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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第十一話 交差する運命
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07.哀切

 それでも今は、こうして何かあった時には、晃に頼るしかないのだ。他に、取れる方法がないのだ。

 「……あたしたち、晃さんの犠牲の上に、こうやって暮らしてるのね……」

 ぽつりとつぶやくと、雅人が肩に手をやった。

 「……万結花、それを言うな。そりゃ否定はしないさ。でも、あいつ自身が、その道を突き進んでいくんだ。誰も止められない。止められないんだよ……」

 雅人の声は、さらにつらそうに、苦しそうに聞こえた。

 兄もまた、どうしようもない現実に、苦しんでいるのだろう。

 困惑することしか出来ない万結花の元に、アカネの気配がやってきた。もう、普通の猫の大きさの気配になっている。

 (……あるじ様、『その人を護れ』って言った。だからわたい、ここにいる。あなたのこと、護る)

 アカネが、どこか張りつめた様な雰囲気で、そう告げる。

 変化(へんげ)していく(あるじ様)に心を残しながら、ここにとどまり続けることを(あるじ様)に命じられたアカネ。

 張り詰めたものを感じるのは、アカネの心の葛藤ゆえだろうか。

 万結花はそっと手を伸ばし、アカネを抱き上げた。

 「……ごめんなさいね。本当なら、大好きなあるじ様と、いつも一緒にいられたのにね……」

 自分のせいだ、と万結花は思う。

 自分が、“贄の巫女”だから。

 その宿命から、逃れるすべはない。

 それでも、『禍神には従ってはいけない』と晃は言い続けている。

 『禍神に仕えたら、生贄として力を搾り取られて殺されるだけだ』と。

 そして、禍神が神としての真の力を取り戻してしまい、手の付けられない存在となってしまうと。

 だから自分に出来ることは、自分の意思をしっかり持って、禍神の脅しや誘惑に心を乱さないことだ。

 わかってはいる。わかってはいるのだが、それでも、晃のことを考えると、心苦しくてたまらない。

 自分のことを想うがゆえに、堕ちていく晃のことが、案じられてならない。

 今の自分の、一番の心の隙は、他ならぬ晃の存在かも知れない。

 万結花は、何とか晃に会いたいと思った。

 もう一度会って、話をしたい。前に会った時は、うまく話が出来ず、それが心残りとなっていた。

 もっと、いろいろなことを話したい。

 自分は、晃のことをどれだけ知っているというのか。

 将来弁護士になりたいから、法科大学院へ進学するカリキュラムを受けているとは聞いた。

 でも、今はどうなのだろうか。

 今でも、弁護士になるという気持ちは持ち続けているのだろうか。

 そして、彼自身のことはどうなのだろうか。

 万結花は、いまだに近くにいる兄の雅人に、声をかけた。

 「兄さん、また晃さんに会いたい。もう一度、じっくり話をしたい。何とか、話を持ち掛けられないかな」

 「……お前がそう思うなら、話だけはしてくるけど……。大学で、昼休みに会えないことはないからな。けどなぁ……」

 雅人が言葉を濁す。

 雰囲気からすると、兄は晃が話に乗るとは思っていないようだった。

 やはり、何かあるのだろう。

 目が不自由な自分は、耳と体感で覚えた道筋以外の道をたどることは、容易ではない。

 思い立ったからと言って、おいそれとは会いに行くことは出来ないのだ。

 「あたし、晃さんが心配なの。なんだか、どんどんあたしから離れていくようで……」

 「……」

 しばらく、妙に重苦しい沈黙があった。

 この沈黙の意味を、万結花が考えていると、不意に雅人が頭をポンポンと軽く叩いた。

 「とにかく、細かいことは明日以降にしようや。今日は、早く寝ろ」

 そう言うと、雅人はドアを開け、部屋を出て行った。

 兄のその態度に、きっと詳しい事情は話したくなかったのだ、と思う。

 そう考えると、ますます晃のことが気になってくる。

 結界の様子を見に来たときは、普通に話をしたと思ったが、今にして思うと、どこか以前の晃と比べて違和感があるように感じた。

 それが何なのか、よくわからない。

 ただ、それを放置してはいけない気がする。

 放置していたら、何か良くないことが起こりそうな気がする。

 兄は早く寝ろと言ったが、心の中で、何かが渦を巻いているような気がする。早めにベッドに横になったとしても、とても眠れる気がしなかった。

 またも、晃がどこか遠くへ行こうとしているような、そんな気持ちが襲ってくる。

 切なくて、悲しくて、それでもどうしたらいいのか、わからない。

 何とか、もう一度(じか)に二人だけで話したい。

 晃の本当の胸の内を聞いてみたい。

 やがて、家の外にぼんやりとだが、妙な気配がいくつも現れたと感じた。

 また、様々な霊や妖たちが、結界の外に集まってきたのだろう。この状況だけは、ずっと変わらない。

 今、居間に行ったら、気配が集まっていることだろう。

 自分は気配を感じるしかないから、このくらいなら恐ろしいとはあまり感じないが、実際に目に見えたなら、きっと恐ろしいに違いない。

 それでも、結界が無事である限り、悪しきものは家の中に入っては来られない。

 今も自分と家族は、晃の手で護られている。

 家の結界だけではない。今や家族全員が、晃の作ったお守りを手にしている。

 悪しきものを寄せ付けず、力を及ぼせなくなるお守りだった。

 自分はまた、“贄の巫女”であるという気配も、ある程度誤魔化せるようなものも受け取っている。

 それだけのことをしてくれた晃が、自分の命を燃やし尽くすかのように、禍神の配下と直接戦い、人ではないモノに堕ちていこうとしているらしい。

 止めなければ、と思う。

 もし、晃が自分の前から姿を消してしまったら……

 そう思ったとき、心の奥底から、激しい感情が湧き上がる。

 『嫌だ!!』

 たとえ自分が神に仕えることになり、人と結ばれることがなくなったとしても、晃には自分の側にいて欲しい。

 そういう願いは、浅ましいとはわかっていた。

 そのようなことをしたら、晃の将来を台無しにしてしまう。それこそ、恋人さえ作るなというに等しいのだから。

 それでも、そんなことを願ってしまう自分は、どこまで浅ましいのだろうか。

 手を離さなければ、と思うのに、離したくないと叫ぶ自分がいる。

 けれど、そんな想いさえ届かぬほどに、晃は自ら堕ちていこうとしている。

 自分には、何も言わずに……

 外ではより一層、弱いが禍々しい気配が数多く渦巻いているのがわかる。

 それでも結界はびくともしていない。

 結界を破りそうな妖を、晃が退けてくれたから。晃が、護ってくれたから。

 気が付くと、アカネがすぐそばに来ていた。気配を頼りにアカネを抱き上げると、改めてベッドに腰かけて、アカネを膝の上に乗せる。

 「アカネ、晃さんはちゃんと自分の体に戻れた? ちゃんと休めてる?」

 アカネの背を撫でながら、静かに問いかける。

 (……あるじ様、ちゃんと戻った。今は、休んでる)

 晃と繋がっているアカネがそういうのなら、きっとそうなのだろう。

 識神のアカネが、この件に関して自分に対して嘘を吐く理由はないはずだった。

 今のアカネは、本物の猫のように感じる。もふもふとした毛並みの手触りも感じられるし、顎を撫でてやると、ごろごろと喉を鳴らす音も聞こえる。

 それでも、体温はほとんど感じないし、呼吸する気配も、鼓動も感じない。完全に実体化すれば、また違うのだろうが、やはり化け猫なのだと思う。

 他の妖はどうだか知らないが、アカネはあるじである晃のことを、心の底から慕っている。識神となったのも、()()()()で晃の行方をはっきり感じ取れなかった後悔からだと聞いた。

 アカネを通してなら、晃に自分の今の気持ちを伝えられるかもしれない。

 「アカネ、晃さんに伝えて。『いなくならないで。ずっと側にいて』って……」

 アカネが、うなずいた気配がした。

 しばらく沈黙があったが、やがてアカネの念話が聞こえてきた。

 (あるじ様、こう言ってた。『嬉しいけど、いつまでいられるかはわからない』って……)

 やはり、そうなのか。

 晃さん、消えていかないで。お願いだから……

 万結花の心は、締め付けられるように痛んだ。

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