10.計画
宵闇迫る暗い森の中を漂う瘴気をかき分けるように、何かが素早く通り過ぎていく。
それは、黄髪赤肌に一本角。碧の衣をまとった鬼だった。
その鬼は、地面ギリギリを滑るように進んでいくと、急に上昇して樹上に出ると、はるか彼方を見据え、唸った。
今のところ、このあたりに特に異常はない。
だが、いつあの化け物が姿を現すかわからないのだ。
その鬼、蒐鬼はもう一度辺りを見回すと、再び梢の下に入る。
しかし、蒐鬼は内心苛立ちを抑えきれなかった。
己が仕える虚影様の棲む異界への入り口があるこのあたりを、哨戒するのが任務ではあるのだが、それだけでは気持ちが収まらなくなってきたのだ。
何故いつまでも、こうして飛び回るだけなのか。
確かに、あの化け物が実際にここにやってきたらと思うと、哨戒任務は重要だ。
自分たちがまともにやり合っても、化け物のほうが強いだろうこともわかっている。
だからこそ、虚影様は『手を出すな』と厳命されたのだから。
虚影様が“贄の巫女”の力を取り込み、真なる神の力を取り戻した時に、その側近となる存在であり、喪われることがあってはならぬと、虚影様は考えておられる。
だからこそ、哨戒任務を受け入れて、こうして飛び回っているのだが、それが次第にむなしくなってきたのだ。
そんな時、ふと心をよぎるのは、『自分が“贄の巫女”の元に行き、巫女をさらって虚影様の元に送り届けたなら、すべては解決するのではないか』という思いだった。
もちろん、簡単なことではないとわかっている。
あの化け物が、いろいろ小細工をしており、“贄の巫女”たる娘を妖である自分たちが認識しづらくなっているらしい。
特に日中が顕著であり、時折偵察に出ている式神などは、“贄の巫女”を見分けられずにほぼ役に立たない状態であるという。
夜なら、自分たちの力は高まるが、夜は厳重に結界を施した家の中に閉じこもってしまっているようだ。
もちろん、鬼である自分のような存在なら、無理矢理破ろうと思えば破れないことはないだろう。
しかし、そうして無理に結界を破った場合、あの化け物が出張ってくる。
あれは、幽体離脱をして一気にやってくる。
普通人間は、簡単に幽体離脱など出来ないものだが、あ奴は自在に離脱し、こちらへ襲い掛かってくるようなのだ。
それだけでも人外だと思うが、すでに半ば妖と化しているそうで、正真正銘化け物と化して、結界を破ろうとしたものを滅していくという。
あ奴はすでに、厳鬼と濫鬼を斃している。本当は仇を討ちに行きたいのだが……
厳鬼の死に憤り、自己判断で飛び出して行った挙句、返り討ちに遭ったのが濫鬼なのだ。
自分も、同じ轍を踏むわけにはいかない。
そうは言っても、鬱々としたものが、胸の中に溜まってくる。
自分はこのままでいいのか。
“贄の巫女”さえこの手に納めることが出来れば、すべてが収まるところに収まるのではないか。
そんな思いが、日に日に強くなってくる。
簡単なことではないが、だからといって不可能であると言えるほどではない。
困難だろうが、可能性はあるのだ。
ならば、それを実行してもいいのではないか。
もっとも、漸鬼は反対するだろう。『虚影様は望んでおられない』と言って。
そのうち、あの化け物は虚影様の元へやってくると思われる。
そうなれば、虚影様がその実力を持って滅してくださるはずだ。
化け物が自爆するのを待っていれば、それでことは済むのだ。
しかし、そうなった時の被害は、かなり大きなものになるに違いない。
虚影様は、我らが側近として残れば立て直すのは簡単だと気にも留めておられないようであるが、被害が少ないに越したことはないはずだ。
蒐鬼は考える。
自分が手駒として使える鬼どもは、五人ほどだ。
そいつらに、あの化け物を牽制する妖を集めさせ、陽動部隊を作る。
そして、そいつらが化け物に相対している間に、手駒と自分が電撃戦を行って巫女をさらえば……
頭の中で、想定してみると、決して不可能ではないと思えてくる。
漸鬼に話を持っていけば反対されるだろうから、劉鬼に相談してみようか。
劉鬼なら、自分の考えを理解してくれる気がする。
今ならあいつは、館の門番をしているはずだ。哨戒任務は手駒の一人に任せ、話をしに行ってみよう。
そう考えをまとめると、蒐鬼は指笛を吹いた。鋭い音が、一瞬あたりに響く。
ほどなくして、灰色の肌に黒髪、一本角で白い衣を着た鬼が一体、蒐鬼の前に姿を現した。
「来たか」
うなずく灰色の鬼に、蒐鬼は告げた。
「お前に、しばしこのあたりの哨戒任務を任せる。何か異常があったら、直ちに知らせろ。よいな」
「はっ」
返答を確認し、蒐鬼はその場を離れ、劉鬼の元へと飛んだ。
予想通り、劉鬼は館の門番として入り口のところに立っていた。
「おう、どうした蒐鬼。見回りをしていたのではなかったか?」
怪訝な顔で、劉鬼が迎える。
「実は、考えていることがあってな」
蒐鬼は、先程考えたことを口にした。それを聞いた劉鬼は、ふむと言ってから考えこんだ。
「……まあ、お前の気持ちは分かるし、考えも間違ってはいないな。ただ、それだけのことをやったなら、虚影様に気づかれるのではないか? 『勝手に何をしている』とお怒りになるやもしれぬ」
それは、蒐鬼も危惧していた。
さすがに、虚影様に止められたなら、どうしようもないだろう。
「ただ、某個人の考えでは、試みる価値のあるものだと思う。“贄の巫女”を我らの手に納めることが出来れば、あの化け物を気にする必要がなくなるのは事実だ」
「そう思ってくれるか」
蒐鬼は、思わず破顔していた。
「おう。虚影様には叱責されるかもしれんが、捨て駒の囮役にもそれなりの実力者が集められれば、行けるかもしれん。まあ、それが難しいのだがな」
それは確かにその通りだ。
実力があるものを、敢えて使い潰すということなのだ。
でも、そのぐらいしなければ、あの化け物をほんの一時でも足止めすることは出来ないだろう。
だが、実力があるものというのは、誇りも高いものだ。自分たちが実動隊ではなく、囮役だと知ったら、へそを曲げるものもいるかもしれない。
どうだろうかと問いかけると、劉鬼も大きく唸って考え込んだ。
「確かにな。自分の腕に自信があるからこそ、危険を伴う任務にも出ていくのだからな。それが初めから囮では、腐る奴らも出るやもな」
「そうなると厄介だろうな。いっそ表向きの作戦だけ伝えて、囮だと気取られないようにして動いてもらうか」
そのためには、今いる連中では心もとない。
もっと強力で、ある意味背中を預けられる存在でなければ。
二人の意見は一致したが、実際に実行するには、少々立ち回る必要がありそうだ。
まず、虚影の目を誤魔化すこと。そして、自分たちに匹敵する実力者をうまく手なずけ、囮部隊を編成すること。
この二つだけのはずだが、その他にも、気づいていない見込み違いや勘違い、思い違いなどがあるかもしれない。
これは、やり直しの効かない一発勝負だ。
一度失敗すれば、警戒はより厳重になり、相手が隙を見せることもなくなるだろう。
しかも、虚影の目も誤魔化さなければ、計画がとん挫することになる。
準備が出来次第、速やかに実行することにして、虚影の行動を確認していくことにしよう。
上手くいったなら、多少叱られたところで、何とかなるに違いない。
失敗した時は……その時はその時だ。
蒐鬼は、腹をくくった。