14.備え
いつもの自分の部屋で、晃は疲れ果てて着替えもせずにロフト型ベッドにやっとよじ登ると、倒れこむようにして寝ていた。母智子と喧嘩しながら居間を突っ切り、二階へ上がってきたので、余計に疲れがひどくなったのだ。義手をはずす余裕さえなかった。
智子は、外がすっかり明るくなってから帰ってきた息子を頭ごなしに怒鳴りつけ、耳がおかしくなるのではないかと思うほどの甲高い声でヒステリックに叱り飛ばした。
しかし、息子の顔色が普段より悪いこと、疲労でどことなく反応が鈍くなっていることなど、一切気づいた様子はなかった。それが、精神的な疲労を増す原因になった。
ふと目が醒めて、体を起こしたときには、すでに昼をとっくに過ぎていた。
食欲は余りなかった。それより、シャワーでも浴びてさっぱりしようと、晃はベッドから降りて義手をはずし、着替えとバスタオルを持ち、一階に下りた。
そのまま脱衣場に直行すると、着替えなどをかごの中に置き、着ていた服を洗濯機の中に放り込み、一通り洗剤や柔軟剤をセットすると、洗濯乾燥コースをセレクトしてスイッチを入れ、風呂場に入った。
昨日の一連の出来事の疲れが、心地よい熱いシャワーで洗い流されていく気がする。慣れた手つきでボディーブラシで体を洗い、髪も洗い、すべてを一気に洗い流し、最後に決して濃いほうではないひげを当たってすっきりすると、やっと心身がしゃんとした。
(ひげは薄いんだけど、逆にそのせいで、無精ひげは本当にみっともないからね)
(お前全然ワイルドさがないもんな。貧相でみすぼらしいから、ちゃんと綺麗に当たっとかないと)
用意しておいた乾いたバスタオルで髪や体を拭くと、替えの下着を身につけたところで、ふと左肩の痣に目が行く。昨日義手をしたまま不自然な形で体重がかかったりしたため、体に刻まれたものだ。触ると鈍く痛むが、それは勲章のような気がした。
クライアントを護り、事務所の仲間を護ったその証のように思えたのだ。そう思えば、この程度の痣など、負傷のうちに入らない。
脱衣所の中にある洗面所で、一度義眼をはずして洗い清め、もう一度はめなおす。そのまま一気にシャツを着、チノパンを履き、膝をついて靴下を履くと、脱衣所を出たところで智子とばったり出くわした。
「あら、昼間からお風呂」
少し呆れたような顔でそういう智子に、晃は内心むっとしながらぶっきらぼうに答えた。
「シャワーだよ。昨日一日いろいろあったんでね」
「お昼はどうするの。一応、すぐ用意は出来るけど」
「いいよ。カップ麺でも食べるから」
「それじゃ、栄養のバランスが取れないわよ」
「一食ごとに神経質になる必要はないんだってば。たまにはそういう物だって、食べたいよ」
晃はそう言って智子を振り切ると、ダイニングに行って床下収納を開けると、中からカップ麺を取り出してふたを閉め、膝に挟んで包装フィルムを剥くと、ふたを開けてかやくとスープの袋を取り出して歯で噛み切って封を切り、中にあけてポットの注ぎ口の真下に置き、お湯を入れる。
背後で智子が何か言っているのが聞こえたが、意図的に聞かないようにして時間が来るのを待った。
出来上がったカップ麺を食べている間、やはり事務所にいる二人のことが気になった。
今度、『神隠し』の標的になる可能性が高いのは、間違いなく所長の結城だ。
結城に万が一のことがあったならと思うと、居ても立ってもいられなくなる。やはり、もう一度行こうと晃が決断するのに、時間は掛からなかった。
晃はさっさとカップ麺を食べ終えると、後片付けをし、乾燥まで終わった衣類を回収してすばやく二階へと戻った。
衣類をたたんでタンスにしまい、はずした義手を拭き清めて再度装着すると、ワンショルダーの中に財布が入っているのを確認して、ジャケットを着てワンショルダーをタスキ掛けに背負った。
その姿で階段を降りてきた晃に、智子は目を吊り上げた。
「また出かけるの? いい加減にしなさい」
「買い物だよ。駅ビルのショッピングセンターで、ちょっと買い物してくるだけだよ」
晃がそう言っても、また探偵事務所へ行くのではないかと疑っているようで、玄関を出たところで智子も外に出てきた。
晃はうんざりしながらも、駅のほうへと歩き出す。それを確認して、智子は納得したようだった。
晃は、住宅街を歩いて五分ほどで到着するそのショッピングセンターで、護符の材料となるものを買うつもりでこちらへやってきた。むろん、智子への目くらましでもある。
この中に、いわゆるパワーストーンと呼ばれる石を売っている店がテナントとして入っているのを、晃は知っていた。その階にエレベーターで直行し、店を目指す。
そこはこじんまりとした中に、パワーストーンやそれを利用したお守り、占いのためのグッズなどを売っている店で、晃は親指の先ほどの石に紐を通すための穴を開けただけのタンブルストーンが並んでいるところにやってきた。
まず、結城を思い浮かべながら右手をかざし、さまざまに並ぶ石の上を通過させた。そして、ふと気になったひとつの石を手に取る。それは、針のような結晶が中に入った針水晶というものだった。
次に、和海を思い浮かべながら、同じことをする。今度気になったのは、インカローズという名前の薔薇色の石だった。
この二つに、さらに石を通すための細い皮紐を手にとり、レジに持っていって清算してもらうと、晃はトイレにいった。
用を足すためではない。個室に入って人目を遮断し、念を込めるためだった。
個室に入って鍵を閉めると、遼の力を呼び覚ました。体の中を、冷たい炎が激しく流れていく。
晃は、石などが入った小袋を右掌の上に乗せると、それをじっと見つめる。冷たい炎は皮膚を通して掌にあふれ出し、袋の中の石に注ぎ込まれていく。
充分な力が中に入ったと感じたところで、晃は遼の力と自分を分離させる。わずかに虚脱感を感じるが、それはもういつもの感覚だった。
それを終えてトイレから出ると、今度はエレベーターホールに面した休憩所に足を運び、そこのベンチでエレベーターから一番遠い場所に腰掛けると、袋から買った物を取り出し、皮紐を三十センチほどの長さのところで指でつまむ。それを見つめると、紐は音もなくそこで切れた。
切れた紐の先を、膝の上に転がした石のうちの片方の穴に器用に通し、そのあとは紐の両端を揃えて持つと、体を傾けて自分の体で人目をさえぎり、石を見つめる。石は見えざる手に導かれるように空中を動き、自らの手で紐に結び目を作り出していく。石の動きが止まったとき、石のすぐ上と端近くの二箇所に、きれいな結び目が出来ていた。
もう一つの石も同じように作ると、それをもう一度小袋に戻し、ワンショルダーのポケットの中に入れた。
そして、今度はメンズ用品売り場に行き、アリバイ作りのために冬用の裏起毛のシャツを一枚買うと、それをワンショルダーの中に押し込んだ。
取って返して駅前のバス乗り場に行くと、事務所の方向へ行くバスに乗り込む。
(遠隔透視が効かないのが、悔しい。“視え”れば、まだいろいろ対処の方法があるんだけど……)
(だから、この“護符”を渡しに行くんだろ。お前の、そして俺の力が込められた“護符”があれば、これを通して二人の様子がわかり、お前が力を振るえるようにさえなる)
(そう。だから、間に合ってほしいんだ。だから、急いで作ったんだよ)
最寄の停留所で降りると、晃は事務所へ向かって走りだした。しかし、程なく小走りの状態になる。肺活量が少なく、すぐに息が上がってしまう体が恨めしい。
とにかく事務所にたどり着くと、呼吸を整えつつ窓から中を覗いた。カーテンの隙間から、人が室内を動く気配がある。二人は無事だと直感した晃は、安堵しながらチャイムを押した。インターホンから、和海の声が聞こえる。
「はい、結城探偵事務所です。ご用向きはなんですか」
「小田切さん、僕です。二人とも、大丈夫ですね」
「あ、晃くん。わたしたちは大丈夫。それより、晃くんのほうこそ、大丈夫なの」
「大丈夫です。入ってもいいですか」
「構わないわ、どうぞ」
返事を確認して、晃は中に入った。その途端、和海に出迎えられる。
「晃くん、すっかり顔色がよくなったわね」
「もう、回復しました。実は、護符になるものを持ってきたんですよ」
和海は驚きと戸惑いを見せながらも、晃を事務所の中に入れた。
中では、自分のデスクに座っていた結城が、片手を挙げた。
「わざわざ戻ってきたのか。何か、護符になるものを持ってきたと聞こえたが」
「ええ、これです。見てください」
晃は、ワンショルダーのポケットの中から小袋を取り出し、デスクの上で中身をあけた。転がり出た皮紐付きの石に、二人は目を丸くする。
その石は、二人の能力で見てまばゆく感じるほど、強い力を放っていた。
「針水晶のほうが所長、インカローズのほうが小田切さんにと用意したものです。見たところ、所長も小田切さんも、今日はあれ以降外に出ていませんね」
結城も和海も、困惑を隠せないままにうなずき、それぞれの石を手に取った。掌に乗せただけで、なんとも表現のしようのない力が、石から伝わってくるのを感じているようだ。
「……もしかして、君が念を込めたのか?」
結城が、茫然としたまま晃のほうを見る。
「ええ、そうです。でも、心配しないでください。この通り、僕は大丈夫です。体に負担が掛からないように、時間をかけてじっくり念をこめましたから。この石を、ポケットに入れておいてもいいし、ベルト通しのところに通しておいてもいい。肌身離さず、身につけておいて下さい」
晃の言葉に、二人は半信半疑のようだった。石と晃の顔とを、交互に見比べては首をひねっている。
(石に込められた力が大きすぎると思っているんだろうな。気合入れすぎだったんじゃないか、晃)
(かも知れない。でも僕は、あの人たちを護りたかったんだ)
(お前らしいよ)
今ひとつ納得出来ないのがよくわかる雰囲気のまま、二人は晃に礼を言い、護り石を結城はスラックスのポケットに入れ、和海はウエストのベルト通しのところに止めつけた。
それを確認した晃は、買い物に出ると言って母親の目をごまかしてきたのだと告げ、早々に立ち去ることにした。
「本当は、もう少し打ち合わせしておきたいところなんですが、あとはメールでも送ってください。余り長居していると、また母がかんぐり始めて、こちらへ出てくるのが難しくなってしまいますから。さすがに、毎度喧嘩しながら家を出るのは気が重いので」
「そういうことなら、仕方ないけど……。お茶の一杯も飲んでいけばいいのに」
和海の言葉を、気持ちだけ受け取っておきますと受け流し、晃は事務所をあとにした。
バス停へと急ぎながら、二人に渡した石を思い浮かべる。それに引っ張られるように、事務所で、いつも通りに事務処理をしている姿が脳裏に浮かんだ。
(大丈夫、“視え”る。これなら、何が起きているか、はっきりわかる)
(確かにな。これで、お前の力の唯一の弱点がカバーされたってわけだ。ただし、遠隔地からフォローするとなると、かなり力を使うぞ。覚悟は出来てるな)
(もちろんだよ)
バス停が間近にきたとき、乗るべきバスが迫っているのが見えた。晃は、バス停に向かって駆け出していった。




