28.エピローグ
結城探偵事務所に、所長である結城、そして和海、法引の三人が、ローテーブルを囲むソファーセットにそれぞれ座り、真剣な表情で顔を突き合わせていた。
時刻は昼を少し回ったところで、晃は用事で大学に行っていてこの場にはいない。
三人は、先日晃から渡された霊具をテーブルの上に出し、それを見ながら溜め息を吐いていた。
「……結局、和尚さんも渡されたんですね……」
どこか諦めた様な口調で、結城が確認するようにつぶやく。
「……ええ。わたくしとしては、受け取りたくはなかったのですが……真顔で『和尚さんを喰い殺したくないんです』と言われれば、受け取らざるを得ませんでしたからねえ」
法引もまた、困惑を隠せない表情でこめかみを抑える。
「……わたし、これを渡された時は、ほんとにどうしていいかわからなくなりましたよ。自分を殺すものをわざわざ作り出して関係者に渡すなんて……」
和海は、すっかり肩を落としていた。
三人とも、晃に渡されたものを持て余し、だからといってしまっておくことも廃棄することも出来ず、頭を抱えていた。
見た目はただの割りばしだが、それに込められた力は、法引が以前長い時間の儀式を経て作った白木の霊具に匹敵するほどで、しかも明らかに使い捨て前提のものだった。
法引の作成した霊具が、持ち主の力を高める物であるの対し、晃の作ったそれは、霊具の中に蓄えられた力を放出することによって、非力な者であっても瞬間的には晃本人に匹敵するほどの力を相手にぶつけることが出来るものだったのだ。
「……和尚さん、これ、普通の悪霊や妖に対しても、力を発揮するものですよね?」
和海の質問に、法引はうなずく。
「それは、間違いありませんな。材料となるものが、込められた力に対して脆弱で、割りばしによくぞこれだけの力を込められたものだと、感心します」
そういうところは、晃の能力の高さの証明のようなものだとは思われるが、だからといって素直に感心出来るようなものでもなかった。
晃は、何を思ってこれを作り、自分たちに渡したのだろうか。
何でも、雅人も渡されているそうで、晃の真実を知る者で、その身に秘められた霊力が膨大な万結花を除き、もしも晃が化け物に堕ちたときに、その場に居合わせる可能性のある者全員に渡されていることになる。
「……早見くんは、本気で自分が化け物に堕ちたときには、躊躇わずに殺してほしいと思っているんでしょうね……」
結城が、暗い表情でテーブルの上の霊具を見つめながらつぶやく。
そんなこと、誰もしたくない。したくはないが、万が一、晃が正気を失って襲い掛かってきたときに、遼の判断が間に合わなかったなら、自分たちが引導を渡さなければならないということになる。
仮にこの割りばしを使っても、晃の体に致命的なダメージが入るわけではない。ダメージが入るのは、その魂だ。
だから、晃を殺してしまっても、死因はおそらく原因不明の急性心不全とかになるはずで、法的に罰せられることはまずないだろう。
だが、自分たちがそれを背負えるかと言えば、無理だろうという気がひしひしとする。
「……所長、所長はそういう場面になった時、晃くんに対して、躊躇いなくこれ、使えます?」
和海が、上目遣いで結城を見ながら問いかける。
「……本当にこちらに襲い掛かってくるようなことがあれば、もしかしたら出来るかも知れんが……躊躇わずに使えるかと言ったら……どうだろうな」
実際に頭を抱えながら、結城が溜め息混じりに答える。
「わたくしは、牽制にしか使いたくはありません。仏に仕える身としては、絶対に人を殺めたくなどありませんからな……」
法引が、真顔になってはっきりと言い切った。
「……ですよね。わたしも、嫌です……」
和海も、法引に同調するようにつぶやく。
しばし、誰もが黙りこくった。黙ったまま、テーブルの上の割りばしを、睨むように見つめる。
やがて、ぽつりと結城が口を開いた。
「……早見くんが、穢れが溜まり切って化け物に堕ちたとして、必ず理性を失うものですかね。どう思いますか、和尚さん?」
結城の問いかけに、法引は少しの間考えて、答えを返した。
「……わたくしとしては、必ずそうなるとは思えません。監禁されていた時は、心身ともに弱っていた状態だったのでしょう? ならば、その意志をしっかり持っている状態であれば、もしかしたら妖の本能より、人としての理性が勝ることもあるのではないか、と愚考しますが」
それに、勇気を得たように和海が表情を明るくする。
「そうですよね。必ず理性を失うとは限らないですよね」
「……ああ、そうだな。早見くんが、そう思い込んでいるだけだ。ただ、それが一番の大問題ではあるんだが……」
結城の言葉に、法引も和海も再び溜め息を吐く。
結局そこに帰るのだ。
そう思い込んでいる限り、本当にそうなってしまいかねない。それが怖いのだ。
だから、何とかその思い込みを解き、もう一度“生きる希望”を与えられれば、晃は本当の意味で人食いの化け物にならずに済むのではないか、と思える。
「……そういえば、邪神を封じる方法の手がかりって、見つかったんですか?」
今度は和海が、法引に問いかける。
「……そうですな、もしかしたら、手がかりになるかもしれない、という内容のものを見つけた、というあたりですか。もし見つけたとして、それをそっくり再現出来るか否かは、まだわかりません……。特殊な条件や、媒体が必要とされる可能性もあります。もし、生贄として人間を犠牲にしなければならない、などという方法では、とても使えはしないですからな」
確かにそれはその通りで、今どき生贄の儀式など、行えるはずがない。
そのような方法では、見つけたとしても放棄するしかなかった。
独自に調べているという笹丸のほうも、まだ見つけてはいないらしい。
それは当然だろう。
かつて禍神を封じたのは、神なのだ。神が神を封じるのは、そう難しいことではないだろう。
だが、神ならぬ身の人が、如何に力をなくしたとはいえ神を封じるのは、容易なことではないはずだ。
そう考えると、前途は多難すぎるが、それでもやらなければ、晃を引き留めることなど出来ないだろう。
今、自分たちがやらなければならないことは、思いつめて自分の命さえ粗末にしかねない晃を、なんとしても守り、未来を繋ぐようにしなければならない。
「……何とか、早見さんの頑なになってしまった心を解きほぐし、ずっと寄り添っている者たちがいると、わかってもらわなければなりませんな」
法引の言葉に、結城も和海も静かにうなずく。
今は、想い人である万結花さえも受け付けない状態だが、それでも、言葉を尽くし、行動で示し、破滅への道を歩んでいかないように、寄り添い続けなければならない。
確かに、自分が化け物に堕ちていくというのは、とても想像出来ないほどの恐怖と精神的な苦痛を感じるに違いない。
自暴自棄にならないほうがおかしい。
今の晃は、きっとそういう状態なのだ。
だが、冷静に考えればわかる。
化け物に堕ちることと、理性を失って周囲に襲い掛かるということは別物だと。
そこを理解してもらう必要がある。
「……前に、『自分が信用出来ない』と言っていたっけな。本人がそう思い込んでいるのを、どうやったらそうじゃないんだとわかってもらえるんだろうかな……」
結城はそう言うと、『……保険か……』とつぶやいて、自分でテーブルの上に出した割りばしを、改めて紙に包み直し、自分のバッグの中にしまった。
「……そうですな、“保険”なんでしょう。早見さんにとっての……」
法引もまた、自分の分の割りばしをしまった。
「……わたしたちに襲い掛かりたくない、わたしたちを喰い殺したくないって、これを渡してきたんですものね……」
和海も、自分の割りばしをしまい込んだ。
そして改めて、三人はお互い顔を見合わせ、うなずき合った。
晃の中に、自分たちへの思いがある限り、諦めることはない。
諦めてはいけない。
晃の歩む道筋を、人の側に引き戻さなければならない。
三人は、何としても晃を破滅させまいと、努力し続けることを誓った。
これで、第十話も終了となります。
次からは、第十一話。終幕に向けて、頑張って書き進めます。一応、第十二話で終了の予定です。
作者としては、もう結末は決めてあり、それに向かっていくだけであり、大団円になる予定なのですが、それを読まれた読者の方が、『大団円だ』と思ってくださるかは判断がつかない状態です。
もう、一杯一杯になりながら書いているので、今一つ自信はないんですが、エタらせることは絶対にありませんので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。