17.実働
次の日、晃は講義が終わるのももどかしく、結城探偵事務所へと急いだ。自宅には、用事で遅くなるので、当分夕食はいらないと断りの電話を入れてある。その代わり、終電の時間までには帰ってくるように、と母から厳重に釘を刺された。
時刻は、午後六時になろうとしている。バスに乗ろうと駅前にやってくると、見覚えのある淡いクリーム色の軽自動車が、駅前ロータリーの隅に止まっているのが目に入る。もしやと思って近づくと、そこにはやはり、和海が乗っていた。
「迎えに来たのよ。乗って」
和海が、助手席のドアを開ける。晃は一瞬面食らったが、すぐに気を取り直して車に乗った。
「よく、僕がこの時間に帰ってくるとわかりましたね」
シートベルトを締めながら、晃が問いかける。和海はくすりと笑った。
「受験生の関係者のふりして、カリキュラムのスケジュールを大学に問い合わせたの」
「そういう手できましたか」
和海は、晃がシートベルトを締めたのを確認すると、車を発進させた。しばらく道路を走りながら、ふと思い出したように、和海が口を開く。
「……そういえば、昨夜は驚いたわ。例の集団がまた現れたかと思ったら、ほとんど何もしないまま消えてしまって、なんだろうと思っていたら、晃くんから電話があって。そうしたら、わたしたちに渡した護符代わりの護り石を通して、女の子を霊視して、名前まで訊き出したって言うんだもの。その背後に、ビルが見えたとまで言うんだもの。本当に、実力の違いを思い知らされたわ……」
晃は、かぶりを振った。
「たまたまですよ。小田切さんだって、調子のいいときと悪いときがあるでしょう。それに、その前の日も、間接的に対峙してましたし、ちょうどいい条件が重なったんですよ」
「そうかしら」
和海は、すんなりとは納得しなかった。やはり、自分も能力をもつ身であるだけに、晃との実力差は相当のものがあると、自覚しているのだろう
「晃くん。謙遜しなくていいのよ。あんまり謙遜しすぎると、嫌味になりかねないわよ。そこがあなたの、ちょっと悪い癖ね」
「……はい」
やがて、車は事務所に到着し、和海は器用に車をガレージに入れた。
車を止めてサイドブレーキを目いっぱい引き、エンジンを切ると、キーを抜いて晃に声をかける。
「さあ、所長がお待ちかねよ。昨日の霊視の結果、詳しく教えてほしいんですって」
晃はうなずくと、ドアを開けて外に出る。和海もすぐ後ろに続き、二人はほぼ同時に事務所の玄関ドアの前に立っていた。
玄関ドアを開けて中に入ると、まだ姿が見えないというのに結城が声をかけてくる。
「待っていたぞ、早見くん。さ、早く話を聞かせてくれないか」
晃は半ば呆れながら、事務所の中に入る。すでに結城が、自分のデスクから立ち上がって出迎えの体勢になっていた。
「所長、気合入りすぎですよ」
晃は苦笑しながら、結城の元へと歩み寄る。
「しかしな、我々が緊張の余り霊視も何もなかった状態で、きちんと“視て”いたというのはやはりすごいことだ。とにかく、詳しい話を聞かせてくれ」
結城としても、晃の霊視の結果は重大な手がかりになると考えているので、早く詳しい話を聞きたいらしい。
晃は、前後の状況に矛盾が起きないようにしながら、渡部花子のこと、背後に“視えた”ビルの特徴など、詳しく説明した。特に、ビルはきちんと調べ出してほしいので、どういう名前のビルであるかとか、一番有力そうなテナント会社の名前まで、晃は話した。
「……なるほどな。それだけ特徴がわかれば、ビルが特定出来るかも知れん。調べてみよう」
結城はさっそく、『会社名鑑』と書かれた分厚い本を資料棚から引っ張り出すと、あたりをつけてページを開き、調べ始めた。
「ネット上で調べる方法もあるんだが、どうもそういうのは嫌いでな。やはり、こういうもので調べたほうが、落ち着くんだ」
そう言いながらページを繰る結城の手が、あるところでぴたりと止まった。
ここがそれらしいといいながら指し示した会社は、晃の記憶にある会社の名前と同じで、その住所の中に、会社が入っているらしいビルの名前が入っている。それもまた、晃の記憶と一致していた。
「確かに、ここが一番それらしいですね。行ってみますか。まだ遅い時間ではないですし、誰かに話が聞けるかもしれません」
晃がそう言うと、結城もうなずいて立ち上がる。それを見ていた和海が、さっそく本に書かれた電話番号をメモし、カーナビに入力するために一足先に車へと向かった。
結城と晃もあとに続き、電話の設定を留守番電話にし、戸締りをして皆で車に乗り込んだ。
ちょうどそこで、結城は今日の昼間、持田裕恵の先輩だという森川翠に聞いてきた話というのを、教えてくれた。
「なんでも、行方不明になる一週間ほど前に、戦争に関する展示を見てきたらしい」
晃は内心息を飲んだ。これから行くところには、そういうものを扱う資料館がある。
「どうやら、会社の帰りがけに、以前から電車の広告で見かけていた博物館の特別展示を見に行ったようだ。それから様子がおかしくなったのは、間違いらしい」
電車に広告を出すなら、ちゃんとした博物館だ。そこの特別展示だというなら、これから行くところとは直接の関係はないだろう。ならば、どういう繋がりなのだろうか。
そこへ、和海が声をかけた。
「そろそろ出発しますよ。夕食は、途中のコンビニで何か買うから、適当な場所を見つけるか、車内で食べましょう」
「もう少し、ましな食事にせんか。ファミレスぐらいあるだろうに」
「時間的な問題ですよ。ファミレスだと、時間がかかるでしょう」
「僕なら、ラーメン屋や牛丼屋でもいいんですけど……」
微苦笑しながら後部座席で挙手する晃の姿に、和海もさすがにコンビニ弁当はやめることにした。
そして駅前の牛丼チェーン店であたふたと夕食を済ませると、三人は問題のビルを目指して車を走らせる。住宅地を抜け、繁華街の傍らを抜け、オフィス街の外れに近いところにあるビルの前で、カーナビが案内を終了した。
近くの路上に車を一旦止めると、三人はゆっくりとビルに近づいていく。テナントを示す案内板が目に入るところまで来て、結城が素っ頓狂な声を出した。
「なんだ、このビル……資料館だと!?」
結城が指し示した案内板には、四階のところに『戦前・戦中の資料館』〈要予約〉と書かれており、電話番号が記されている。どう考えても被害者が行った場所ではないということで、皆の意見は一致した。
「ここに電話して予約を取ると、資料館に入れるようになるっていうことかしら」
和海が、電話番号をメモしながらつぶやく。
(何とか、ビルまで来られたな。あとは、問題の資料館に入ってもらわなければ。入ってみれば、異様さはすぐわかるだろうがな、この二人なら)
(妖気に驚くかもしれないけど。この中にあるものは、ただごとじゃない状態だものね)
(いろんなものが、凝ってるからな。窓越しに見ても妖気が漂ってるのが“視えた”から、中に入ったらどうなるか、だが……)
(入ってみなければわからないけど、すがり付いてくる可能性もあるんだよね。どうしたもんかな……)
(まあ、頭で考えたところで、しょうがないだろう。それに、いつ入れるかは、この二人の交渉次第だろうが)
そのとき、和海が先方に電話をかけたらしく、スマホで話しはじめた。探偵事務所の人間であることを隠し、見学させてほしいと交渉することしばし、五分ほどで話がまとまり、和海は電話を切った。