18.オーナー
「あの資料館、ビルのオーナーさんが開設したんですって。それで、この近くに住んでいるっていうことなので、これから会ってくれることになりました。行きましょう」
和海の言葉に、結城も晃もうなずいた。和海が、電話で指示されたとおりに通りを一本裏に入ると、三階建てのこじんまりとしたビルが見つかった。住宅地とオフィス用の雑居ビルが入り混じる中で、住宅地の中に食い込むようにひとつ立っているそのビルは、古ぼけて不可思議な気配を漂わせている。
「……所長、小田切さん、なんとなくですが、ここ、おかしな気配を感じるんですが」
ビルを見つめながら、晃がつぶやく。それを聞いて、結城も和海もぎょっとした。言われた二人も、念を凝らすとやはり妙な気配を感じる。
ビルの中から、本当にかすかな気配が漏れ出している。しかし、入らないわけに行かないので、三人はゆっくりとビルの入り口に立った。
案内板を見ると、二階、三階は普通の会社名が入っているが、一階は個人宅らしい。そこに、オーナーが住んでいるようだった。
エレベーターの脇から、奥に入る通路が延びており、その通路の先に明らかに一般の住宅に使われるタイプの玄関ドアが現れる。先程から感じていた妙な気配は、この玄関ドアの向こうから漂っている気がした。
和海が一瞬ためらいながらも、チャイムを押す。二呼吸ほどの間があいて、インターホンから年嵩の女性の声がした。
「はい、どちら様でしょうか」
「先程、電話を差し上げたものですが、林田政之助様にお取次ぎ願えますでしょうか」
「はい、少々お待ちください」
ここでまた、数十秒の間があいたあと、再びインターホンから声がした。
「今、ドアを開けますので、お待ちください」
そして、ドアが開けられる。そこには、六十代と思われる痩せぎすの女性が立っていた。着ている服は、ひとつひとつは上質と思われるものの、組み合わせが悪いために野暮ったく見えるような感じだ。その女性は、三人の顔を興味深げにしげしげと見つめた。おそらく、繋がりのよくわからない集団に見えたに違いない。
「夜分遅く、申し訳ありません。わたしたちは、戦時中の人々の風俗や習慣を調べている研究サークルで、こちらで資料館をお持ちだと聞きまして、ぜひ見学させていただきたいと、伺ったのですが」
和海は、ひとまず身分を隠してそう言った。
「はい、こちらへどうぞ」
女性は、愛嬌を振りまくでもなく、かといって素っ気なくもなく、三人を中に導きいれた。一歩入った瞬間、三人は、“ここには生を断ち切られた人々の無念の思いが残っている”と感じた。危険を感じるほどではないが、出来れば鎮めておいたほうがいい類のものだ。
玄関でスリッパを勧められ、廊下を歩いてすぐの応接間らしいところに通されると、そこで待つように言い残し、女性は一旦部屋を出る。
応接間は、広さは六畳ほどで、中央部にはいかにも高価そうな黒い本革張りのソファーセットが置かれ、周囲にはアンティークと思われる壷やガラス製のランプなどが、ところどころに置かれている。
「思いのこもったものは、ここにはありませんね」
小声で告げる晃に、二人もうなずく。
「だからといって、依頼も受けていない他所様の家を、勝手に調べるわけにはいかんからな。もうすぐ、主であるオーナーが来るから、ひとまず待っているしかない」
ソファーに腰を下ろしながら、結城が頭を掻いた。
「そうですね……。あ、足音が」
和海と晃が、結城の左右に腰を下ろした直後、先程の女性に付き添われて、かなりの高齢と思われる老人が姿を現した。
ワイシャツの上にベージュ色のカーディガンをはおり、グレーのスラックスを穿いている。頭髪はすっかり薄くなり、歩みもゆっくりになっているが、その眼差しにはまだまだ力があった。しかも、背後には輝くように見えるほど霊格の高い守護霊がいる。
「わしが、林田政之助ですが」
三人が座った真向かいのソファーの真ん中に腰掛けると、老人が口を開く。
「資料館をごらんになりたいという話でしたが、急に申し込まれてもわしもこの通り年で、案内もままなりませんでな。今日の見学は、残念ながらお断りせねばなりません。明日の今頃来てくだされば、ご案内出来ますが」
出来れば急ぎたい三人だったが、事情を知らない人に無理強いをするわけにもいかず、かといって、事情を説明してわかってもらえるような事象でもなく、やむなく明日もう一度来るということで、見学予約をした。そこへ、先程の女性が、お茶を入れて運んできた。聞けば、林田の末の娘だという。
「そういえば、どういういきさつで、資料館を開設なさったのですか」
何気なく結城が問いかけると、林田はそれはいい質問だとばかりにうなずくと、話し始める。
林田は、自分は南方戦線の生き残りだと話した。東南アジアの島々を転々として、自分は何とか生きて帰れたが、戦友の多くは現地で戦病死した。その体験を胸に秘め、戦後がむしゃらに働いて、いくつものビルのオーナーとなり、悠々自適に暮らせるようになって、かつての戦友たちに対して申し訳ないという気持ちが高じて、それが抑えられなくなった。
そこで、二度とこのようなことを体験する人が出ないよう、当時の資料や物品を集めて展示し、戦争を知らない後世の若い人たちのために、資料館を作ろうと思い立ったのだという。
「老い先短い年寄りの、せめてもの罪滅ぼしのようなものですわい」
そういって、林田はゆっくりとお茶を啜った。
(爺さんの志は立派だが、展示の方法にはちっとばかり問題があるんだよなあ。あれ、何とかしないと、そのうち妖気が外へ漏れ出すぞ)
(霊感のない人じゃ、“もの”が持つ妖気はわからないよ。しかもその妖気が直接あの人に向かわない限りは、あの人は気づかない。しかもあの人、かなり強力な守護霊を背負ってるから、ちょっとやそっとの妖気は受け付けないからね)
(“霊感がない”って人には二種類いる。本当に何も感じない人と、背後にいる存在が強すぎて、霊を寄せ付けないので体験しないって人。この爺さん、典型的な後者だな)
(だからこそ、戦場から無事に帰ってこられたのかもしれないね)
(だな)
三人は、もう一度明日の再訪を約束すると、林田とその娘に見送られ、外へ出た。玄関ドアの奥からは、ずっとかすかな気配が漏れ続けている。それでも、手の出しようがなく、三人はやむなく資料館があるビルへと、来た道を戻っていく。
「あの気配、気になるんだけど……。どうしようもないですよねえ」
和海が肩をすくめる。
「まさかいきなり、『自分たちは霊能者です。怪しい気配を感じるので、霊視させてください』などとは言えん。それこそ、これ以上ない胡散臭さだ」
結城が、苦笑交じりに溜め息をついた。
「あれだけ強い守護霊を背負っているから、本人は何があっても大丈夫でしょうが、周りの人が、厄介なことになるかも知れませんね」
晃の言葉に、結城も和海も素直にうなずく。
「そうね。あんな強力な守護霊なら、あの陰気の塊でも手出し出来ないわ、きっと」
「そうだろうな。だから、張本人は無事なんだ」
そうして歩くうち、資料館のあるビルまで戻ってきた。下の階の会社は、どうやら社員が帰ったらしく、最初に来たときにはついていた明かりが消え、真っ暗になっている。
三人は、真っ暗なビルをしばらく眺めていたが、不意に和海がとんでもないことを言い出した。
「ねえ、入り口まで、行ってみません。そこに、非常階段があるでしょう」
そういって指差す先には、確かにビルの壁面にへばりつくようにして、非常階段が地上から四階まで伸びている。
「おい、本当に行くのか。あれは踏み板が鉄板だぞ。今は夜で、周りが静かだから音が響いて不審に思われるぞ。警察に通報されたらどうする。言い訳はきかんぞ」
結城が、呆れたように和海の顔を見た。
和海としても、ちょっと思いついたことを言ってみたといった程度だったらしく、すぐに諦めの表情を浮かべる。
「いい思い付きだと思ったのに……。でも、確かに足音は響きそうですよね」
「……なんとなくですが、あの四階には、とんでもないものがあるような気がします。あの家にあったものより、おそらく強烈なものが大量にあるはずですから」
晃のつぶやきを聞き、結城と和海は表情をこわばらせながら顔を見合わせた。