26.呼びかけ
ほどなく、額を汗で光らせながら、次々と晃の前に姿を現す、見知った顔。
昭憲と笹丸を先頭に、結城、雅人と万結花、和海、法引が、霊能者組はヘッドランプを頭に、背中にリュックサックを背負って。雅人は懐中電灯を手に、息を弾ませながら近づいてきた。
一応、雅人と万結花を大雑把に囲む体制が取られており、霊能者組は白木の霊具を手にしていた。この形は、神社めぐりの時にも使われた、簡易的な結界を形作るものだ。
まさか、禍神の本拠地の間近まで、万結花が来るとは思わなかった。
リスクが高いはずなのに、と思ったが、雅人に付き添われてここにやってきた万結花は、真剣な表情で晃のほうに顔を向けていた。
無論、他の者たちも同様だ。
「晃さん、どうして、誰にも言わずに行こうとするの? 置いてけぼりにされたあたしたちが、どれだけつらく寂しい気持ちになるか、わかるでしょ? 行かないで! あたしの側にいてほしいの!」
万結花が、叫ぶように訴える。
「早見! お前自己完結してんじゃねえよ!! ここに居るみんな、どれだけお前のこと、心配してたか! わかってるだろ!? わかってて、これかよ!!」
雅人の顔には、怒りに近い感情が浮かんでいる。
「早見くん、私たちは、まだ諦めてはいない。禍神を封じる方法を、探し続ける。君にこれ以上、負担はかけられない。とにかく、帰ろう。車の座席には、君の分の席もある」
結城が、真顔で告げてくる。
「晃くん、お願い戻って! まだ、引き返せるはずだわ!」
和海の顔は、泣きそうに歪んでいた。
「早見さん、わたくしたちの力不足はいかんともしがたい。それは重々わかっております。それでも、あなたが犠牲になることはないのです。あなたが、消える必要などないのです」
法引の顔も、激情をこらえているかのようだった。
(晃殿、我はまだ、そなたの側で今の世を見ていきたいのだ。思いとどまってほしい)
笹丸も必死に呼びかけてきた。
「早見さん、オレはこの中では一番縁が薄い人間だけど、それでも敢えて破滅の道に進もうとしてるのを、見過ごすわけにいかない。おやじたちに免じて、戻ってきてくれ!」
昭憲も、懸命に語りかけてくる。
誰も皆、晃を引き留めるためにここに来たのだと、態度で示していた。
(あるじ様、いなくならないで。ずっと、一緒にいて)
晃の胸にしがみついたまま、アカネが頭をこすりつけてくる。
(……晃、お前本当に行くのか? これだけの人が、お前を案じてここまで追いかけてきてくれたんだぞ。みんなと一緒に帰るって選択肢も、あるんだぞ?)
遼が、晃の意思をもう一度確認するかのように、問いかけてくる。
(遼さん、僕の心はもう固まっている。わかるだろう?)
晃は、改めて皆のほうに向き直った。
「……追いかけてきてくれたことは、嬉しく思います。だけど、僕はもう取り返しのつかないところまで、穢れが溜まっているはずです。人でいられるのも、あとわずか。だから、人でいられるうちに、僕は自分が出来る最大限のことをしたいんです」
そういって、晃は微笑んだ。
アルカイックスマイルではない、人間らしい優しい微笑み。
誰もが、息を飲んだ。
皆が言葉を失っている間に、晃は瘴気漂う前方に目をやった。
そして、アカネを地面に降ろすと、歩き出そうとする。
その背中に、必死の叫びが届いた。
「晃さん! あたし、待ってます! あなたが、帰ってきてくれるのを!!」
万結花の声に、晃の歩みが一瞬止まりかける。それでも、気を取り直したように、晃は歩き始める。
「早見くん、私たちは、ここで待っている! 君が帰ってくるのを!」
「晃くん! 必ず生きて帰ってきて! 信じてるから!!」
「早見さん! 瘴気の漂う場所には、わたくしたちは入れません。だから、ここで待ちます! 帰ってくると、信じて待ちますから!」
「早見! 絶対帰って来い!! お前が帰ってくるまで、おれたちはここを動かないからな!」
「早見さん、オレは、もっとあなたが知りたい。もっと、いろいろ話したい。だから、帰ってきて!」
(晃殿、諦めてはいけない。人ではなくなったとしても、心は残るかもしれぬではないか! 心が残っているのなら、帰ってきてほしい)
(あるじ様! あるじ様いなくなったら、わたいつらい。悲しい。いなくなっちゃいやだ!)
自分が帰ってくることを望む声を背中に聞きながら、晃は次第に濃くなっていく瘴気の中を、言葉もなく進んでいく。
後ろ髪引かれるものが、ないわけではない。
だが、本当に今更だった。
人ではなくなった時、自分はどうなるかわからない。
だからこそ、終わらせるために行くのだ。自分の狂った姿を見せたくはないし、ましてや巻き込みたくなどない。
誰も追いかけてこない理由も、わかっている。
誰も、追いかけたくても追いかけてこられないのだ。
皆がとどまっている辺りまでが、瘴気の影響を受けずに済むギリギリのライン。あれ以上踏み込めば、瘴気の影響を受けてしまう。
自分のように、瘴気に対する耐性があるわけではない。
考えてみれば、普通なら耐えられない濃度の瘴気の中に突っ込んでも、平然としていられる存在が、人間であったはずはないのだ。
だから、これでよかったのだ……
(……晃、今ならまだ間に合う。引き返せ)
遼の声がする。
しかし、晃はそれを無視した。
それからしばらく、休み休みながら歩き続けた。
辺りに漂う瘴気の濃度が、どんどん濃くなっていく。
生暖かい風が吹く。どこからか、獣が唸るような、あるいは悲鳴のような、そういう“音”が聞こえてくる。
瘴気とともに、妖の気配もあちこちに感じられるようになる。
これから遭遇するだろう妖は、すべて禍神の手のモノだろう。
ならば、手を出さないならかろうじて見逃すが、立ちはだかるなら容赦はしない。
瘴気にかすむ前方に、微かに祠のようなものが見えてきた。瘴気は、あそこから流れ出しているようだ。
そこへ、ゆらりと姿を現したものがいた。
一体は、二本の足で立ってはいるが、その姿は明らかに獣のそれ。人と変わらぬ大きさをしたそれは、年老いた猫が人に化け損ねた様な姿。
わずかに、死臭がこびりついたような臭いがする。
他には、僧侶のような服装をしているが、頭が妙に大きく、全体として身長が三メートル近い妖が二体。以前も、戦ったことがあるいわゆる“入道”と呼ばれるモノだろう。
猫のような妖が、前足を振り上げて晃を威嚇し、入道どもは錫杖を振りかざした。
「……邪魔するな」
言うが早いか、晃は一気に本性を現す。
朱いその眼は、奥からかすかに同じ朱い光を発しているようで、それを見た妖どもは、明らかにひるんだ。
それでもその場を動かない妖どもに、晃は<念動>でわずかに体を浮かせ、まるで滑るように距離を詰めた。
慌てて逃げようとした妖どもに、晃はその左手を振るう。
一撃で、その猫のような妖は消滅した。
左手の爪は、明らかにニ十センチを超えている。
さらに、返す刀のごとく、さらに左手の爪が、入道の一体を引き裂くように走った。
入道の体が分かれかけ、消えていく。
もう一体の入道は、錫杖を振り回したが、晃は錫杖をあっさりと受け止め、次の瞬間跳ねのけると、左手の爪を突き出した。
爪に貫かれた入道は、あっさりと消えていった。
晃は改めて、前方を見据えた。
「……あの祠が、本拠地なんだろうな……」
それならば、躊躇うことなど何もない。
晃は瘴気を発するその祠に向かって、そのまま宙を飛んで移動した。
祠の目の前までくると、明らかにそれが破壊されているのがわかった。
間違いない。
この“中”に、禍神の本拠地がある。