04.笹丸の思い
『さて、おぬしの求めるような術は、人には難しいぞよ。祀られる者のいなくなった社にそのモノを祀り、逆に神として遇して鎮まってもらうのが一番確実であろうと思うが』
『それはわかるのではあるがの、一筋縄でいく相手であるとは思えぬでの。下手に力をつけると、逆に周囲に被害を及ぼしかねぬ存在であるのだ』
全身を真っ白な毛で被われたキツネが二体、郊外の人気のない緑の中にたたずむ、年数の経った白木の社の前で話し合っていた。
辺りは暗くなりつつあったが、明るかろうが暗かろうが、“視る”力を持つ者でなければその存在にさえ気づくことは出来ないため、二体は話を続けていた。
一体は、首に赤い布を巻いたキツネで、この神社の神使。もう一体は、それを訪ねて神社の神域の外からやってきたキツネ。笹丸であった。
『……しかし、元々封じられていた神を、解き放ちたるは人であろう。ならば、その後始末は解き放ちたるものにやらせればよいではないか』
『そういうわけにいかぬのだ。我の見立てでは、解き放ちたるものはそろそろ体が蝕まれて、後始末の用など成せぬ有様になっておると思われるでの』
『まったく、面倒なことをしてくれるものよの……』
それからしばらく二体は話をしていたが、やがて笹丸は溜め息を吐くと、相手をしてくれた白狐に礼を言い、暇乞いをする。
『此度は、話を聞かせてくれてかたじけない。もし、何か有用な話を聞きつけるようなことがあれば、知らせてもらえるとありがたい』
『承知した。おぬしも、うまく守りたきものが守れるとよいの』
笹丸はうなずくと、人の頭ほどの大きさの光珠の姿となり、一気に上空へと舞い上がると、一路帰宅の途に就いた。
今の笹丸のこの姿なら、晃の部屋に行くにも、分単位で到着出来る。
探偵事務所の建物も、邪なモノが入り込まないように結界が張ってあるが、ある手順でくぐれば、中に入れるようになっていた。
笹丸は、周囲に不審な存在がいないことを確認してから、手順通りに結界のわずかな隙間をくぐり、建物の中に入った。
そして、晃の部屋に行こうとして、結界の壁に突き当たった。
どうやら、笹丸が離れていた一日二日の間に、新たに結界を張ってしまっていたらしい。
これは、何かあったのだろう。
また、禍神に絡んだ何かがあったのだろうと推測し、小さなキツネの姿に戻って、事務所として使っている部屋のほうへと進む。
そこには、まだ仕事をしている三人の姿があった。
結城や和海は相変わらずだが、晃はより一層表情が乏しくなったように見える。
(……晃殿、部屋に結界が張ってあったが、何かあったのかの?)
(……笹丸さん。いや、たいしたことじゃないんですけどね、床で転寝していて、夢の中で接触されて襲われただけです。問題なく逃げられましたけど、おちおち転寝も出来ないんじゃ鬱陶しいので、結界を張ったんですよ。それだけです)
やはりそういうことか。
しかし、晃はたいしたことではないと言うが、充分たいしたことなのではなかろうか。
それをたいしたことじゃないと言い切る晃も、大概だと思う。
遼が何とかとどめてくれているからいいが、そうでなかったらずるずると妖のほうへ精神が引っ張られているのではないか、と心配になってしまう。
笹丸もまた、晃が『自分は人食いの化け物に堕ちて、周囲に襲い掛かる存在に成り下がる』と思い込んでいることを、ひどく案じていた。
そうではないのだと何度か伝えているのだが、晃のほうが聞く耳を持たない。
アカネは、そんな晃に寄り添いすぎて、一緒に堕ちていきそうであるため、この件に関しては当てにならなかった。
かといって、曲がりなりにも自分と念話が通じるのが、法引と、とりあえず聞くことは出来る万結花だけなのがなんとも歯がゆい。
今事務所にいる結城と和海では、念話が通じないのだ。
まったく意思の疎通が出来ないわけではないが、きちんとした内容を伝えたいと思えば、五十音表を前足で指し示すくらいしか方法がない。
一応、それを使えばこちらの意志を伝えられることは確認済みだった。
ただ、一文字ずつ拾っていかなければならないので、ひどく時間がかかるのだが。
笹丸のほうは、二人の声はそのまま聞こえるので、そちらは問題がない。
以前、試しにやってみて、ちょっとした短文を伝えただけで、双方がかなり気疲れしたことを思い出す。
「あら。笹丸さん、戻ってたんですね」
和海が、晃の傍らにいる笹丸に気づき、声をかけてくる。
笹丸はひとまず和海のところまで行くと、キーボードの横に陣取った。
考えてみれば、これを使えばもう少し早いのではないか。
何度も見ているから、どう打てば文字がディスプレイ上に打ち出されるか、大体わかってはいる。
試しに、やってみてもいいのではないか。
「笹丸さん、何か言いたいことがあるんですか?」
和海はそう問いかけ、五十音表を出してくる。
以前、笹丸と意思疎通が出来ないかと、A4の紙に打ち出してみたものだ。そして、汚れたりしわになったりしないように、ラミネート加工してある。
笹丸は、一文字ずつ前足で指して、意思を伝える。
【き・ー・ぼ・ー・ど・を・つ・か・え・ば・も・つ・と・ら・く・に・つ・た・え・ら・れ・る・か・も・し・れ・な・い】
「……えーと、『キーボードを使えばもっと楽に』……ああ、そういうことですか」
和海が、納得したとばかりにうなずく。
和海は、ちょうど区切りが付けられるところだからと一旦表計算ソフトを保存して閉じ、メモ帳を立ち上げる。
「これに、打ってみてください。打ち方、わかります?」
促され、実体化した笹丸は、見様見真似でキーボードを前足で一文字ずつ打ち始めた。
ローマ字変換に設定してあるため、一字打つのに大体二回キーを叩く必要があるが、それでも笹丸は、ちゃんと法則がわかっていたため、案外ちゃんと文章になっていた。
『晃殿に、異変があったことを知っているか?』
「え、晃くんに異変!?」
和海が、驚いたように目を見開く。
二人の話では、今日の日中、川本家に行って結界の状態などを見てきたそうだが、そういうそぶりは、一切見られなかったという。
『部屋で転寝をしていて、夢の中で襲われたそうだ。部屋に、新たに結界が張ってあった』
「……」
和海が席を立ち、結城のところへ行くと、耳打ちする。直後、結城もぎょっとしたように表情をこわばらせると、笹丸のほうを見た。
結城も席を立ち、和海のパソコンのディスプレイを覗き込んだ。
笹丸が、さらにキーを打つ。
『本人から聞いたのだ、間違いはない。しかも本人は、重大なこととは思っていないようだ。反応がおかしいので、そちらでも注意していて欲しい』
ディスプレイの文字を読んだ結城が、真顔になってうなずき、晃のほうを見た。
笹丸も、結城の肩の上に乗り、晃を見つめる。晃は、何事もなかったようにパソコンに向かっている。
その無表情ともいえる顔からは、感情が読み取れない。まずい兆候のように思える。
和海もまた自分の席に戻り、新たに打ち込まれた文章を見、晃の様子に眉間にしわを寄せた。
そして、二人と一体は顔を見合わせ、溜め息を吐いた。
笹丸が、結城の肩からキーボードの脇に降りると、結城が気を取り直したように一息つくと、改めて口を開く。
「早見くん、笹丸さんから聞いたんだが、夢で襲われたそうだね。差し支えなければ、詳しいことを話してくれないか?」
結城の問いかけに、晃は無表情のまま顔を上げる。
「……特にたいしたことじゃありませんよ。ちゃんと逃げられましたから」
そういう問題ではなく、襲われたこと自体重大なことであり、危機感を覚えたからこそ、自分で結界を張ったのではないか? と言いたいのだが。
「晃くん、新しく結界を張ったんですってね。やっぱり、危ないと思ったからでしょ?」
和海が尋ねると、晃はぼそりと答える。
「いや、転寝も出来ないと思ったので。少しイラっとしただけですよ」
言いながらも、晃は表情を変えない。
本当に、転寝も出来ないことがイラついただけなのだというように。
夢の中で襲われたことより、そちらの方が晃の中で重要だったのだろう。
どこかで、何かがずれている。