、うちの探偵事務所に相談に来たのがすべてのきっかけですし」

 「……そうですよね。春奈なら、信じてくれる。最初に『誰かの視線を感じる』っていう話をしたときも、笑わないで最後まで聞いてくれた。春奈なら、きっと……」

 実際、深山春奈も、かなり危険な目に遭っている。その彼女なら、裕恵の異常な経験も、本当にあったことだと信じてくれるだろう。

 晃は裕恵に、どういう話し方をするにせよ、周囲からは一時孤立することになるだろうこと、実は春奈も心霊的な体験をしているので、やはり彼女が一番の理解者になってくれるだろうことなどを話した。

 「正直に打ち明けるにせよ、ごまかすにせよ、深山さんだけは、必ず味方になってくれるでしょう。あの人だけには、真実を話すべきだと思います」

 晃の言葉に、裕恵は納得したという表情になった。

 それでも裕恵は、春奈とは明らかに晃に対する態度が違っていた。異常な状況下に置かれ、心身が疲労しているということがあるのだろうが、わざわざ自分を助けに来てくれた美形の青年というだけで、普通はもっと晃に熱心になってもいいものが、どこか距離を置いているように感じる。

 (やっぱり、今の僕が人間離れした存在であることに、無意識に気づいているんだと思うな。遼さんの力を呼び込んだままにしてあるんだものね。彼女、多少は霊感あるみたいだし)

 (俺としては、お前のためにももう少し彼女といい感じになってくれるといいと思っていたんだが、状況が状況だし、しょうがないか。俺の力を呼び込んだり分離したりって繰り返すだけで、ある程度消耗するしな。しかし晃、わかってると思うが、今のお前の体力を考えると、俺の力を分離した途端に倒れるぞ。この状態を維持するだけで、少しずつ体力を失っていくんだからな)

 (わかってるよ、もちろん。帰り着くまで、このままでいるしかないこともね)

 (俺が支えるから、この力を呼び込んである限り、最後まで倒れることはない。だが、生身のお前の力には、限界が近づいてきている。そうのんびりともしていられないぞ。気絶したお前の代わりに、俺が体を動かすなんていうのは、あまりやりたくないからな)

 (そこまで行く前に、けりをつけるさ。出口に近づいてきた)

 不意に晃が、前方を指差した。まだかなり遠いものの、陽炎のように揺らぐ明らかに異質なものが、地面のすぐ上から細長く二メートルほどの高さにまで伸びていた。

 「あれが、出口なんですか」

 裕恵の問いかけに、晃はうなずく。そして同時に、緊張した面持ちで彼女の顔を見た。

 「……すべての元凶となる存在が、近づいてきています。今から走っても、出口に着く前に追いつかれるでしょう。ですから、わざと普通に進んでいきます。そのとき、僕と“やつ”とのやり取りを、見てはいけません。下手をすると一生のトラウマになります」

 晃にそう言われ、裕恵は顔をこわばらせる。しかし、晃は真顔だった。

 「あなたは、ただまっすぐ前を見て、普通に歩いていけばいいのです。そして、陽炎のように見えるあの場所までいったら、そこで待っていてください。決して振り返ってはいけません。何を聞いても、たとえ興味を惹かれるようなものがあっても、絶対に見てはいけない。いいですね」

 晃が念を押すと、裕恵は顔色を失ったままうなずいた。

 そして、二人はゆったりとした足取りで、出口に向かって歩き出す。無論晃は、背後から迫る圧倒的な威圧感を背中に感じていた。

 「持田さん、僕はここで立ち止まります。あなたはそのまま歩き続けてください。決して振り返らないように」

 裕恵にそう声をかけ、彼女の背中を軽く押して先に行かせると、晃は立ち止まり、せまり来る気配のほうに向き直った。

 陰気の塊は、いまや二メートル弱ほどのはっきりとした人型を取っていた。そして、その人型の中に、異様なものが“視え”た。

 まず“視えた”のが、あろうことか和海の姿だった。誰かと取っ組み合いをしているのがわかる。相手は、おそらく結城だろう。その目には、狂気の光が宿っていた。その和海と重なるように、旧日本軍の軍服を着た男の姿が“視え”た。

 そのとき晃は、総毛立つような狂気と憎悪を感じた。生きとし生けるものに対する、理由なき憎悪だった。

 こいつだ、と直感した。

 目の前にいる陰気の塊を生み出した、一番最初の芽は、この男の狂気だったのだ。狂気に囚われたままに命を失い、理不尽な憎悪を周囲に撒き散らしたこの男の思念が、すべてを生み出したのだ。

 この“異界”も、そこに縛られる空襲の犠牲者たちも、すべてがこの男が発端になっていた。ならば、この陰気の塊を鎮め、それを通じて和海に憑依しているあの男を祓い清めれば、すべては終わる。

 「……お前を、これ以上存在させるわけにいかない。ここで、すべてを終わらせる。これ以上、犠牲者を出すわけにいかない」

 陰気の塊は、再び不定形の姿をとり始める。先程受けたのと、同じ攻撃を警戒しているのだろう。

 だが晃は、陰気の塊を見据えたまま無理に動こうとはしなかった。

 「僕も馬鹿じゃない。同じやり方はしない。来るなら来るがいい。受けて立つ」

 陰気の塊は、挑発するように睨み付ける晃に、どう対処するかしばらく決めかねていたようで、明滅するように揺らめき、不規則に 形を変えていたが、やがて一気に伸び上がり、晃の頭上から襲い掛かった。

 晃はそれを素早くかわすと、“左腕”を水平に回すように叩きつける。霊気の腕は、陰気の塊を突き抜け、それを両断した。次の瞬間には両断されたところは繋がったが、相当の打撃になったらしく、陰気の塊は地面の上を、大蛇のようにのたうった。

 「どうした、それで終わりか」

 晃のその言葉に、陰気の塊は再び態勢を立て直し、突進してきた。

 身構えた晃の眼前で、それは二手に分かれ、晃の背後で繋がる。高さ一メートル半、直径一メートルほどの輪の中に、晃が閉じ込められる形になった。

 「これで、僕を閉じ込めたと思っているなら、それは甘いぞ。前に現世で一度包み込まれたことがあったが、あれだって“本気”になれば対処出来た。もうひとりいたから、“本気”を出さなかっただけだ。この言葉がはったりだと思うなら、やってみるがいい」

 陰気の塊が、自分だけに注意を向けるように、晃は相手を挑発した。


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