22.救出
「すべての元凶はお前だな。いつまでも付きまとっていないで、去るべきところへ去れ」
晃が“左腕”で指を差し、その“指先”に念を込める。“指先”から、青白い炎のような光が揺らぎ、それが一気にのびて目の前のもやもやと揺らぐ黒い塊を貫いた。
それが相手の予想を凌駕する攻撃だったことは、その塊がまるで明滅するかのように激しく揺らぎ、その“身”をよじらせることで想像はついた。
しかし晃は、“左腕”を一気に真横に振り、陰気の塊もろとも振り回し、かなたへと放り出した。
「すごい、お兄ちゃんすごい」
花子が、眼を丸くしながら、晃に飛びついてきた。
(ここが現世ではないからって、力を使いすぎるな。俺の力を分離したとき、立っていることも出来なくなるぞ。ここで力を使うと、増幅される感じがするが、その代わり消耗も激しい感じだぞ))
(わかってる。今のだって、全力で振り切ったわけじゃない。当座の時間稼ぎだ)
晃は花子を促して、『花子の家』に近づいた。離れたところからは靄の塊のように見えたものが、近づくにつれてぼんやりと家の輪郭が見え始める。
(ここは……本当に花子ちゃんの“夢の家”だ。ここだけは、焼け爛れたほかのところとは違う。寂しくて哀しいけれど、とても温かな気配がある。自分が死んだことに気がつかないまま、家族の温もりを求めてこれを“創り出した”んだ……)
晃はかがみ込むと、花子をもう一度抱きしめる。
「……寂しかったんだよね。だから、あのお姉ちゃん、ここに連れてきちゃったんだよね……」
晃は花子を“抱き上げ”ると、家の前に立った。そして、引き戸に手をかける。
引き戸は、意外に重かった。サッシの軽い引き戸の感覚しかなかった晃には、かなりの手ごたえとなる。“立て付けの悪い”とはこういうことを言うのだと、晃は体得した。
これもまた、花子にとっては思い出の中の家の姿なのだろう。
晃は軽く溜め息をつくと手を離し、引き戸を見つめた。引き戸は、かすかに何かがこすれあうような、少し耳障りな音を立てながら、ゆっくり開いていく。
入ってすぐは土間になっていて、ブランド物のパンプスが一足、きちんと揃えて置いてあった。木で出来た小さな上がり口があり、その奥には擦り切れた畳が敷かれた部屋になっていて、使い込んで角が丸くなった古い箪笥があり、部屋の真ん中に置かれた卓袱台の向こう、ちょうどこちらを向いて、ひとりの女性が座り込んでいた。
見るからに生気がなく、表情が失われているが、写真で見た持田裕恵に間違いなかった。
「持田裕恵さんですね」
晃が問いかけても、ぼんやりとしたままで反応がない。晃は、自らも靴を脱いで畳の上に上がると、花子を“降ろして”持田裕恵に近づいた。
「持田さん、大丈夫ですか。しっかりしてください。助けに来ました」
晃は、右腕で彼女の肩をそっと揺さぶった。それではじめて反応があり、裕恵はゆっくりと晃のほうを向いた。
「……助けに……来た……」
裕恵が小首をかしげる。ほとんどオウム返しの状態だ。
「助けに来ました。一緒に帰りましょう」
もう一度、じっくりと言い聞かせるように話しかける。
「……帰る……帰る……」
不意に、ガラス玉のようだった瞳に生気が戻る。その途端、裕恵の目から見る見る涙が溢れ、両手で顔を覆ってしまった。
「……怖かった。怖かった……」
その有様を見て、花子がぽつりとつぶやいた。
「……お姉ちゃん、泣いちゃった。『怖かった』って、泣いちゃった……」
花子もまた、泣き出しそうな顔になった。自分が怖がられていたことに気づいたようだ。
「……花子ちゃん、本当に行くべきところに行きなさい。僕が、送っていってあげるから。さあ、おいで」
晃は花子に向き直ると、花子に向かって腕を伸ばした。花子は戸惑ったまま、呆然と立っている。
晃はそのまま花子を“抱きしめる”と、目を閉じて脳裏に霊界への道筋を思い浮かべる。自分も半ば辿りかけた道だけに、それは思 いのほか滑らかに浮かんできた。
仄明るい大地に、見渡す限りに咲き乱れる花畑の中を通る一本の細い道。その花畑の尽きるところに、滔々(とうとう)と流れる河がある。 その向こうに、死者たちが行くべき黄泉の国がある……
そして、眼を開いて花子の瞳を覗き込む。
「花子ちゃん、僕を通して見えるはずだよね。行くべきところ。きっと、待っている人がいる。花子ちゃんが来るのを、心配しながら待っている人が。きっと、ここにいるより寂しくないよ」
「本当に?」
花子が、不安げに首をかしげる。晃は、元気付けるように微笑みかけた。
「本当だよ。だから、安心して逝きなさい。あの真っ黒な人たちや、怖いもやもやも、もう追いかけてこなくなるよ」
それを聞き、花子は目を輝かせた。
晃は、花子の行く道を脳裏に浮かべ、彼女を誘導した。脳裏に浮かぶ光景の中に、花子の姿が現れる。
お花畑を歩いていく花子は、やがて現れた河を、まるで浅瀬で水遊びをするかのように水飛沫を上げながら駆け抜けた。
「お祖母ちゃん」
さすがに晃には見えないが、向こう岸に祖母の姿を見たらしい。最後に一度振り返って、ありがとうと笑いかけ、花子は向こう岸へと走っていった。それと同時に、今まで感じていた花子の気配が感じられなくなる。
花子が成仏したのを確信して、晃はまだしゃくりあげている裕恵に向かって、再度声をかける。
「持田さん、あの子は成仏しました。もう、あなたの前に姿を現すことはないでしょう。本当は事情を聞きたいところなのですが、一刻も早く、ここから出たほうがいい。さあ、行きましょう」
“家”を支えていた花子が去った今、“家”は急速に実体を失いつつあった。晃は裕恵の手を取ると、半ば強引に立たせて鞄を持たせると、玄関の土間へと引っ張っていく。二人で急いで靴を履き、外に出ると、“家”は内側に崩れるように形がなくなり、見ている前で消滅した。
裕恵は、その有様をただ茫然自失となって見つめていた。
「これからが本番ですよ、持田さん。ここから、脱出しなければなりません。僕が責任を持って必ず元の世界へ連れ戻して差し上げますので、指示に従ってください」
裕恵はしばらく晃の言葉が耳に入らないようだったが、やがて我に返ったようで、はっと晃のほうを振り返る。
「……あ、あなた、誰ですか……。何故、あたしの名を知っているんですか」
晃は、裕恵を安心させる意味もあって、にっこりと笑いかけながら告げる。
「僕は、早見晃と申します。探偵事務所のアルバイト所員で、深山春奈さんからの依頼であなたを探していました。これから帰りましょう」
「春奈……春奈に会ったんですか」
「会いました。あなたのことを、大変心配していました。それで、こちらに捜索依頼があったのです」
裕恵はそれを聞いて少し落ち着いたらしく、改めて晃の顔を見つめた。あたりは薄暗いが、それでも晃の美貌には気がついたようで、一瞬目を見開くのがわかった。
しかし、顔を見た途端に頬を染めたりはしゃいだりすることもなく、どこか困惑したような、見ようによっては怯えているような雰囲気にも感じる。
「どうしましたか。僕の顔に、何かついていますか」
晃の問いかけに、裕恵は心なしかこわばった表情で言った。
「あ、あの……なんだかあなたが、幽霊みたいに感じるんです。ずっと、こんな変なところにいるから、そう感じるのかもしれないんですけど……」
「気のせいですよ。ほら、これが幽霊の手ですか」
晃は右手で、裕恵の左手を握った。
「……暖かい。生きている人の手ですね……」
裕恵は安堵の表情を浮かべるが、晃は内心複雑だった。遼の力を呼び込んだままの状態だったことに、裕恵が気づいていたようだったことがわかったからだ。そのあとに、なんとか誤魔化せたとは思うのだが。
(この人は、やっぱり少しは霊感があるんだね。今の状態の僕が、普通じゃないことに気がつきかけてた……)
(まあ、やむを得ないだろう。こんな世界にいるってことで、全部悪い夢だと思ってくれるさ。現世に帰って、いつもの生活に戻ればな)
(そうだね。今は、一刻も早く、脱出することを考えないと)
晃は気持ちを引き締めて、裕恵に語りかける。
「持田さん、先程も言いましたが、これからが本番です。これから、ここを脱出しますが、そのときに必ず、僕の指示に従ってください。どんなことが起こっても、勝手な行動はしないでください。もし、自分勝手な行動をされると、脱出出来なくなるばかりでなく、あなたの身の安全も保証出来なくなります。いいですね。約束してください」
そう念を押すと、晃はそのまま裕恵の手を引いて、ゆっくりと歩き出した。