18.対話
法引は、目の前の晃の気配が急に変わったのに気が付いた。
「……もしかして、遼さんですか?」
思わず問いかけると、晃が、否、遼が静かにうなずく。
「ええ。晃が考え込みすぎて、ぼんやりしたところを無理に入れ替わりました。俺が、事情を説明します」
遼の言葉に、法引は大丈夫なのかと心配になった。
「無理に入れ替わったとは……それで早見さんもあなたも無事なのですか?」
「……晃が、自分の意志をしっかり持っているときなら、入れ替わることなんて出来ません。前にも話しましたよね。今、晃に入れ替われる隙があったんで、入れ替わったんですよ」
遼はそこまで言うと、いきなり法引に向かって頭を下げた。
「本当に申し訳ない! 晃はあなたのことを、間違いなく大事に思ってます。だから巻き込みたくないと思っているんですが、言葉足らずで傷つけるようなことを言ってしまったんです。だんだん自分がこういう発言をしたら、他の人がどう思うかとかいう視点が欠けてきてるみたいで、ほんとにどうしようかと……」
遼の謝罪に、法引はそういうことかと、なんとなく腑に落ちた。
確かに、晃の能力から言って、自分が足手まといになりかねないのは自覚していた。
だが、だからといって、まさか晃に『来る必要などない』と言われるとは思わなかった。
松枝は内容をぼかしていたが、自分が晃の求める水準から見て力不足なのだというものだろうとは、容易に想像がついた。
そのうえでのあの発言だ。
ついこちらも、大人げない対応をしてしまった。
遼の言動からして、晃は自覚なしにああいうことを口にしているのだと、よくわかった。
やはり、今の晃はかつての晃ではない。
理解していたつもりだったが、それでこの対応とは、自分もまだまだ未熟者だ。
とても、悟りには近づけそうもない。
法引は内心苦笑しながら、遼に話しかけた。
「遼さん、頭を上げてください。わたくしも、感情的になってしまいました」
それを聞き、遼が顔を上げる。
「本当にすみません、和尚さん。晃の本音は、『和尚さんを巻き込みたくない』なんです。それが、うまく伝えられなくなっているんです。あいつ……他の人を巻き込むことを恐れて、恐れすぎて、一人ですべて背負いこんで消えようとしてるんです。俺じゃ……俺じゃ晃を止められない……」
遼が、顔を歪ませて唇を噛んだ。
事態は、想像以上に深刻だと感じた。
晃が壊れていると聞いていたが、最近あまり顔を合わせていなかったこともあって、実際にこうして話を聞いてみると、かなりまずい状況になっていると感じた。
感情と、実際の言動が乖離しているような気がする。
深いところでの心根は、おそらくは変わっていない。
だが、それが表面に出てくるとひねくれ、歪んだものになっているような感じなのだ。
そして晃自身は、そうして変わってしまった自分の言動に気づいていない。
だから、壊れていると言われるのだろう。
周囲がなんとしても止めないと、晃はきっと最後には自分を滅する行動を取る。
そうなってしまっては、本当に終わりだ。
そうさせないためにも、晃に寄り添い、傍に居続ける者が必要になる。
自分は、その役を出来るだろうか。
晃の言葉に、心が揺れてしまった自分が。
「……晃は前から、自分は本当は人間とは呼べない存在なんじゃないか、と思っているところがありました。俺が、晃に超常の力を与えてしまったせいです。そうしなければ、晃の命を助けることは出来なかったけど……その結果が、今につながってるんだと思うと……」
遼が、言いながら肩を落とす。
「遼さん、自分を責めてはいけません。あなたがいたからこそ、早見さんは今、ここに居る。そうでしょう?」
法引は、遼が落ち込んでしまったことに、少し慌てた。彼に晃を支えてもらわなければ、今以上に歯止めが利かなくなってしまう。
遼に落ち着いてもらおうと、法引はそっと肩を叩きながら宥めにかかった。
「あなたは、自分が出来ることを精一杯やった。早見さんを生かすために。だからこそ、今ここにこうして、わたくしたちは出会い、言葉を交わしているのです。あなたのしたことは、間違ってはいない。そうでしょう?」
何度も何度も、間違ってなどいないと繰り返し声をかけ、そうしているうちに、遼はやっと法引と目を合わせた。
「……和尚さん、俺は前から、晃を普通の人間として命を繋ぎ止められなかったことを、悔いてきました。晃本人からは、『気にしない』と言われていたのに。そういう俺の気持ちの弱さも、今回悪い方に引っ張ってしまった原因かもしれない。俺、何とかもう一度、立て直してみます。俺だって、晃が破滅に向かって突き進んでいくのを、黙って見ていることなんか出来ないですから。……まあ、本当にどうしようもなくなったら、晃と約束した通り、引導を渡すつもりではありますけど……」
法引も、その話は聞いていた。
もし、晃が穢れに飲まれて周囲に襲い掛かりそうになったら、遼が晃を冥界に引きずり込んですべてを終わらせると。
だが、それもまた選んで欲しくない選択ではあった。
そうなったら、晃も遼もこの世から消えるということだ。
生者としては、二度と会えないということになる。
確かに遼は死霊ではあるが、晃の身体を借りてこうして直に話すことが出来るということを考えると、遼もまた、第二の生を晃とともに生きていると言えるのかもしれない。
そんな二人を、この世から消えさせてはいけない。
「遼さん、引導を渡すのは、本当に最後の手段にしてください。わたくしは、あなたたち二人を失いたくないのです」
「……わかってます。これは、どうしようもなくなった時の最後の選択肢です。俺だって、晃を殺したくない……」
遼が、哀しげに笑った。
「俺だって、晃に生きていて欲しいんです」
そうだ。晃に生きていて欲しいから、“同化”などという無茶な手段を取ったのだ。結果的に晃を人外にしてしまうことにはなったが、他の手段で晃の命を救うことは出来なかった。
法引は、遼もまた葛藤を抱えながら、晃を支えてきたのだと悟り、何とも言えない気持ちになった。
しかし今は、気持ちを切り替える必要があった。
晃は狙われているはずなのだ。
「……このことは、ここまでにしておきましょう。それより、今考えなければならないのは、早見さんが狙われていて、結界を破って侵入しようとしていた存在がいるということではないでしょうか」
敢えて話題を切り替えると、遼もまたその意図に気づいたのだろう、微かに微笑んだ。そして、改めて居住まいを正す。
「……そうですね。確かに今、晃は狙われてるでしょうね」
わざわざ晃を狙うのだ。よほど強力な存在か、どうしてもそうしなければならない理由があるのだろうか。
「今まで、晃を直接狙ったケースは、神社めぐりで罠にかけられたときでしょうか。あの時は、異界に飛ばされて、そこで物量でつぶそうとしてきましたが……」
あの時は、巻き込まれてしまった連中がいたために、晃が本性を現して対処することが出来ず、結果としてああいうことになった。
「あれ、人目がなければ、晃はもっと余裕をもって脱出出来ました。そういう意味では、相手はまだ、晃の実力を読んでいなかったってことになります」
「そうでしょうな。しかし今回は、正面から早見さんが張った結界を破って入ってこようとしていた。つまり、相応の実力はある存在だということですか」
法引の言葉に、遼もうなずく。
「晃は、何度も禍神に関連する異界というか、隠れ里というか、そういうところを潰しています。それだけやれば、相手も晃の実力や本性に気づいても不思議じゃありません。そのうえで、今回のことが起こったなら……」
相手は、晃の力を承知のうえで、狙ってきたということになる。
今までのような、“様子を見ながら隙を突く”のではなく、真正面から挑んでこようとしていたとしか思えなかった。
どういう方針転換だろうか?
「俺は、今回はどうしても解せないっていうか、なんでわざわざ結界を破ってまで入ってこようと思ったのかが、わからないんですよね。結界を破るにしたって、相当な労力を使うはずです。その分、疲れるだろうに……」
晃の結界は、法引自身が認めるように、非常に強力だ。法引では、即席にはとてもあそこまでの結界を張るのは無理だったのは本当だ。
それだけに、それを無理に破るということは、その分消耗するはずだ。
その消耗を意に介さずに、押し入ろうとした存在は、どういうモノだったのだろうか。
そしてソレは、またやってくるのだろうか。