16.再度の偵察
晃は来たルートを逆に辿って、事務所まで戻ってきた。そこはすでに、静かだった。
犠牲者たちの姿も、陰気の塊も、姿を消していた。“眼”を失って混乱し、早々に退散したようだった。
(お前の結界が、まだ充分効いてたせいでもあるな。あの子の“想い”を利用しなければ、結界を破る目算が立たなかったんだろう。それだけ、本気であの所長のことを父親だと思っていたんだろうな)
(……ストレートに言い過ぎたかな。少しかわいそうなことをしたかも)
(いや、ぼかしたところで、理解出来なかっただろうさ。しょうがない)
晃は、事務所の中の二人の様子を見た。明らかに戸惑っている。ろくな攻撃を仕掛けてもこずに、霊たちが退散してしまったことに、面食らってしまったのが見て取れる。だが、その二人の表情が、再び引き締まる。晃の“気配”に気がついたのだ。
しかし、程なく緊張が微妙に弛んだ。自分たちに対する害意がないことに気づいたようだ。さすがに、正体が晃だとは考えてもいないらしいが。
正体に気づかれる前に、晃は意識を自分の肉体に戻し、ベッドの位置を元通りにしたあと、遼の力を分離した。軽い虚脱感の中で、晃はビーズクッションの上に腰掛け、ガラケーを取り出す。
事務所の電話番号を呼び出して、三度目のコールが終わる前に向こうが出た。
和海の声だと確認して、晃はそれとなく話を向けた。
「晃ですけど、そちらで何かありませんでしたか。渡しておいた護符代わりの護り石に、ぴんとくるものを感じたんですが。あの女の子が“視え”たんです」
「……さすが晃くんだわ。実はね、つい今しがた、また例の一団がやってきたのよ。ただ、おかしなことに、女の子が急にどこかへ行ってしまって、そのあとまもなく他の連中もいなくなったの」
「……どういうわけでしょうね。他に何か、ありませんでしたか」
「そういえば、連中が姿を消した後、不思議な気配を窓の外に感じたの。そう、二人分の気配がひとつになったような、死霊と生霊が一体になってるみたいな……。一瞬緊張したんだけど、わたしたちに対する敵意っていうのか、わたしたちに危害を加えようとする感じがまるでない、不思議な気配だった。まるで、見守ってくれていたようにも思えた。すぐに消えてしまったけど……」
「へえ、死霊と生霊が一体になっているなんて、そういう存在がいるんですかね」
「普通はあり得ないと思う……。でも、感じたのよね……」
そのあと晃は、念を込めた護り石を媒介として、少女の霊視が出来たことは告げた。ある程度真実を話しておかないと、話を進められない。
「その子の名前は渡部花子。二月四日生まれの五歳だと言っていました。仮に昭和十五年に産まれたとすると、昭和二十年にはその子はちょうど五歳です。おそらく、五歳になってから終戦記念日である八月十五日までのどこかの日に亡くなったのだと思います。本人が、自分が死んでいることに気づいていなかったから、一瞬のうちに、焼けているわけでもなかったから、火事にまかれて死んだのでもない、と思われます。……嫌な推測なんですが、爆弾の直撃だったんじゃないか、と……」
「……本当に、嫌な推測ね。どんな状況だったか、考えたくもないわ。でも、よくそこまでわかったわね。わたしなんか、そんな余裕はなかったのに」
「一応、ほんのわずかだけど、会話らしいものも成立しましたからね。名前や生年月日は、そのとき相手が教えてくれたんです」
電話の向こうで、和海が溜め息をついている。近くにいながら、霊視をする余裕もなかった自分たちが、ふがいなくて仕方がなかったのだろう。
「……小田切さん、そんなに嘆かなくてもいいですよ。僕はその場にいなかったから、かえって警戒されなかっただけです。それだけですよ」
晃がそう言っても、和海は納得はしなかった。霊たちが、気配を感じなかったはずはないというのだ。
「それだけ、晃くんとわたしたちの間に、実力差があるっていうことなのよね。どうしようもないわねえ」
晃は仕方なく、どこなのかわからないが、少女を通してビルのような建物が見えた、と告げ、明日の講義が終わったあと、事務所に向かうことを約束して、電話を切った。
(遼さん、最後に花子ちゃんの気配が消えたあのビル、場所は覚えてる?)
(だいたいな。それより、気配が完全に消えたのが、俺は気になるが)
(それは僕も気になっていた。普通、取り憑いている建物に戻ったとしても、あそこまできれいに気配は消えないはずなんだ。それがおかしい)
普通は、建物に憑依しているにしても、中心となる場所があるはずなのだ。それが、まったく感じられなかったばかりか、気配が完全に消え去り、静寂そのものになっていた。それがどうしても解せない。
(……そういえば、“被害者”の持田さんは、突然空間に空いた穴の中に、引きずり込まれたんだよね。もし、そういった“穴”の 入り口のひとつが、あのビルのどこかにあるとしたら、どうだろう。あの子は普段、現世を彷徨っているわけじゃない。どこか、“居るべき世界”に戻っている。そして、あの子はそこに留まって、何かあったときのみ現世にやってくる。だとしたら、その“穴”に飛び込んで、入り口を閉じてしまえば、気配は消える……)
(そして、その“穴”の奥に、『神隠し』の被害者がいるかもしれないってわけだ)
(あのビル、なんとしても、調べる必要があるよね)
晃は、今から調べに行こうかとも考えたが、智子がヒステリーを起こしかねないと思ったので、実際に出かけるのはやめた。
義手をはずして棚に置くと、ロフト型ベッドに上がり、そこに横たわって目を閉じる。再び遼の力を呼び込むと、体内を迸る冷たい炎の感覚をしばらく感じていたが、やがて一気に意識を肉体から引き離し、幽体離脱を完了させる。
ベッドに横たわる自分の体を見下ろしながら、天井まで上昇し、そのまま天井ぎりぎりを滑るように移動して、道路に面した側の壁を突き抜ける。そして、先程の記憶を辿り、防空頭巾の少女花子が消えたビルへと翔けた。
住宅地を抜け、繁華街の傍らを抜け、雑踏のすぐ上を飛び越し、あのビルを目指した。
やがて、あのときの記憶に残っているビルにたどり着く。先程は、ざっと見ただけですぐ引き返してしまったのだが、今度はじっくりと観察した。
高さはだいたい四階建て。一見普通の雑居ビルに思えたが、最上階が一般的なテナントではない、一種の資料館になっているのに気がついた。
真っ暗な窓から覗いてみると、古くなったブラインドの隙間から、ちょうど戦前から戦中にかけての、さまざまな写真や物品が、雑然と展示されているのが見えた。学芸員がいる様子もなく、どうやら個人が作った資料館のようだ。そして、それらの品物の多くが、妖気ともなんともつかないものを漂わせている。中には、今すぐ供養なり何なりしないと、危険だと思われるものさえあった。
(ここは一体なんだ。供養もろくにされないまま、こんなところにまとめられていたら、それぞれの妖気が影響しあって、とんでもないことになる)
(ヤバイぞ、晃。霊視したふりでも何でもいい、探偵事務所の連中と総出でやってこないと、お前ひとりじゃこいつら祓うのに手一杯になって、調べるに調べられなくなるぞ)
建物というのは、それ自体がある種の結界である。縁もゆかりもないものは、おいそれとは入れない。霊などが、よく姿を現す家というのは、何らかの理由で霊的な通路が出来てしまっている場合が多い。
それとは逆に、建物は中の霊気を封じ込めるものともなる。この場合がそうだ。
ひとつひとつは強くはないが、それがこのフロアに集まったせいで、妖気が澱み、凝っている。
(早く祓わないと、“付喪神”になりかねない。さまざまな人の念を吸って、力を蓄えているみたいに見える……)
そこまで考えて、晃はあの陰気の塊を思い出した。出所は、もしかしてここなのだろうか。もしそうなら、空襲の犠牲者たちも、渡部花子も、このフロアの中に、関係するものが存在しているのかもしれない。
晃は、四階の周囲を一通り巡ってみた。フロアの大半が資料館らしく、窓を覗くたび、怪しげな展示物が目に入る。
(これ、作った人は悪気はないんだろうが、展示の仕方が最悪だな。ただ飾りゃいいってもんじゃないぞ)
遼が溜め息をつく。晃も同じ気持ちだった。
(妖気が外に漏れるほど強くなったら、手がつけられなくなる。そうなる前に、何とかしないといけないんだけど……)
晃は、もう一度ビルの入り口に立って、テナントの名前が書かれているプレートを確認した。四階は、『戦前・戦中の資料館』となっており、管理者の連絡先と思われる電話番号と、〈要予約〉の文字が見えた。
どうやら、予約が入ったときのみ、ドアを開けて見学者を受け入れるシステムらしい。
(普段人通りがないから、余計凝るんだな。何人もの人が出入りすれば、中には“残された思い”に気づいて、祈りを奉げてくれる人もいる。それだけで、多少は供養になるはずなのに、普段は打ち棄てられているに等しい状態では、妖気が澱むだけだ)
晃は、物悲しい気持ちになってその場を離れた。
一気に肉体に戻ると、ベッドから降りて、一応メモに連絡先の電話番号を書き付ける。そして、遼の力を分離し、ビーズクッションの上に座り込んだ。
それからふと思いついて、ベッドの下のパソコンデスクのところに行く。
パソコンを立ち上げ、メールのチェックをする。先程直接電話で話したためか、結城や和海からのメールは来ていない。
それを確認して、晃は今度はインターネットで先程の資料館が調べられないか、検索を試みた。いくつかの検索サイトをチェックしたが、どこにも引っかからない。
(……これは、だめそうだな。あんなに小さな、個人の資料館では載っていないんだろうな。第一、予約しないと入れないし、ぶらっと入る感じのところじゃないから、一般の人の探訪記みたいなものもないし、諦めよう)
晃は、パソコンの電源を落とし、部屋の真ん中に寝転がった。
(二人に、どうやってあの資料館のことを伝えようか。何とか、不自然じゃない理由付けをしたいんだけど)
(そうだなあ。お前が、自由自在に〈遠隔透視〉が出来れば、“視えた”と言ってごまかすのは簡単なんだが)
晃は溜め息をついた。
こうなったら、霊視が出来たといったビルの外観を、徹底的に細かく話して、そこのビルがどこにあるのかを二人に調べ出してもらうしかない。
(僕自身は、それがどこにあって、中に何があるのか、すべてわかっているんだけどね。それを言えないのが歯がゆいなあ。……自分の本性をばらすわけにいかないからな……)
(まあな。しかし、あのビルにもし人がいたら、とんだ怪談話が出来上がったかも知れんぞ。お前、ずいぶん窓から覗いてたもんな)
(……確かに。もし人がいて、目でも合ったらえらいことになってたね。真っ暗で誰もいないと踏んだから、覗いたんだけど)
遼の指摘に、晃は苦笑した。足がかりなど何もないビルの四階の窓の外に誰かがいたら、それは間違いなく怪談沙汰だ。
晃はふと、急な眠気を感じた。立て続けに能力を使ったので、やはり消耗していたのだろう。元々、状態は完全ではなかったのだ。
ならば、焦る気持ちを抑え、早めに休んだほうがいい。
晃はパジャマに着替えると、ベッドによじ登った。