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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第十一話 交差する運命
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06.異形

 万結花は、自室で溜め息を吐いていた。

 国家資格である鍼灸マッサージ師の資格取得のための勉強がスタートしたばかりで、これから頑張らなければならないというのに。

 手探りで、傍らにある時計に触れると、時計が音声で『午後七時十二分です』と告げた。

 学校から帰宅し、夕食も済ませ、これから復習なり予習なりをするべき時間なのだが、どうにも気が乗らない。

 全ては、兄の雅人から最近の晃の動静を聞いたせいだった。

 どうやら晃は、次第に感情を表に出さなくなってきているらしい。少し前まで、多少は感情の動きが表情でわかったのに、今はほとんどわからなくなったというのだ。

 ほとんどの時間無表情で、何を考えているのか、親しいはずの探偵事務所の人たちさえ、困惑しているという。

 つい先日、結界の様子を確認しに来てくれたのだが、その時も、言われてみれば晃は感情の起伏に乏しいような感じはしていた。

 気のせいかと思っていたのだが、そうではなかったのか。

 晃の心が、どんどん壊れていってしまっているのだろうか。

 何とか、もう一度会えないだろうか。

 そう思って、その直後に万結花は首を横に振る。

 そもそも、すべてのきっかけは自分と出会ったことだ。

 晃は、自分が好きだと言った。

 自分もまた、晃のことが好きになったと言える。今だって、心配でたまらない。

 それでも、自分が晃を巻き込んで、彼の心や未来をずたずたに傷つけたことは、疑いがない。

 自分と関わらなければ、晃は出会った頃のままでいられたのだろうか。

 それでも、自分たちは出会ってしまった。そして、すでに運命の歯車は回ってしまったのだ。

 誰が悪いわけでもないというが、どうして自分は“贄の巫女”なのだろう。

 何度自問自答したかわからない。答えなど、出るわけがない。

たった一度だけ()()、晃の顔が思い浮かぶ。

 中性的で整った、哀しみを感じるほどに優しい顔立ち。

 あの、たった一度目に焼き付いた晃の姿は、今もはっきり思い出せる。

 それからは、気配でしか彼を感じることはなかったが、それでも晃は自分を案じ、自分のために文字通り(おのれ)の身を削ることもいとわず、自分を護ってくれた。

 その彼が、どんどん遠くに離れていくような気がする。

 自分から離れ、消え去ろうとしているような気がする。

 兄の雅人は、自分が尋ねたから話しただけで、詳しいことは話さなかった。

 それがかえって、晃の身に何かがあったことの証明のように思えて、心の中に湧き上がる不安とも焦りともつかない想いを抑えられなかった。

 しばらく考え込んでいると、足元に気配が近づいてきた。

 自分を護るためにほぼ張り付いていると言っていい、アカネの気配だった。

 アカネが、晃の意思で自分の元にいることを、万結花は知っていた。

 アカネ自身は、出来れば晃のところにいたいらしい。

 以前晃が巻き込まれた拉致監禁暴行事件の時、ほとんど半狂乱になっていたアカネ。それ以降、以前にもまして、晃のことを案じるようになった気がする。

 それはそうだろう。

 人にいじめ殺されて化け猫になったアカネにとって、晃は初めて心を許した大事な“あるじ様”だったのだから。

 「……アカネ。晃さんは、ちゃんと笑えてる?」

 試しに訊いてみた。

 (……あるじ様、最近笑わない。あるじ様、もっと化け物になった……)

 『もっと化け物になった』とは、どういう意味だろう。

 元々、アカネにとって晃は、あるじ様であるのと同時に、“人の姿をした化け物”だったという。

 ここで言う“化け物”は比喩ではない。文字通りの意味だ。

 だからこそ、気になって仕方がない。

 もう少しアカネと話したいと思ったその時、まるで地震のように部屋が震えた。

 現実の揺れではない。何か相当な力を持ったモノが、家の周囲に張られた結界にぶつかってきたのだ。

 途端に、近くにいたアカネの気配が、大きく膨れ上がる。戦闘態勢に入ったのだろう。

 ここしばらく、これほど大きく結界が揺さぶられることはなかった。

 今夜来たのは、相当力を持った存在らしい。

 しかも、どうやら自分の部屋を狙ってぶつかってきたらしい。

 いつもなら、居間の窓のほうに誘導されるはずが、それが効かないということは、相手は結界を破るほどの力を持つ可能性があるはずだった。

 一応、結界自体に今のところ特に問題はない、とは言われた。だが、強力な存在に襲われれば、破られない保証はないのだ。

 アカネが唸り声をあげている。これは、ただ事ではない。

 すると今度は、部屋のドアが強めに叩かれる。

 「万結花、いるか? 入るぞ!」

 言うが早いか、雅人の気配が飛び込んできた。

 「兄さん、どうしたの?」

 「どうしたもこうしたもあるか! ものすごくヤバい気配が、家の周りをぐるぐる回ってるぞ!」

 やはり、そういうことなのか。

 兄も、霊感は強い方だ。だから、危機感を覚えて自分のところにやってきたのだ。

 「……早見はどうするかな。『もうアカネは識神だから、アカネの周囲の様子はすぐにわかる』とは言ってたが」

 以前の事件以来、アカネのほうから望んで識神になったと聞いた。具体的にはどうなのかはよくわからないが、魂の結びつきがより強くなり、より意思に疎通がスムーズになったのだと聞いた。

 なら、晃もこの事態に気づいているはずだった。

 いつもなら、電話くらいかかってくるはずだが、と思っていると、突然強烈な気配が部屋の中に現れた。

 生者と死者のそれが入り混じるその気配こそ、本性を現した時の晃の気配。

 「早見! お前、幽体離脱してきたのか!?」

 兄の叫ぶような声で、晃が幽体の姿でここに現れたのだとわかった。

 次の瞬間、その気配が部屋の壁に向かって動いた。そして明らかに急速に弱く感じられるようになった。きっと、壁を抜けて外へ出たのだ。

 強く結びついたアカネの元に、飛んできたのだろう。

 そして、外に出て行ったのだ。

 そのわずか数舜ののち、外の異様な気配は静まり、晃の気配が再び室内に戻ってきた。

 すると、兄がどうやら固まっているらしい。

 何があったのかと思っていたら、兄のかすれ声が聞こえた。

 「……早見……お、お前……」

 兄がさらに続きを言おうとする前に、晃の気配はふっと消え去った。どうやら、自分の体に戻ったようだ。

 万結花は、兄の様子が気になった。雅人は、ほぼ絶句状態だった。

 「……兄さん、どうしたの? 晃さんに、何かあったの?」

 「……ああ、万結花。まずい。あいつ、さらに化け物に近づいていた……」

 「えっ!?」

 雅人は話してくれた。

 晃の目の色が、さらに(あか)味が強くなっていたこと。左手の爪がさらに伸び、十センチにはなっていたこと。右手の爪も、先が鋭く尖ったものになっていて、すでに人の手ではなくなっていたことなどを、告げた。

 確かに、以前聞いていた様子より、明らかにより“症状”が進んでいる。

 それが、今しがた戦ったせいなのか、以前からそうだったのか、判断が出来ない。

 体が変化(へんげ)するに従い、精神もまた人ではなくなっていくのだろうか。

 そうではないと思いたいが、否定出来る要素がない。

 「……兄さん、晃さんは、穢れにそのまま飲まれたりしないよね。ずっと、人の心を保ち続けてくれるよね」

 「……そうだといいがな……」

 雅人の声は、どこか苦しげだった。兄もまた、晃がどうなるかわからないと感じているのだろうか。

 『……万結花さん……』

 こうなる前の、晃の優しい声が耳の奥で響く。

 晃は、本当に命がけで、自分を、家族を、護ってくれた。その彼が、そのために人ではなくなっていく。

 空恐ろしさと同時に、悲しさややるせなさも募る。

 (……晃さん……)

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