11.交差する想い
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
忘れていた心の痛み。それでも、言わなければならない。
「……万結花さん、僕は、あなたの側に居続けることは出来ない。あなたが正真正銘巫女として、神に仕える身となるまで、僕は見届けることは出来ないはずだから。そもそも僕は、穢れを受けた身。神の側に上がる巫女の隣にいることは許されない。その代わり、どんなことをしても、あなたが無事に人生を全う出来るよう、全力を尽くします……」
晃はそう言うと、万結花から距離を取る。
しかし、万結花はなおも晃の側に寄ろうとする。
「晃さん、待って! あたし、未来を諦めない! だから、晃さんも諦めないで!!」
万結花の叫びが、耳を打つ。
「晃さん! あなたが好き!! だから、だから!!」
これ以上は聞いていられなかった。すべてを振り切るように、晃は万結花に背を向け、走り出した。
その直後、ふと感覚がクリアになる。
目を開けると、そこにはいつも見慣れた天井が見えた。
ああ、目が覚めたのか、と思う。
そこで、晃の心にじわじわと後悔が湧き上がる。
万結花を、突き放す格好になってしまった。そして、万結花を夢の中に置き去りにしてしまった。
アカネがついているはずだが、それでも心配になる。ちゃんと、自分の体に戻れただろうか。
(……自分で突き放して、あの場に置き去りにしたくせに、何を今更……)
(遼さん!!)
遼の言葉は、淡々としていた。それが逆に、晃の胸に突き刺さる。
(お前は、逃げたんだよ。本当の意味で、彼女に向かい合うことも、自分自身に向かい合うこともせずに、自分の役割に逃げたんだ……)
遼に、何を言われているかわからない。
逃げた……?
遼の溜め息が聞こえる。
(お前が、かつてのお前じゃないことはわかる。それでも、お前が完全におかしくならないのは、万結花さんのことがあるからだ。万結花さんへの想いがあるから、お前は何とか踏みとどまっているんだ。その想いに蓋をするな! 踏みとどまれなくなるぞ!)
踏みとどまる? 何を?
頭の中が言葉にならない想いで一杯になり、しかも頭の中をぐるぐると回っている。
自分は、いつか化け物に堕ちる。ならば、禍神の元に乗り込んで、その力を削ぐことで万結花さんの身を少しでも安全にする。
間違ってはいないはずだ。
そうすれば、すべては収まるところに収まるんだ……
いつもの考えに落ち着いたはずが、どこかで何かが引っかかる。
心のどこかが、じくじくと血を流しているような気がする。
どうして、今日に限ってこんなに不安定に感じるのだろう。
いつの間にか半身を起こしながら、晃はベッドの上でそれ以上動けないでいた。
幸い、まだ時間は早く、午前五時にもなっていない。
何とか気持ちを整えて、大学に行かなければ。
そう思うのだが、体が固まったように、動けない。
何故だろう。何らかの術にかかったわけでもないはずだが。
(……本当は、つらいんだろう。そんなに涙を流して……)
遼に言われ、晃は初めて、自分がぼろぼろと涙をこぼしていることに気が付いた。
どうして自分は泣いているんだろう。遼さんは“つらい”というけれど、何が“つらい”のだろう。
自分は、思い通りのことをしているだけのはずなのに。
(……晃、泣きたければ、思いっきり泣け。すべてを涙とともに、洗い流してしまえ)
遼の言葉を聞きながら、晃は涙を止めるすべを見出すことも出来ず、ただ静かに涙を流し続ける。
そんな晃の姿を、一晩部屋の中で晃の様子を見続けていた笹丸が、痛ましそうに見つめていた。
* * * * *
万結花は、ゆっくりと目を開けた。
『現実に戻ってきてしまった』
万結花が目覚めて最初に思ったのは、それだった。
傍らには、アカネの気配があった。
「ありがとう。晃さんのところに連れていってくれて。戻ってくるときも、手伝ってくれたのかな。それならもう一回、ありがとう」
アカネは、それを聞いて一声、にゃあんと鳴いた。
アカネもまた、きちんと自分の役目を果たしたことに、安堵しているようだった。
それにしても、と万結花は思う。
夢の中で、晃と話した。確かに、彼と話した。
それは間違いない。
だが、彼を説得出来たかと言えば、それは否としか言えなかった。
自分の気持ちは、確かに彼に伝えた。
以前は、晃をどう思っているのか、自分でもはっきりしなかった。でも、今ははっきりと自覚している。
晃が好きだと。
あれだけ自分のために、自分の家族のために、命さえ削りながら戦っている姿を見て、こういう言い方は何だが、絆されないはずはなかった。
晃は、いつも真摯だった。たとえ、事件後の“壊れた”と言われる今の彼であっても、自分に対して誠実であり続けた。
だから、本当に案じられた。
今の晃は、伝え聞いた限り、どこか危うさを感じた。だから、夢を通してでも逢いたいと思った。
アカネに頼んで晃の夢の中に入り込むことに成功したが、初めはただ自分が晃の夢を見ているのか、区別がつかなかった。
彼に触れて、間違いなく晃自身だと確信出来たときに、安堵と愛しさに彼に寄り掛かってしまった。
晃が、抱きしめてくれたのが嬉しくて、自分も抱きしめてしまった。
夢の中で、意識体だけが触れ合えたからこそ出来たこと。
現実には許されないことが、夢の中では出来た。それだけでも、夢の中に入り込んでよかったと思う。
でも、出来ることなら、彼に『ずっと側にいる』と言って欲しかった。
精神的な関係でいい。自分のことを見守っていて欲しかった。
厚かましいことだと思う。でも、そうすることでしか、今の晃を引き留められないと思った。
確かに晃は、破滅することを前提で動いている。
それは、確かに自分でもそう感じた。
だから、“側にいて”と頼んだ。
破滅など、して欲しくなかったから。
でも、晃は自分を置いて去っていってしまった。
アカネが連れ戻してくれたから、事なきを得たが、そうでなかったら、自分は精神的な動揺で、うまく戻ってこられなかったかもしれない。
切なかった。
自分の気持ちを伝え、晃の気持ちも充分わかっていると思うのに、晃が心を閉ざしているせいで、噛み合うことがない。
否、心を閉ざしているのではなくて、壊れてしまって正常に反応出来なくなっているのだ。
確かに、己が人食いの化け物と化すという恐ろしさは、自分ではわからない。
晃がおかしくなって、当然と言えば当然だとは思う。
けれど、必ず破滅の道を行かなければならないという、理屈にはならないはずだ。
自分は未来を諦めないと、晃に告げた。その未来の中には、晃が人として生き続けることが出来る未来も、含まれている。
自分は、その未来を諦めない。
晃が破滅の淵に落ちていこうとするならば、自分は何としてもそれを引き留める。
そうしなければ、晃の献身に対して、申し訳なさすぎる。
「……晃さん。あたし、あなたのために自分で何が出来るか、考えてみる……」
そして万結花は、半身を起こすと、自分の首にかかるお守りを両手で包み込むように握り締めた。
晃の力を感じる。
自分を護ろうとする、晃の意思が込められているかのようだ。
アカネが、すぐそばまで近寄ってきたのがわかる。
万結花は右手を伸ばして、アカネの体に触れた。
実体はないが、それでもふさふさとした柔らかな毛並みを感じることが出来る。
「アカネ。アカネだって、晃さんにいなくなって欲しくないわよね」
(欲しくない。あるじ様と、ずっと一緒にいたい)
アカネの、素直な思いが伝わってくる。
自分にだって、晃のために出来ることがきっとある。護られるばかりではなく、彼のために何か、出来ることを探そう。
万結花は、ひと時の逢瀬を終え、新たな決意を心に秘めるのだった。
いよいよ2023年も始まりました。
今年中に、完結まで行くかな……
一応、この話が終わってからですが、次回作の構想もあります。
不器用なので、いくつもの作品を並行して書く、という真似が難しいので、ひとつずつ手掛けることになると思いますので。