24.除霊
張り詰めた気配が支配する中、結城と和海は、ただ茫然としていた。
取り残された焦りと不安、現実に、気配に気圧されて身動きが取れないでいた自分に対する怒り、そういったものが入り混じった感情を抱えたまま、二人は晃が消えた写真パネルを見つめている。
「……所長。もし、晃くんが戻ってこなかったら、わたしたちはどうすればいいんでしょうか……」
「……想像したくもないな。確かに、最悪の事態としては、考えておかなければならないが、私も考えたくない」
結城は、改めて周囲を見回した。周囲の展示物からは、完全に活性化した妖気が溢れている。すべては、持ち主が今わの際に残した無念の思いや、周囲で死んでいった人々の怒りや悲しみが、今になって噴出してきたものだ。
「少なくとも、ここの妖気を祓っておかないと、後々余計に厄介なことになるかも知れん。覚悟はいいな」
真顔で告げた結城の言葉に、和海も表情を引き締めてうなずいた。
二人は互いに背中合わせになると、ゆっくりと深呼吸をしながら精神統一し、己の心を研ぎ澄ませていく。今までただの気配に感じていたものが、徐々に“素性”が透けて見えるようになる。
熱で形の崩れたガラスの文鎮には、品のよさそうな中年婦人の泣き顔が重なって“視え”た。明日が娘の婚礼の日だったのに、と訴えてくる。彼女の中で、時は“娘の結婚前夜”で止まっているのだ。
その向こうの焼け焦げた瓦には、五、六歳の子供を抱えた老人の姿が“視え”る。孫だけは助けたいと叫んでいる。しかし、二人とも助からなかったのだと、はっきりわかった。
奥の血染めの日章旗からは、旧日本軍の軍服を着た男が、無言でこちらをじっと見つめている。その眼差しは、諦めにも似た哀しいものだった。
他にも、形にさえなれないほどおぼろげな姿ですすり泣くもの、わめき散らすもの、どれもが、突然命を落とさなければならなかったものの無念を訴えているようだった。
「もし、少し運命が変わって、今の世の中に生まれ育っていたら、死ななくてすんだ人ばかりだな……」
結城のつぶやきに、和海も溜め息をついた。
「そうですね。可哀想と言ってしまってはいけないんでしょうが……」
「だがな、同情してはいかん。“ここにいる”ということは、成仏し損ねてしまったということなんだ。彼らを哀れと思うなら、いっそ引導を渡してやらなければならん。別に神や仏に仕えているわけではないが、生まれ持ったこの力で、あの世へ導いてやることは出来る。それが我々の仕事だ。わかっているな」
「わかっています」
二人は、互いに呼吸を合わせて念を込め、多くの亡き者のために祈り、霊界への道筋を見出そうと試みた。
晃が参加して以来、その能力の高さに甘えて、久しく二人ではやらなかった霊を送るための儀式が、これから始まる。
二人で息を合わせ、まったく同時に同じ言葉を紡ぎ出す。
「我ら真摯に願い奉る。すべてのものが、いるべきところに向かい、鎮まるべきところに鎮まることを。我ら真摯に願い奉る。彷徨えるものが安息を得、迷えるものが導かれることを。彷徨える御霊が、黄泉の国と至れしことを」
二人は、互いの精神を同調させるべく、背中を合わせた。衣服を通して、互いの体温を感じる。
「すべての御霊が、いるべきところへ」
二人の声が同調する。
「向かいたまえ、向かいたまえ」
二人の言葉が、展示室の中にこだまする。霊たちの安らかなることを強く願いながら念じる二人の口から、我知らずこぼれ落ちていく。それは言霊となり、強き呪法となった。
二人の声が響くにつれて、か細き存在から少しづつ消えていく。しかし、すべての存在が消えたわけではなかった。より強い想いを残したものたちは、なおもそこに留まりながら、二人に向かって訴え続けている。
「……この程度の呪力では、効かないものも出てくるか」
結城が、額に滲んだ汗を手で拭った。和海も、大きく息を吐いた。
二人の耳に、より一層大きなすすり泣きの声が聞こえてくる。振り向くと、乳飲み子を抱いた母親が、泣いている姿が“視え”た。
その向こうでは、老人とその孫がうずくまっているのが“視え”る。軍服姿の男も、こちらをじっと見つめ続けている。
「もう一度、もっと力を込めていくぞ。乗りかかった船だ、途中で放り出すことは許されんからな」
「わかっています」
二人はもう一度、息を合わせる。そして、先程よりも大きな声で、再び言葉を発した。
「我ら真摯に願い奉る。彷徨える御霊がいるべきところへ、黄泉の国へと至れしことを」
二人の額に、またも汗がにじみ出る。
「向かいたまえ、向かいたまえ」
より強く念を込め、成仏を願って発した言葉は、より強い言霊となって周囲に満ち溢れる。そのとき、和海はふと、自分の意識が遠くへ持っていかれるような気がした。
そのとき和海に“視えた”のは、険しく細い山道だった。昼のようにも、夜のようにも感じられる。うっそうと生い茂る木々が、おそらくは昼なお暗いであろうその道を、一層暗くしていた。そして、和海の意識は何故か、この山を登りきった先に花畑があり、その向こうに河が流れていることを、おぼろげに感じていた。
それはおそらく死出の道。山を登りきってしまうことは、命に関わることになると感じ取れる光景だった。
引き返そう、と和海が思った刹那、自分の背後から、先程“視た”幾人かの人々が、まるで追いかけてくるように登ってくるのが目に入った。
和海は素早く道の脇によって伏せ、人々に道を開ける。下からそっと見上げると、先頭を行くのは、軍服を着た男だった。その次に乳飲み子を抱えた若い母親、品のいい中年婦人、孫を背負った老人と続き、その後ろにおぼろな影がさらに連れ立っていく。
和海の意識はそこで真っ白になり、ふと気がつくと展示室の天井を見上げていた。
大きく安堵の息をつくと、結城が叱咤の声を上げる。
「まだ安心するな。今ので大半のものが成仏したが、まだ残っているものがいる。私もまさかと思ったが、思いの深さが違ったようだ。……悪いんだが、“依り代役”を務めてくれないか」
和海が、結城の示すほうを見ると、旧日本軍の軍服を着た男が、うずくまっている。先程、幻影の中で山を登っていった男とは、明らかに別人だった。
あの男の目は悲しみに揺れていたが、そこにいる男はすべてのものを憎悪する激しい感情に支配されていた。
二人は直感した。この展示室を、あのような雰囲気にしていたのは、この男が邪気を発していたからだったのだ、と。
「もしかしてとは思うんですが、彼が“陰気の塊”を生み出した存在なのでは……」
「可能性は否定出来んな。あいつの真意を摑むためにも、危険だが“依り代役”をやってくれ。何かあったときには、死ぬ気で除霊する」
しかし、和海はあからさまに不信感を見せた。