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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
最終話 虚無と永遠
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02.懇願

 晃が退院してきた翌日、結城探知事務所は、一見いつも通りの朝を迎えていた。

 所長の結城をはじめ、和海も、村上も、栄美子も、いつものように自席でパソコンに向かい合っていた。そして、晃も……

 ほどなくして、村上が調査のために外出していく。

 「それじゃ、行ってきます。今日は、直帰しますんで」

 「ああ、行ってらっしゃい」

 村上の声に、結城が応える。

 そして、村上派事務所の外へと出て行った。

 幾つか、問い合わせの電話がかかってきたり、入ってきたメールをチェックして、しかるべき返答を返したりしているうちに、玄関が騒がしくなったかと思うと、あたふたと法引が事務所にやってきた。

 「おはようございます。わたくしが御邪魔をして、大丈夫ですか?」

 法引の言葉に、結城は立ち上がる。

 「いや、大丈夫です。お待ちしてました」

 そして結城は、和海に目くばせすると、栄美子に声をかける。

 「申し訳ない、高橋さん。私たちは、ちょっと席を外す。戻ってくるまで、事務所を任せてしまって、いいかな?」

 「え、別に構いませんよ。結構、一人で留守番してたことありますしね」

 そう言って笑う栄美子に、結城も和海も軽く頭を下げて礼をする。

 そして和海も、立ち上がると口を開いた。

 「……晃くん、一緒に来てくれる?」

 晃が手を止め、和海のほうを見る。本当に、彫像のような無表情だった。

 顔立ちの整っている晃がこのような顔をすると、どこか空恐ろしささえ感じる。表情があるから、素直にイケメンだなんだと言っていられるのだ。

 表情を失うと、ここまで違うのか。

 「……僕も行かなければなりませんか?」

 まったく表情がないまま、口調でかろうじて疑問形なのだとわかる言い方で、晃が和海を見上げる。

 「晃くんにも、来てほしいことなの。今やっている打ち込みは、明日でも大丈夫なもののはずよ」

 「……わかりました」

 晃は、今まで打ち込んだデータを保存すると、立ち上がる。

 三人が立ち上がったところで、法引がうなずいた。

 「それじゃ、申し訳ないけどしばらく頼む。ちょっと、別室へ行くから」

 結城は栄美子に言付けると、二人を促して事務所にしている部屋を出て法引と合流し、以前物置代わりにしていた和室へと向かった。

 今はこの部屋は片付けられており、新たな仮眠室となっていた。

仮眠室であるため、窓には濃灰色の遮光カーテンが付けられ、照明を消すと、昼でも薄暗くなるようにしてあった。

 全員が部屋に入ってドアが閉められると、畳の上にいくつかおいてある厚手のラグに適当に座る。

 そして、改めて法引が晃の顔を見つめた。

 晃は、相変わらず表情が動かない。顔立ちが整っていることがかえって災いして、見るものに背筋が凍るような印象を与える顔だった。

 「……これは……本当に以前よりひどくなりましたな……」

 法引が、辛そうな表情になる。

 晃にまたまずい出来事があって、より状態がひどくなったと伝えられたため、急いで時間を作ってやってきたのだが、これは深刻だと法引は気づいた。

 「……何を言っているんですか。僕は、何も変わっていませんよ」

 晃はそう言ったが、その言葉もどこか平坦で感情が感じられない。

 「……僕は元々、()()()()()()だったんです」

 突き放すように、晃が言葉を続ける。

 「僕が、()()()()()()()()ことは知っているでしょう。すでに魂の糸は切れていて、今の(せい)仮初(かりそめ)に等しいものだということを」

 「そんなことはない! 君は生きている。高校二年から今までのことは、ちゃんと君が生きていた(あか)しみたいなものだろう。高校に行って、受験して大学に受かって、その大学に今まで通ってきた。その日々は間違いなく、君が生きてきたということだ!」

 晃の言葉を否定するかのように、結城が叫ぶ。

 「そうよ! 晃くんはちゃんと生きてる。これからだって、まだ人生は続くのよ!」

 和海も、必死に言葉を繋いだ。

 「そうです。自分を否定してはいけません。あなたは、ちゃんと生きている。自分の生を、ここで諦める必要はありません」

 法引も、さらに畳みかけるように続ける。

 けれど、晃の表情は動かない。

 「……僕は、この世にとって異物なんです。こんな存在は、いてはいけない……」

 つぶやくようにそう言う晃に、三人は大きく溜め息を吐いた。

 「……早見くん、昨夜何があったが、私は知っている。〈過去透視(サイコメトリー)〉で“視た”からな。だから、敢えて言う。君の手がどれだけ穢れようと、私たちは君の手を離さない」

 結城が、真顔で晃の顔を見る。

 それでも、晃の表情は凍ったままだった。

 そうして二人が対峙している間に、和海が詳細な内容を法引にメッセージで送り、法引がそれに素早く目を通し、痛ましげな表情を浮かべた。

 『なるほど、そういうことでしたか』

 『ええ。だから、余計に心配で』

 短時間でメッセージをやり取りし、和海も法引ももどかしい思いで結城と晃のやり取りを見る。

 「……早見くん、君は自分のことを『人食いの化け物』だというが、君は“化け物”に飲まれていない。その力を(ぎょ)することが出来ているじゃないか。自分を諦めるな。私は、君が人として生き続けることを諦めない」

 結城の懸命の呼びかけに、晃は冷徹に答えを返した。

 「所長。所長の気持ちはよくわかりました。でも、初めから、出会ったときから、僕は人ではなかった。化け物が、人の皮をかぶっていただけです。それが今、剥がれつつある。それだけなんですよ」

 たまらず、法引が割り込んだ。

 「早見さん! たとえそうであったとしても、あなたは今まで人として生きて来たであありませんか。あなたの身体(からだ)はそうであっても、心までは化け物になってはいない。そうでしょう? 化け物が、周囲の人々を気にしますか? 誰かのために、命を賭けようとしますか? それは全て、あなたの心が、人であるからではないんですか?」

 「そうよ、晃くん! あなたのことを、誰も化け物だなんて思ってないわよ! あなたは、他の誰でもない。わたしたちの大切な仲間で、友人で、かけがえのない存在よ!」

 和海もまた、こらえきれないというように、晃に向かって言葉を発した。

 晃は、黙ったまま三人のほうをじっと見ている。

 「……早見くん、君が自分自身をどう思うのかということに、私たちは干渉出来ないし、どうしようもない。だが、君を案じているのは、私たちだけじゃない。それだけは覚えていて欲しい。万結花さんは、今でも君を案じている。彼女だけじゃない。川村家の人たちはみんな、君のことを心配しているんだ」

 「……万結花さん……」

 この部屋に来て初めて、晃の声に明らかに感情が乗った。

「ああ、そうだ。万結花さんは、君のことを今でも想っている。自分を支えてほしいと思っているそうだ。このあいだ、本人に聞いたから、間違いない」

 結城が、さらに言葉を続ける。

 「君だって、想いを断ち切ったわけじゃないんだろう? 今じっくり“視た”ら、君の胸元にかすかだが万結花さんの気配を感じるんだ。確か彼女は、君に(つたな)いながら一生懸命作ったお守りを渡したことがあると言っていた。そのお守り、身に着けているんだろう?」

 結城に問われ、晃の顔がわずかにこわばった。今まで、凍り付いたように動かなかった表情が、初めて動いたのだ。

 「……僕は……万結花さんの側にいちゃいけない……。人を喰い殺した……穢れた存在の僕が……この世にいちゃいけない……」

 かすれた声で、晃がつぶやく。

 「晃くん、よく聞いて! あなたの力は、確かにそうよ。でも、だからといってそのまま何もしなかったら、どうなっていたの? その人の魂は、遅かれ早かれ妖の本能に飲み込まれて消えてしまっていたんでしょう? そうなったら、あなたが危なかったかもしれないのよ!? あなたの身に何かあったら、それこそ向こうの思うつぼじゃないの!」

 和海が、強い口調で言い切った。

 晃の顔が、はっきりと苦しげに歪み、微かに首を横に振る。

 「人は皆、煩悩を持っています。煩悩のままに行動し、ここで言う“穢れ”を背負ってしまう者も多いでしょう。それでも人は、生きていくのです。わたくしとて、煩悩を消すことなど、出来ておりません。それでも、自分の煩悩と付き合いながら日々生きております。“穢れ”と呼べるものも、背負っておるでしょう。でも、それが人間というものです。だから、あなたも人間であるのですよ」

 法引が、穏やかに話しかけると、晃は完全にうつむいた。

 よく見ると、その肩がわずかに震えているのがわかる。

 抑え込んでいた感情が、表に出てきたのだろうか。

 いっそ、感情的になってくれればいい。皆そう思った。

 あの事件以来、晃は感情を抑え込んでいたように見えた。いっそ、吐き出してくれればよかったのに。

 時折涙を流したりしたが、そうするたびに、感情が消えていったような気がする。

 何とか、感情を取り戻してほしい。そう願っていた。

 しばらく、晃はうつむいたままだった。

 それでも、敢えて誰も言葉をかけず、様子を見ていた。少しは、変わってくれることを願って。

 そしてそれは、突然来た。

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