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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
最終話 虚無と永遠
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04.一杯の……

 晃が目覚めたとき、部屋の中は薄暗かった。照明が落とされていたためだが、闇を見通す眼を持つ晃には、特に問題などはなかった。

 いつの間にか、自分は布団に寝かされていた。

 きっと、三人が寝かせてくれたのだろう。手間をかけさせてしまった。

 そっと立ち上がると、鳩尾の辺りが鈍く痛んだ。結城に肘打ちされた痕だろう。

 それでも、我慢出来ないほど痛いわけではない。

 そういえば、眠りにつく前には痛みはほとんど感じていなかったが、あれは感覚がおかしくなっていたんだろう。

 痛む辺りをさすりながら窓辺に来ると、そっとカーテンを開けてみた。

 外の日差しは、心なしか橙色がかって見えた。どうやら、午後になっているらしい。

 もう一度カーテンを閉めると、部屋の外に出るかどうかで迷った。

 そもそも、自分は何故ここに居たのか。そう考えたとき、午前中の話し合いのことがまざまざと思いだされた。

 結城も、和海も、法引も、必死に自分を説得してくれていた。

 それでも、三人が伸ばしてくれていた手を、掴みかねていたのは自分だ。

 (みんな、心配してたぞ。お前に生きていて欲しくて、ここにずっといて欲しくて、一所懸命だったんだからな)

 (……それは、理解出来た。こんな“化け物”にどうしてそこまで、って思ったけど、誰もそんなことは気にしてなかったみたいだな……)

 (当たり前だろう。お前が『人にして人にあらざるもの』だってことは、もうみんな知ってたし、“魂喰らい”の力を使いつつ恐れていたことも、みんな知ってるんだ。下手したら、お前の力のことなんか全然知らない、信じない実の両親よりも、あの人たちのほうがはるかに信じられるぞ)

 (……そうだよね。信じられる人たちだよね……)

 自分が化け物であることも承知のうえで、それでも自分たちは味方だと、生きていていいと、ここに居ていいと、言ってくれた人たちなのだ。

 自分の意志で人を喰い殺してから、凍り付いていた心が、やっと少し解けてきた。もう一度だけ、あの人たちの手を取ろう。あの人たちは、信じられるから。

 禍神の元に乗り込むのは、いつでも出来るのだから。

 ふと、空腹感を覚え、何か食べるものがないか確認するため、部屋を出ることにする。

精神が張り詰めていて食欲がわかず、昼食どころか朝食も食べずに、一通りやり合って、それからずっと寝ていたのだ。

 体の感覚が、やっと戻ってきたのだと言える。

 だから、鳩尾辺りが痛むようになったのだろう。

 しばらくさすって、痛みがだいぶましになったところで、布団をたたんで押し入れにしまうと、部屋を出てダイニングキッチンへ向かった。

 ダイニングキッチンに着いたところで、たまたまそこにいた栄美子と鉢合わせする。

 どうやら、三時の休憩で茶菓子の用意をしにやってきていたらしい。

 辺りには、ほんのりとコーヒーの香りが漂っていた。

 事務所の部屋からドア一枚の場所にある関係で、以前から隅にパントリー代わりの棚が置かれていて、そこにちょっとした菓子類や軽食に出来る缶詰などがストックされていた。

 そこから、個別包装のクッキーや一口チョコレートなどを、器に入れていたところで、やってきた晃に気が付いたらしく、栄美子が声を上げる。

 「まあまあ、あーちゃん、お目覚めかしら」

 「……ええ、まあ……」

 「睡眠不足で、話してるうちに寝ちゃったって聞いたから、大丈夫かしらって思ってたのよ。もう、すっきりした?」

 どうやら、そういう話になっているらしい。

 「なんか、一回怒鳴り声が聞こえたけど、眠くてイライラしてたんですってね。もう、子供じゃないんだから、自分で体調管理しなきゃダメよ」

 ニコニコしながらそう言われると、なんとなく毒気を抜かれる。

 「……あの、ちょっとおなかすいたんで、これ、つまんでいいですか?」

 晃が、器に盛られた菓子を指さすと、栄美子は“困った子ね”と言いたげな顔で答える。

 「お菓子でおなかを一杯にしようとしちゃだめよ。これ置いてきたら、何か作ってあげるから、そこらに座って待ってなさい」

 そう言うと、栄美子は菓子の入った器をすでにいくつかの湯飲みやマグカップが置かれているお盆の上に置くと、それをもって事務所へと一旦戻っていく。

 それを見送りながら、ああ、あの人は“お母さん”だったな、と改めて思い出す。

 そして、そんなに時間を置かずに栄美子は戻ってくると、今度はキッチンのあちこちを探り、そのうちに袋入りのインスタントラーメンを手に取ると、食器棚から丼を出してテーブルの上に置いた。

 今度は冷蔵庫を確認して、冷凍のミックスベジタブルを出し、パントリー代わりの棚からサバの水煮缶を出してきて、鍋をコンロに置き、サラダ油を入れて火をつけ、菜箸を出してミックスベジタブルを炒め始める。

 見ていると、慣れた手つきで野菜を炒め、水を入れて煮立たせ、麺と水煮缶を汁ごと入れて煮込み、粉末スープを入れて火を止め、ゆっくり混ぜ合わせながらテーブルに向かうと、麺を先に丼に入れる。

 ゆっくりスープを注いできれいに鍋を空け、鍋を流しに入れた後、ラーメンの入った丼を、晃の前に勧めてきた。

 「さ、のびないうちに召し上がれ」

 「……ありがとうございます」

 晃は自分の箸を出してくると、改めて小さく頭を下げた。

 「本当に、ありがとうございます。いただきます」

 インスタントラーメンではあるが、栄美子が作ってくれたものを初めて食べる。

 自分でも、同じような具で作ったことはあるのだが、ずっとおいしく感じた。

 その様子を、栄美子はにこにこしながら近くの椅子に座って眺めていた。

 そして全部きれいに食べ切り、スープまで残さず飲んで、晃は額に浮かんだ汗を手で拭った。

 熱いものを食べて、一気に体温が上がった気がする。

 大きく息を吐いたところで、栄美子が空の丼を箸ごと手に取った。

 「洗っておいてあげるから、事務所に行って仕事を手伝うなり、自分の部屋に戻るなりして頂戴ね。さっきは少し顔色がよくなかったから心配してたんだけど、もう大丈夫みたいね」

 笑みを浮かべたままの栄美子にそう言われ、晃は静かにうなずいて立ち上がった。

 「ごちそうさまでした。いろいろ気を使ってもらって、嬉しかったです。ありがとうございました」

 「いいのよ。ほんとにその礼儀正しさ、うちの馬鹿息子たちに爪の垢でも煎じて飲ませたいわ」

 笑いながら、栄美子は流しに丼を置くと、スポンジを手に取って洗剤を付け、洗い物を始めた。

 晃はもう一度、栄美子に向かって頭を下げると、どこへ行くかを考えた。

 ここは事務所へ行こう。散々心配かけたし、寝落ちした自分を、布団に寝かせてくれたのだ。

 そのお礼も言いたかった。

 事務所にしている部屋に入ると、結城と和海がデスクワークをしていた。

 入ってきた晃に気づき、和海が声をかけてくる。

 「晃くん、落ち着いたみたいね。高橋さんは、まだダイニングキッチンにいるの?」

 「ええ。洗い物をしてくれています。ずいぶん気を使ってもらいました」

 「まあ、高橋さんは気にしないでしょうけどね」

 晃は改めて、自分の席に座ってパソコンを立ち上げる。

 それを見ながら、結城が口を開いた。

 「……だいぶ表情が戻ったな。一時はどうなるかと思ったが、落ち着いてくれてよかった」

 「本当に、いろいろご迷惑をおかけしました。すみません」

 晃自身はほぼ自覚がないが、遼によると、ほとんど彫像のように表情が凍り付いていたという。

 だからあれほど、皆必死に説得してきたのだと、晃は改めて思ったのだ。

 晃の言葉に、二人は慌てたように首を横に振る。

 「いや、謝ることはないんだ。誰だって、心に重圧がかかればおかしくなるんだから」

 「そうよ。晃くんは、そのままでいてくれれば、それでいいの。もう帰ってしまったけど、和尚さんだってそう思ってるはずだわ」

 そういえば、法引の姿は見えなかった。すでに帰宅したのだろう。

 あの人は住職で、住職としての仕事もあるはずだ。いつまでも、自分にかかりきりになることなど出来るはずはない。

 晃は、あとで法引にも迷惑をかけたことを謝ろうと思いつつ、朝の続きの作業を始めた。

 そこへ、栄美子が戻ってくる。

 「あら、結局仕事始めちゃったのね。真面目なんだから」

 「晃くん、根が気真面目だから」

 和海の言葉は、少し諦めのようなものを含んでいるように聞こえた。

 それは、何故なんだろうか……

 栄美子もまた、自分のデスクに戻ってデスクワークを始める。

 それを見ながら、もう少し仕事を片付けておきたいと晃は思った。

 自分がいつまで手伝えるか、わからないのだから。

 禍神の陣営の潜む場所は、おそらく本陣含めてあと二、三か所のはずだ。本陣の場所は、目星がついている。

 昨夜幽体離脱した時に、ひとつは確実に潰してきたのだ。自棄(やけ)になってやったことではあったが、今となってはまあいいかとは思う。

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