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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
最終話 虚無と永遠
334/345

21.崩壊の予兆

 どこからか、生暖かい風が吹いてきたかと思うと、それまで雲はなかったはずの空が、急に雲が広がったかの如く色が変わり始めた。

 濃紺から、濃灰色に。

 そして、空の一角が急にひび割れたように見えたかと思うと、その()()()から鬼と見えるモノたちが姿を現した。

 半裸の体に虎之皮の腰巻を付け、金棒を持つその姿は、まさにおとぎ話に語られる鬼だった。

 その背丈は皆二メートル余り。肌が朱赤の鬼が二体、青い肌の鬼が一体。

 被害者が目撃したのは、まず間違いなくこの鬼たちだろう。

 鬼たちは、明らかに戸惑った様子が“視え”た。

 昨夜の様子と全く違うのに加え、三人がいるからだ。

 それでも、赤鬼の一体が金棒を振りかざし、一歩前に出ていた晃に向かって空中から突進してくる。

 次の瞬間、振り下ろされる金棒を、本性を現した晃の左手が止めていた。

 晃の掌の十五センチほど手前で、鬼の金棒が止まっている。

 姿を変えた晃を見て、鬼がぎょっとした表情を浮かべる。

 「……なるほどな……」

 晃がそうつぶやくなり、金棒を跳ね退け、左手を一閃させる。金棒を弾かれて体のバランスを崩した鬼は、よけることも出来ずにその爪に引き裂かれるように体が真っ二つになりかけ、二つにならずにそのまま消えていく。

 一体があっさり消え去ったのを見た他の二体は、あまりのことに空中にとどまったまま一瞬棒立ちになった。

 しかしそれは、今の晃を前にしては完全に悪手だった。

 晃の体が、音もなく軽々と舞い上がる。

 そのまま一気に距離を詰め、二体の鬼が我に返ったように逃げだそうとしたところで、その左手が振り下ろされる。

 一撃で、鬼の姿は見えなくなっていく。

 否、あれは喰らわれたのだ。晃に喰らい尽くされて消滅したのだ。

 二体の鬼は、次々と晃に喰らわれ、消え去った。

 明らかに、“魂喰らい”の威力が上がっている。結城も法引も、空恐ろしい気持ちで、ただ言葉もなく晃を見つめていた。

 三体の鬼を消し去った晃は、再び音もなく地上に戻ると、左手を一閃させる。

 すると、鬼の出現によってわずかに淀んでいた辺りの空気が澄み切った感じになった。

 晃の姿は、普段のそれに戻っていたが、表情は凍り付いたように固まり、その眼だけが、どこか異様な光を帯びているように見える。

 二人とも、様子がおかしいのに気が付いたが、声をかけようにもかけるのをためらうような、張り詰めたような気配をまとう晃に、近づくことも出来ないでいた。

 「……僕は、自分がなんて非情で、人でなしだったのだとよくわかりました……」

 晃のつぶやきに、法引が慌てて問いかける。

 「どういうことですかな? あなたは決してそんな人ではありません。あなたが“非情”で“人でなし”なら、この世は人でなしだらけになりますよ?」

 何故、晃が突然そんなことを言いだしたのか、それがわからない。

 すると、二人の内心の疑問に答えるように、晃が答えを返す。

 「……今の鬼どもは、禍神の配下です。纏っていた気配で、それがわかりました。今までも、配下の妖どもは、人をさらって生贄として捧げていたのだろうと思います。そう、今まで、ずっと……」

 晃の口調が、どこか怒りを帯びてきたように感じる。

 「……僕は今まで、漠然とそのことについて、そうだろうとは考えていました。しかし今日、はっきりとわかってしまったんですよ。その通りだと。今まで、何にも出ていた行方不明者は皆、さらわれて生贄にされていた……」

 晃の眼が、明らかに怒りに吊り上がる。

 「……今まで、行方不明者は数でしか把握していなかった。ひとりひとりに人生があり、家族があり、愛する人があり、護ろうとしていたものがあった。それを、僕は全然わかっていなかった……」

 瞬間、結城も法引も気づいた。晃は、自分自身に怒っているのだと。

 あの鬼どもが、禍神の配下であるかどうか、二人にはわからなかったが、晃は感じていたのだ。禍神と繋がりがある存在であると。

 そして、禍神につながる妖が、人をさらっていたということで、行方不明者がいかなる運命をたどったか、悟ったのだ。

 それに思い至らなかった自分自身に、晃は怒っているのだ。

 「……僕は、人の心を失いつつあるのかもしれません。人を思いやる心を……。それにやっと気が付いた……」

 「それは違う!」

 「違います!」

 結城と法引が同時に叫ぶ。

 「人は誰だって、自分と関係がなければそこまで思い入れることは出来ない。こういう例えは何だが、人というのは、目の前の人間に危害を加えるのは躊躇(ためら)っても、大勢の人間に危害を加えるはずのミサイルの発射ボタンは何の躊躇いもなく押せるもんなんだ。赤の他人に、人生があるということにまで思いやれる人は、そうそういない。私だって、実際そうだからな」

 結城が、真顔になって晃に向かって告げる。

 「そうです。わたくしとて、直接関わった人のことしか思い至りません。人は、すべてをあまねく照らす神仏ではないのですから」

 法引も、必死に説得を始める。

 顔どころか、名前も知らない人物の安否を、どこまで親身になって考えることが出来るというのか。

 普通、そんなところまで考えを広げていったら、それこそ自分が潰れてしまう。

 だからこそ、人はおそらく無意識にストッパーをかけるのだ。自分がきちんと把握し、意識出来る存在だけを特に気にかける様にと。

 見ず知らずの人の人生など、背負えるはずもないし、背負えると考える方がむしろ傲慢だろう。

 二人して、懸命にそう告げ、説得を試みたのだが、晃の表情は変わらなかった。

 「……僕は、所詮は化け物なんです。人じゃない。それを、改めて自覚しただけのこと。ただ、それだけなんです……」

 晃の顔が、再び感情が読めない無表情になっていく。

 晃の心が閉ざされていくように感じられて、結城も法引も(あせ)った。

 「……所長、和尚さん、そんな顔をしないでください。僕は、別に今ので変わったわけじゃあありませんからね……」

 そう言って、アルカイックスマイルを浮かべる晃に、二人は言葉を失った。

 届かない。

 二人の心によぎったのは、そういう思いだった。

 晃の心に届かない。

 晃にとって、もはや自分が化け物であり、すでに人ではないのだということは、事実として固定してしまっていたのだろう。

 「……早見くん、君は化け物なんかじゃない。少なくとも、君の心はまだ、人のままだろう?」

 結城が、懇願するように問いかける。

 「……さあ……。もう自分でも、わからなくなりましたよ……」

 淡々と答えを返す晃に、結城は再度言葉を失う。

 法引もまた、次の言葉をかけられなくなった。

 夜の闇が、なお一層深くなっていく気がする。

 「……早見さん、もう、妖はやっては来ないのでしょう? ならば、休みませんか?」

 法引が、極力落ち着いた声で言った。ここでまた、晃が心を乱してしまったら、元も子もないからだった。

 晃はしばらく黙ったまま考えているようだったが、ほどなくしてうなずく。

 「……ええ。おそらくは、通りすがりのあやかし程度しか、もうここには現れないでしょう。ここを離れても、特に問題はないはずです」

 「なら、いったん家の中に戻ろう。状況を報告して、明日の朝まで念のため様子を見てから、帰ろう」

 結城がそう言うと、晃も納得したように再度うなずいた。

 晃としては、すでに自分が人の範疇に入る存在ではないと思っていたのだが、結城や法引はそれを認めたくなかった。

 まだ、引き返せると思いたかったと言っていい。

 だから、これから朝まで様子を見る間に、何とかもう一度説得を試みたいと考えていた。

 それが、儚い希望であるということは、薄々感じながらも……

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