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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第十一話 交差する運命
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01.プロローグ

 暦はすでに四月となり、最近開花が早くなった桜は、すでに散り始めていた。

苅部那美は、いまだベッドの横たわったまま、すでに消灯している病室の天井を見つめていた。

 病院の中庭には、何本かの桜が植えられていて、窓からのぞくならそれが見えるはずだったが、看護師からそれを聞かされても、今の彼女はそれを見てみようという気力も起きなかった。

  体調は、よくなるどころか徐々に悪くなっているような気がする。入院直後は、調子のいい時は半身を起こせるときもあった。

 だが今は、完全に寝たきりとなり、眠って過ぎす時間も長くなってきた。

 それでも、時折姿を現す黒猿と名乗った猿のような姿の妖が、自分に気を使ってくれるのを心の支えとし、いつか退院出来るようになったら、また禍神の配下の封印を解き、彼の力を取り戻す手伝いをするのだ。

 そして、彼が充分にその力を取り戻したその暁には、ずっと心に秘めていた願いを叶えてもらう。

 そのために、今まで生きてきたようなものだ。

 その願いを叶えられなければ、何のために今まであれこれやってきたというのだ。

 那美は、この原因不明の体調不良が、現代医学で治せるかどうか、微妙だと思っていた。

 だからこそ、禍神配下の黒猿が、自分の元に来てくれていることが、嬉しく思っていた。

 神は、まだまだ自分のことを思っていてくださる。動けなくなってしまった自分を、気にかけていてくださる。

 そう、だからこそ、また今夜のように配下のモノをよこしてくださるのだ。

 きっと、神がもう少し力を取り戻したなら、神の御業によって自分の不調など、治してくださるに違いない。

 那美は、自分の傍らに姿を現した黒猿に対し、かすれた声で話しかけた。

 「……虚影様は、最近どうされているの? 私がこんな状態だから……私の中から外に出て……いらっしゃるだろうということはわかるようになってきたけど……だからこそ今、何をされているのか……わからない。……教えてくれないかしら?」

 何とかそれだけのことを言うと、那美は少し苦しそうに息を整える。最近は、これだけのことを言うのにも、息が続かなくなっていていた。

 『そうだな。虚影様は、今しばらく力を蓄えておられる。例の霊能者が、今まで考えていたよりも、より厄介な相手であるとわかったので』

 それを聞いて、那美は首をかしげる。

 確かに、識域下の世界で一度相対した時には、キツネの力を借りていた。だが、だからといって妖の力を借りる程度だ。

 その後何故か“視えた”、妖を蹴散らし消滅させるあの姿に、無表情でこちらを見たあの美しすぎる人形のような顔に、ぞっとしたことは間違いないが。

 確かに人としては規格外かもしれないが、神である虚影がそれほど警戒する相手であっただろうか?

 そんな那美の疑問に答えるかのように、黒猿が低い声で言った。

 『……実はな、あ奴は人ではなかったのだ』

 「……えっ?!」

 一瞬、自分の耳で聞いたはずのことが、理解出来なかった。

 “人ではない”とは、どういうことなのか。

 黒猿は、ことさら低い声で、さらに続ける。

 『……あ奴は、【生ける死者】だった。死していながら、生けるものであった』

 ますます、内容が頭の中を滑っていく。

 どういうことなのか。あの時見た相手は、確かに生きていたはずだ。

 『……俄かに理解出来ないのは仕方がない。だが、あ奴は生きている人間ではなかったのだ。だからといって、死者でもない。“死者であることを止められて生きている”と言うべきか……』

 いわば、本来は死んでいるはずの存在が、何らかの理由で死ぬべき定めを止められ、まだ生の側にいるということなのだ、と黒猿は告げた。

 『つまりは、あ奴も一種の妖であったということだ。人の範疇に入る存在ではない』

 那美は驚いた。

 どう考えても、人にしか見えなかったのだが、あれはすでに人ではなかったのか。

 呆然としていると、いつの間にか黒猿が顔を覗き込んでいた。

 『……よほど驚いたようだな。あ奴は、虚影様の配下となる妖どもを、次々に殲滅しているのだ。このままでは、虚影様がその御力を取り戻された時に、配下のものがいなくなり、新たに探し求めねばならぬことにもなりかねぬことになっている』

 いくら神とはいえ、眷属として動く配下のモノがいなければ、その動きは制限される。ましてや、再び封印しようと狙う他の神々がいるのだから、そ奴らに対抗するためにも、配下のモノは多い方がいいのだ。

 『それ故な、例の霊能者というか……人外を抑え込むために、力ある妖を生み出す必要が出てきてな……』

 それは当然だろう、と那美は思った。

 聞けば、他者が入り込めぬように張られていたはずの結界を突き破り、中の妖を完全に全滅させたため、結界を強化する霊具を渡したはずが、それさえも破られて全滅させられたところがあるというのだ。

 それで、虚影の元に集う者たちは、今現在かなりの緊張状態にあるという。

 『あの人外をどうにかして抑え込まぬ限り、我らの安寧は訪れぬということなのだ』

 そして黒猿は、那美の目をじっとのぞき込んできた。白目の部分がほとんどない、獣特有の黒い目が、那美を捕らえる。

 『虚影様は仰せられた。【そなたの力を借りる】と』

 那美は戸惑った。

 力を借りると言われても、今の自分はこの通りだ。ベッドに寝た切りで、もう少し回復しなければ、何も出来ない。

 「……今の私……何の力もない……。こんな私でも……力を貸せるの……?」

 困惑を張り付けた表情で、那美は黒猿に尋ねていた。

 『充分出来るとの仰せだ。そなたはただ、この石に力を込めればよい』

 言いながら黒猿は、黒曜石を思わせる艶やかな黒い石を那美の前に差し出した。

 手のひら大のその石は、平べったい丸い石で、自然のものではなく、明らかに加工された物だろうと感じられる。

 「……この石に……力を込める……? どうやればいいの?」

 なおも戸惑う那美に、黒猿は言った。

 「石の上に手を乗せ、念じればよい。それだけでよい」

 それを聞き、那美は何とか右手を伸ばし、差し出された石の上にその手を置いた。なめらかで、ひんやりとした感触が、とても心地よく感じる。

 そして、力を込められるように、そっと念じた。

 すると、石に向かって何らかの力が自分から出ていき、石の中に吸い込まれていくような感じがあった。

 ああ、これでいいのか。那美がそう思った次の瞬間だった。

 まるで自分自身が石の中に吸い込まれる、と感じるほどものすごい勢いで、石が力を吸い始めた。

 那美は、手をどかそうとした。だが、体が硬直したように動かない。

 黒猿に助けを求めようと思ったが、声も出せない。

 焦りが、恐怖に代わっていく。

 那美は、心の中で助けを求めたが、硬直した体は一切反応しない。

 (いや! 助けて! 誰か! 虚影様! 黒猿!)

 しかし、那美の心の叫びもむなしく、彼女の意識自体が石の中に吸い込まれ、残された体がぐったりとなる。

 黒猿はそれを確認すると、石を何かの皮で出来た袋に入れ、口紐を締めると、ぼそりと言った。

 『悪く思うなよ。これも、虚影様の命令だ。“お前の魂を回収してこい“との仰せであった。何、これでお前は確実に虚影様の役に立てる。それを誇りにするがよい』

 虚影はそのまま、壁に吸い込まれるように姿を消した。

 それからしばらくして、夜の巡回をしていた看護師によって異常が発見され、当直の医師に緊急の呼び出しがかかる。

 医師が急いで診察を行うが、苅部那美はすでに意識がなく、投薬にも反応がない。

 彼らは知らない。

 彼女の中に、すでに魂は存在しない。体に体力が残されていないので、形だけでも目覚めているということもない。

 すでに目覚めることのない肉体に向かって、医師や看護師たちが懸命に緊急処置をし続ける。

 「様子がおかしい。ICUへ移す!」

 医師が短く叫ぶと、看護師たちがバタバタと動き出す。

 その後、ストレッチャーが運び込まれ、那美の体がストレッチャーに移される。

 点滴の薬液の袋を一人が掲げ、ストレッチャーが動き出した。

 あとには、つい先ほどまで彼女が横たわっていた、空っぽのベッドだけが残っていた。

 ついに、第十一話が始まりました。

 この物語を、最終話に向けて動かしていくことになります。

 毎週更新する予定ですが、もしかしたら飛ぶことがあるかもしれません。

 その時は、「ああ、詰まったんだな」と優しくスルーしてください。


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