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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第十一話 交差する運命
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14.決心

 「早見くん、お節介だと思うかもしれんが、一度診察を受けてくれないか。ここしばらく、本当に顔色がよくないんだ。悪いとは言い切れない顔色ではあるんだが、だからと言って、健康そうには見えない。私たちを安心させるためにも、松枝先生に診てもらってくれ」

 隣の結城が、晃に言い聞かせるように声をかけた。

 「そうよ。なんだか、作業のスピードも遅くなってきてる感じだったし、どうしたんだろうって思ってたの。診察を受けて、大丈夫ならそれでいいじゃない。ね、晃くん」

 和海も、なだめるように晃に話しかける。

 「……そこまで言うのなら、一応、受けてみます……」

 ぼそぼそと聞き取りにくい声で、晃が診察に応じることを了承した。

 それだけでも、松枝は内心ほっとした。これで本人に拒絶されては、何しにここまで来たのかという話になる。

 ひとまず場所を移そうということで、和室に場所を移した。

 晃が事件に巻き込まれた後、いろいろあって一晩過ごした部屋だ。

 あの時は完全な物置だったが、今はある程度ものが片付けられ、人が何か出来るだけの空間があった。

 畳敷きの床の上に晃が座ると、女性である和海は席を外し、結城が近くに付き添う。

 そこにやってきた松枝は、往診用の鞄から診察道具を取り出すと、晃のシャツをはだけさせて肌着を露出させると、肌着の下に聴診器を差し込み、深呼吸をするように指示を出しながら、晃の心音や呼吸音を聞き取る。

 しばらく胸の音を聞いていたが、今度は晃に後ろを向いてもらい、背中に同じように聴診器をあて、音を聞いた。

 「……余計な雑音はないようだが、少し心拍数が多めかな。あと、血圧を測ろう」

 血圧計の腕帯を晃の腕に巻くと、腕帯の隙間に聴診器を入れ、空気を入れて腕帯を膨らませる。

 そして腕帯の空気を抜きながら血圧計の目盛りを見、最高血圧と最低血圧を読み取って、メモに書き込む。

「……上が百十、下が七十一か。正常値と言えるね」

 ちなみにだが、腕帯によって止められていた血流が流れ出し、脈拍を感じ始める点が最高血圧。脈拍を感じなくなる点が最低血圧となる。

 晃の数字自体は、間違いなく正常値の範囲に入るものだったが、松枝は改めて晃の手首をつかんでみた。

 「……君、()せたね。元々痩せ気味だったはずなのに、さらに痩せるなんて、どうしたんだ?」

 聴診器を当てた時にも、なんとなく感じていた。体に付いている肉が薄くなったと。

 以前は、いくらほっそりとしているとはいっても、肋骨の様子を感じることはなかった。

 それなのに今日は、うっすら肋骨の凹凸を肌の上から感じたのだ。

 痩せた。間違いなく、痩せ細った。

 晃は、ややうつむいたまま、押し黙っている。一方結城は、やはりという顔をしていた。

 「……私もなんだか痩せたような気がしていたんですが、やはり早見くんは痩せていましたか……」

 松枝はうなずくと、もう一度晃の顔を見た。

 晃の表情は動かない。言葉も発しない。目も合わせようとしないので、話したくないのだろうとは、推測出来るが、それで納得するかと言ったら別問題だ。

 「……早見さん、最近、どういうものを食べていましたか? 正直に答えて欲しい。この痩せ方は、少しおかしい」

 もし食事が原因でないとしたら、重大な病気が隠れている可能性がある。だから、最近の食事内容を知りたかった。

 松枝に何度も訊かれ、さらには結城にも促され、晃はぼそぼそと答えた。

 松枝はメモを取ったが、詳しく聞くにつれ、眉間にしわが寄った。

 明らかに、成人男子が一日に必要とするカロリーの摂取が出来ていない。

 基礎代謝分のカロリーも足りていない量しか、食べていない。

 しかも、食事を抜くこともあったのがわかった。

 あの食事量で、しかも時折食事を抜くなど、ありえない。

 それでは、痩せるはずだ。

 しばらく前から、そういう食事になっていたようだ。傍らの結城が、溜め息を吐く。

 「そんな予感はしてたんだ。ちゃんと食べなきゃダメだと、何度か言ってはいたんだ……。まだ確定ではないが、少し希望が持てそうな情報が入っていてね、今度それを調査に行くことになっている。だから、自分で自分を滅しようとは思わないでくれ。頼むから……」

 結城の言葉にも、晃は反応を示さない。

 元々少食で、男子大学生とは思えない食事量だったらしいが、それがさらにひどくなっていたようだ。

 男子大学生が、小さなお椀一杯のグラノーラとか、栄養補助食品のスティック一本とか、そんなので食事を済ませていたら、それは痩せる。

 以前は、曲がりなりにも料理をして、それなりの食事をしていたはずではなかったか。

 それがいつの間にか、いやにケミカルな食事とも呼べない食事になってしまっていた。

 「とにかく、一度血液検査はさせてもらう。これで、栄養失調にでもなっていたら、入院してもらうことになるよ。君自身が、自分を大事にしようとしないと判断出来るからね」

 有無を言わせない調子で、松枝がそう告げると、晃は目を伏せたまま小さくうなずいた。

 一応、採血も出来るように用意をしてきておいてよかった。

 松枝は、さっそく採血のためのキットを取り出すと、封を切って晃の腕を消毒し、採血針を血管に刺して専用のプラスチック製の試験管三本に血液を採り、アルコール綿でしばらく傷口を押さえてから、傷口を塞ぐ専用の小型絆創膏を貼る。

 血液の入った小型の試験管は、専用の容器に入れて保護し、採血に使った道具一式も専用の袋にきっちりとしまい、すべてを鞄の中に納めた。

 「とにかく、きっちり食べて体を維持出来るだけの栄養とカロリーを取ること。君はそうでなくても細身なんだ。これ以上は痩せすぎとなる。すでに、そうなりかけている。ちゃんと食べなきゃだめだ。いいね」

 言い聞かせるようにそう言うと、松枝は鞄を手に立ち上がる。

 「結城さん、出来れば、目の届かない一人暮らしではなく、誰かと一緒に暮らせればいいんですが、どうにかなりませんかね。まあ……ややこしいことになりそうなので、実家に連絡は取らなくて結構ですが」

松枝がそう言うと、結城は一瞬考えこんだが、大きく息を吐いた。

 「……ある意味、一番の安全策は、川本さんの家に同居させてもらうことなんですが」

 そうすれば、雅人は同じ大学だし、“護衛”対象である万結花と接している時間も長くなる。家族の誰かしらと一緒に食事をすれば、おかしな食生活にもならないだろう。

 確かに、一石二鳥どころか三鳥、四鳥でもあるのだ。

 向こうが承知すれば、の話だが。

 「……一応、打診してみますかね」

 結城がそう言うと、晃が身支度を整えながら、抑揚のない声で否定した。

 「必要ないです。第一、厚かましいですよ」

 そう言うだろうとは思っていた。彼が本当に、自分を消し去る方向で動いているのなら、それを阻害されるのは、拒むだろう。

 しかし医者として、そんなことをさせるわけにはいかないのだ、と松枝は強く思った。

 玄関で結城や和海が見送る中、晃は一歩下がった位置で、二人の後ろに隠れるようにこちらを見ている。

 こちらを信用していないわけではない。信用していないなら、そもそも診察など受けさせはしないだろう。

 だが、彼は心を閉ざしたままだ。

 松枝は、車で急いで帰宅すると、ちょうどやってきた移送業者に晃の物も含めて採血した血液を託し、検査センターへと持っていってもらう。

 そして、自宅で改めて晃の現状について考えた。

 以前より明らかに痩せた晃の様子が、脳裏に浮かぶ。

 検査結果が例え正常値を示そうと、栄養失調の初期だと偽って入院させた方がいいのではないか、とさえ思う。

「……どうしたの、考え込んで」

 妻の文子が、お茶を入れながら声をかけてくる。

 「……いや、今日往診に行った早見さんのことなんだが……」

 「ああ、あのものすごいイケメンの子ね。でも、何だかあの子、危なっかしい感じがするのよね。前にうちに入院した時も、なんだかすごく不安定だったでしょ」

 この二人の間にも、大学生と高校生の息子がいる。

 長男のほうは、現在医学部に在学しており、将来親の後を継いで医者になるため、勉強中だった。

 次男のほうは、少しのんびり屋だったが、それでも成績はいい方だったので、やはり医学部を目指しているらしい。

 その二人が、揃いも揃って健啖家であり、とにかくよく食べるのだ。

 それを日頃見ているだけに、松枝は晃の食事量が信じられなかった。自分の息子とほぼ同年代の青年だというのに。

 松枝は、今日聞き取った晃の食事量のことを、文子に打ち明けた。

 それを聞いた文子は、目を丸くした。

 「それ、ほんと? そりゃ、入院中もそんなに食べている印象はなかったけど、あれは調子が悪いからで、普段はもっと食べているものだと思っていたわよ」

 「……オレが聞いた限り、ここ最近は、その程度の食事量だったようだ。それじゃ、痩せる……」

 往診に行った際の第一印象で、『痩せたな』と思ったことを口にした。

 「……彼はね、どうやらこの世から消え去るつもりのようなんだ。今すぐというわけじゃないが、いつかそうなるように、とね。食事の量を減らしたのだって、その一環としか思えないんだ」

 「ちょっと、それって……」

 文子が、困惑の表情を浮かべる。

 「外田先生には話を通しておくが……彼に救えるかどうか……」

 外田医師は、良くも悪くも科学的なやり方を信じる方だ。彼にとって、晃の語ることは妄想でしかないだろう。

 文子は、そういう意味では勘がいい方だが、だからといって晃の事情をすんなり呑み込めるとは思えない。

 「ねえ、本当に自殺願望があるの?」

 文子の問いかけに、松枝は考えるように唸った。

 「……自殺というか……まあ、端的に言えばそうなるんだろうが……」

 松枝は言葉を濁す。

 確かに、自殺と言えば自殺と言えないこともないかもしれない。

 だが、あれは少し違う。

 彼は元々、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()節がある。

 あの行動は、その意識の延長線上にある。

 自分の本質がそもそも化け物であり、だからこそ簡単に『人食いの化け物に落ちる』と思い込んだのだ。

 それが、何とも痛々しい。

 これからは、もう少し連絡を密にして、晃の言動に注意を払っていこう。

 (君は、化け物なんかじゃない。あんなに優しく、まっすぐな君が、化け物であるはずがない。それに、周りの者たちも君の味方なんだ。寄りかかっても、いいんだぞ……)

 松枝は、医者として晃を支えていこう、と心に誓った。

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