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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第二話 神隠し
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11.事務所での攻防

 結城探偵事務所の前に、軽自動車が到着したのは、すでに夜九時半近い頃だった。

 途中で眠り込んだ晃は、小一時間の間眠っていた。それも相当深い眠りで、到着したことを告げる結城に揺り起こされるまで、いくら声をかけられても目を覚まさなかったほどだ。その様子を見て、結城も和海も心配顔になる。

 「晃くん、疲れが取れないんでしょう。なんなら、このまま家まで送っていくわよ」

 「それに、親御さんは夜遅く帰るのを快く思っていないんだろう。この車で行けば、最短の時間で帰れる。自転車はあとで取りに来ればいい。その体だ、無理はさせられん」

 しかし晃は、結城にジャケットを返しながらも決然と言った。

 「僕のほうこそ、所長が心配なんです。所長の身に万が一のことがあったら、結城探偵事務所はどうなるんですか。僕はもう、未成年じゃない。自分の行動には、自分で責任を取ります」

 そういう晃の顔色が、だいぶよくなっていることに気づいて、結城も和海も安堵した。

 晃が、いたずらっぽく笑う。

 「今日は、朝帰りする覚悟ですよ。母には、ショック療法になって、かえって考え直してくれるかもしれませんしね」

 しかし、いくら顔色が多少はよくなったとはいっても、今の晃が本調子には程遠いことを全員がわかっていた。

 さすがにひとりで歩けるようになってはいたが、ガレージから事務所のいつもの部屋に入る程度の距離を歩いただけで、だるそうに溜め息をつく晃の姿に、結城はまず長椅子にでも座って楽にするようにと言った。

 「せっかく少しは回復してきたところなのに、ウロウロして体力を消耗してはまずいからな。なんなら、横になってくれていてもいいんだぞ」

 「はい。ところで、この事務所、何かお守りというか、そういったものは置いてあるんでしたっけ」

 長椅子に腰掛けながら、晃が尋ねる。

 「一応こういう商売してるところだから、目立たないように置いてはあるわよ。ただ、そんなに強力なものじゃないから、防ぎきれないと思うけど」

 和海が、入り口のドアを閉めたあと、肩をすくめながら答える。

 「この間のポルターガイストが典型だな」

 結城の言葉に、和海がそれに懲りてもう少し強い護符を貼ってあるといった。

 「それでも、ないよりましな程度だと思ってますけど」

 それを聞き、晃は立ち上がる。

 「ちょっと、それを見せてください」

 真顔になって頼む晃に、和海は怪訝な顔をしながらも、入り口のドアのすぐ真横にある小さな飾り額の真裏に隠すように貼られている護符や、カーテンの陰に貼られていた護符などを見せた。

 晃はそれをしばらく眺めていたが、やがて思いがけないことを言い出した。

 「所長、小田切さん。しばらく部屋を出てくれませんか。ちょっとやりたいことがあるんです。終わったら、合図しますから」

 「一体何をするつもりなんだ。あまり無茶なことはやめろ」

 「そうよ。やっとそこまで回復してきたのに、また無理したら、動けなくなるわよ」

 二人が、晃の身を案じて表情を硬くするが、晃は微笑みながら首を横に振る。

 「無理はしませんよ。僕なりの方法で、結界を張ろうと思っているだけですから。ただ、人が見たら異様に思う行動があるんで、それを見られるのが、ちょっと……」

 晃は適当に語尾を濁すと、とにかく二人を事務所の部屋から奥のダイニングキッチンへと押し出し、ドアを閉めた。

 (いくよ、遼さん)

 (ああ。だが、奥の部屋のドアに近づきすぎるな。気配がおかしいと気づいて、飛び込んでくるぞ、あの二人)

 (わかってる)

 晃は大きく深呼吸すると、遼の意識に自分の意識をあわせていく。遼の力が、本来は死霊のみが持つ力が、生きた肉体に流れ込み、冷たい炎が体中を駆け巡っているかのような感覚に陥る。体が冷え切っているようで、燃え上がるように熱い。

 しかし晃にとってそれは、すでに馴染んだものだった。遼とともに生きる決意をしてから、この感覚に自分を馴染ませ、自在に制御出来るよう、修練してきたのだ。

 晃は玄関に続くドアのところに立つと、閉じられたドアに向かって霊気で出来た“左腕”を伸ばし、強く念を込めた。失った腕の代わりに、遼からもらった“腕”だ。それが終わると今度は窓辺に移動し、カーテンの向こうの窓枠に向かって同じように念を込めていく。

 部屋の四隅、鬼門の方向、裏鬼門の方向、そして最後に、ダイニングキッチンへのドアには、離れた位置から念を飛ばし、部屋の結界を完成させた。

 晃が大きく息を吐くと、冷たい炎は流れを止め、遼の力と晃の力が分離していく。軽い虚脱感が、全身を包んだ。

晃はダイニングキッチンのドアを開けると、二人に入っていいと合図した。

 入った二人は、部屋の中に張られた念の力による結界の存在に気づき、唖然とした。とても、あれだけ体力が落ちた状態の晃が、張れる結界とは思えなかった。

 「一体これは、どうなっているんだ」

 「晃くん、本当にこれ、あなたが張ったの?」

 代わる代わる質問してくる結城と和海に、晃は静かに答えた。

 「力を貸してくれた存在がいたんです。まあ“守護霊”と言ってもいい存在かもしれません。その人を“呼ぶ”必要があったので、部屋を出てもらっていたんです」

 「しかし、その程度ならわざわざ……」

 なおも首をひねる結城に、晃は言った。

 「見ていたら、おそらく僕を正視出来なくなりますよ。見ないほうがいい……」

 晃は再び長椅子に腰掛けると、肘掛に体を預けて長椅子の上に半ば横たわる。

 「大丈夫なの?、晃くん」

 明らかに焦っている和海の声に、晃はうなずく。

 「これをやると、すべて終わったあとに少し虚脱感を感じるんです。普段は何でもないんですけど、今日は、始める前からちょっと体がきつかったんで、少し休むだけです」

 けれど二人とも、晃の言葉をすんなりとは信じていない様子だった。

 晃の体力が落ちていたことは、誰の目にも明白だった。その彼が、二人をして“強い”と直感するほどの結界を張っている。それが解せないのだ。

 「守護霊と言うけど、わたしにはそれらしい霊は“視えない”わよ。誰かいれば、気配でわかるもの」

 和海がなおも食い下がる。

 「その人は、普段は“隠れて”いるんです。いざというときだけ、力を貸してくれる。だから、いつもは“視えない”。でも、間違いなくいるんです。……信じるどうかは、お二人の判断に任せますけど」

 晃はそういって、ひとまず目を閉じた。やはり、体の芯が回復していない。

 (明らかに胡散臭く思ってるな、あの二人)

 (仕方ないよ。本当だったら、あんな状態で張れる結界じゃないからね。でも、僕は一言も嘘はついていないから)

 (……そう言われると、逆にこっちがつらいもんがあるんだが。俺、自分じゃ“守護霊”だなんて思ってないぞ。それどころか、あの事故だって、俺がいなけりゃ起こらなかったはずなんだ……)

 (遼さん。僕にとっては、遼さんは命の恩人であり、今だって僕を“護って”くれていると思ってる。だから、あの言葉に嘘はないんだよ)

 そのとき、神経がざわつく違和感が走った。

 晃は慌てて体を起こし、警告の声を上げる。

 「来ました。何か、得体の知れないものが」

 二人の顔に、緊張が走った。

 和海は窓のほうを見、結城は玄関に続くドアを睨み、晃はダイニングキッチンへの扉を凝視する。

 それは、三人が反応した三方向から、それぞれやってきた。

 和海は、カーテンの向こうの窓の外が赤く燃え上がり、炎の中の黒い人影が、もがきながら窓に向かって手を伸ばしてくるのを“視た”。結城は、ドアの向こうに気配を感じた。目は何も捕らえてはいないが、それでも結城は、それが防空頭巾を被った少女だとわかった。そして晃は、ドアの向こうから、わずかな隙間を通じてこちら側に陰の気が染み出してこようとして、結界の障壁とぶつかる有様が“視えた”。

 窓の外の複数の黒い人影は、いっせいに窓を叩き始める。窓ガラスが、鈍い音を立てて震えた。同時刻、玄関に続くドアも、まるで誰かが入ろうとしているかのように音を立てて揺れ始める。ダイニングキッチンに続くドアも、ドアの周囲がどす黒く染まったかと思うとその色が押し戻されるように抜けていく。それはまるで、脈動しているようだった。

 三人は、部屋のほぼ中央の長椅子とデスクの間の空間に、それぞれ背中合わせになって集まった。視線は逸らせない。逸らしたら、自分が“視て”いる対象が、結界を突き破って中に進入してきそうな気がした。

 窓の揺れが激しくなったかと思うと、それは潮が引くように弱くなる。揺れ続けるドアも、激しく揺れたり弱くなったりを繰り返す。

 「……まさか、本当に来るとはな」

 結城が、額の汗を手で拭った。

 和海は、声を出す余裕も、冷や汗が吹きだしているのに気づく余裕もなかった。その黒い人影が、真っ黒に焼け爛れた姿だとわかったからだ。

 晃もまた、結界の力を自らの思念で補う覚悟で、ドアを凝視し続けた。

 脈動する音が、次第に同調してくる。空間全体が震えるようになってくる。晃が睨むドアの染みの脈動も、音のそれと同調した。圧倒的な威圧感が襲う。

 それはまるで、皆の力で結界を破ろうと図っているかのようだ。三人はそれぞれ自分が最初に見た“もの”を見つめ続けながら、これらの“もの”が一刻も早く立ち去ることを祈った。

 一体どれほどの時間がたったのか、部屋の中に入ろうとしていた“もの”たちは、不意に気配がなくなった。今までの威圧感が急に消え去り、三人は気が抜けてその場に座り込んだ。

 「……晃くんの結界がなかったら、どうなっていたかしら……」

 「考えたくもないな……」

 二人が思わずつぶやくが、晃は何も言わない。事態に気づいた結城が、自分に寄りかかる晃に視線を走らせた。

 「い、いかん。気を失っている」

 「えっ!?」

 結城が慌てて抱きかかえたとき、すでに晃は意識がなく、社務所の布団の中で見たときよりも青白い顔をしていた。二人は、結界を破られないようにするために、晃が念を込め続けていたことを悟った。

 「なんてことだ。自分の身を削って、結界を持たせてくれていたのか……」

 和海は、そのことに気づかなかった自分自身がショックで、言葉もなかった。

 二人はふと、時計を見、目を疑った。時刻はまだ、十時にもなっていなかった。小一時間近くの出来事だと思っていたのが、実際には一、二分のことだったようだ。

 結城は晃の体を抱き上げると、長椅子にそっと横たえ、ジャケットを掛ける。晃の手足が、冷え切っているのがわかった。二階には、元寝室だった場所にそのままベッドを置き、仮眠室にしてある部屋もあるが、とても部屋を出て行く気になどならない。

 あれで諦めてくれただろうか。また襲ってきたら、今度は防ぎきれるだろうか。

 不安を抱えたまま、長い夜が訪れた。


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