24.風雲急を告げる
その日、すでに午後五時半を回っており、万結花も、雅人も、自室で過ごしていた。
その時、不意にアカネが毛を逆立てた。
(あるじ様、家を出る! 行くつもり!!)
それだけで、すべてがわかった。
万結花は顔色を変える。
「ホントなの!?」
(うん。あるじ様、もう帰ってこないつもり)
それを聞き、万結花は立ち上がると、急いで兄の部屋に向かった。
「兄さん! アカネが教えてくれた!」
ドアの前で、ドアを叩きながらそれだけ言うと、それを聞いた瞬間、雅人が勢いよくドアを開ける。
「マジか!? 早見が、行くっていうのか?」
「そうよ。今追いかけないと、引き止められないわ」
雅人は、素早く身支度を整えると、万結花を部屋に送る。万結花もまた、大急ぎで支度をし、万結花のショルダーバッグの中に、アカネが潜り込む。
夕飯の支度していた母の彩弓に『緊急事態が起こったので、結城探偵事務所へ行ってくる』と告げ、返事を待たずに二人で家を出た。
金銭的には少々痛いが、広めの通りに出たところでタクシーを捕まえ、探偵事務所へと向かった。
その車内で、雅人が結城に通信アプリで緊急にメッセージを送った。
ほどなくして返事が返ってきて、『確認したが、すでに姿が見えない。今、和海と法引に連絡を取ったので、事務所に一旦集合しよう』という内容だった。
二人が真顔で、雰囲気がおかしいことを察し、タクシーの運転手も、行先を聞いた後はほとんど話しかけてくることもなく、しばらくして探偵事務所に着いた。
事務所の中に入ると、こわばった表情の結城が、二人を出迎える。
すでに和海は来ており、間を置かずに法引と昭憲もやってきた。
事務所の片隅には、笹丸の姿もあった。
法引が笹丸に話を聞くと、朝から様子がおかしかったのだが、何とか代償の軽減方法をと、部屋を出ている間に晃が姿を消してしまったという。時系列的には、笹丸が、晃が姿を消したと気づいたのと、雅人が結城に緊急のメッセージを送ったのがほぼ同時だったようだ。
「……やってくれたな、早見くん。やはり、禍神のところへ行ったのか……」
結城が、頭痛をこらえるような顔で、ぼそりとつぶやく。
「……おそらく、間違いないです。アカネに、もし早見が禍神のところへ乗り込むようなら、知らせてくれって頼んであったので」
雅人が、万結花のショルダーバッグの中に入っているアカネを指さす。
「……それなら、間違いないわねえ。アカネは、晃くんと精神的につながってるはずだもの」
和海が、力なく溜め息を吐いた。
「それより、早見さんが向かった場所の見当は、ついているのですかな?」
法引が、真顔で問いかける。
「一応、それはほぼ特定出来ていますよ。このあたりです」
言いながら、結城がプリントアウトされたA4の紙を出してきた。
かつて、行方不明者を何人も出していたトレッキングコースと、その中心となる山が載っている地図だった。
この、中心の山のどこかに、禍神が潜んでいる場所があるはずだという。
「早見くん自身は、おそらく公共交通機関を使って移動しているだろうから、これから車で直行すれば、追い付けると思うんだが……」
結城の言葉に皆うなずき、急いで準備を整える。
とはいえ、ここに来るまでにおおよその準備は終わっている者が大半であり、ほとんど時間はかからずに準備は終わった。
ただちに、車の割り振りがなされる。
探偵事務所の軽自動車には結城と和海、笹丸とアカネが乗り込む。
昭憲が運転するスポーツセダンには、法引と雅人、万結花が乗り込んだ。
探偵事務所組は、意思の疎通に問題がなくはないのだが、アカネも笹丸も人の言葉は理解出来るため、アカネが身振り手振りで行先の補正を行えば、何とかなるのではないか、ということになった。
万結花のほうは、万が一に備えて、この中で一番霊能者としての力が上な法引と行動を共にした方がいいだろうということになったのだ。
さらに、和海がここへ来る途中に気を利かせて購入した総菜パンやおにぎりなどが、それぞれの車に配られる。
行く途中にでも食べて、腹の足しになればいい。
ただちにそれぞれの車に向かって移動した。
ことは一刻を争う。先回り出来ればベストだが、晃が向かうその場所が、ピンポイントで特定出来ているわけではない。
だからこそ、アカネに同行してもらったのだ。
アカネなら、晃のあとを追える。識神であるアカネは、あるじである晃の居場所がわかるからだ。
アカネと直接話が出来る者は、この場では万結花しかいない。法引でさえ、笹丸を介さないと、言葉をはっきりとは交わせない。
それでも、敢えて別々に乗ってもらったのは、アカネに晃が向かっている方向を直接示してもらうためだ。
車で移動中はもちろん、車を降りてからのナビゲートが、絶対に必要となる。もう一度、晃と顔を合わせるために。
全員の心は一致していた。
晃を止める。仮に止められなかったとしても、何としても話をする。
たった一人でなど、絶対に行かせない。
間に合ってくれ。皆がそう思っていた。
* * * * *
晃が、最後の拠点を潰してから程ない頃。
風が、木々の枝葉を揺らし、まるで吼えるような音を立てて吹き過ぎる。
徐々に明るくなりつつある空には、慌ただしく飛び回る影があった。
“潰サレタ”
“潰サレタ”
“アトハ、虚影様のオワシマス所ノミ”
風に紛れて、つぶやくような言葉が飛び交う。
「鎮まれ! 騒いだところで、どうなる! 持ち場に戻れ!」
辺りの空気を震わせるような勢いで、漸鬼の声が響く。
たちまち、ざわざわと風に乗って響いていた“声”は途絶えた。
それでも、風は止まない。
漸鬼もまた、感じていた。
『あの化け物が来る』と。
ただちに、迎え撃つ準備をしなければ。
妖としての直感が告げるのだ。今日中に、アレは来る。
虚影様がおわすこの地に、やってくる。
漸鬼は、ひとまず壊れた祠から結界の中に入り込むと、館の奥へと向かう。
現れた虚影の前に跪くと、虚影がうなずいた。
それを確認して一礼し、立ち上がると、さらに奥へと向かう。
そして、座敷牢の前まで来ると、鉄格子を平手で叩く。
その途端、鉄格子は消え去り、後には呆気にとられた表情の劉鬼が残った。
「虚影様のお許しが出た。これから、あの化け物がここへやってくる。なんとしても、奴の力を削がねばならぬ。わかっておるな」
漸鬼の言葉に、劉鬼ははっとしたようにうなずいた。
「そういうことか。わかった」
「虚影様からは、吾とおぬしは奴の前に出るな、とのことであったが……いよいよとなれば、吾は出る。おぬしは、虚影様とともにおれ。さすれば、喰らわれることもなかろうよ」
漸鬼がそう言うと、劉鬼は気色ばんだ。
「何を言うのだ!おぬしこそ、虚影様とともにおるべきだ。虚影様のために、某たちが封じられている間も、ずっと働き続けていたのはおぬしであろうが!」
虚影の封印が解かれる前から、ただ一人、虚影の為に動いていたのが漸鬼であった。
その漸鬼を、化け物の元に行かせるわけにはいかない。劉鬼はそう思った。
「蒐鬼を死なせたる責任がある某が、あの化け物に相対する。おぬしは、虚影様のために、真の力を取り戻されたその時に、きちんとお仕えするために、おぬしは奥にいろ」
劉鬼はもちろん、漸鬼も譲らなかった。
互いに、相手が虚影の元で待機し、次の局面に備えよと言い合った。
しばらくして、互いにふと我に返ったように、苦笑いを浮かべる。
「……今は、このようなことで時間を使っている暇はない。配下のモノどもに、指示を出さなければならぬ」
「……そうだな。この件はひとまず置いて、あの化け物の襲来に備えねば」
二体の鬼は、うなずき合った。