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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第十話 君の行く道
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21.悪夢ののち

 その朝、晃は最悪の気分で目を覚ました。

 「……また、あの時の夢を見るなんて……」

 監禁され、理不尽な暴力を受けたあの時のことを、また夢に見たのだ。

 目隠しをされていたため、何も見えないまま、痛みと恐怖が交錯したあの時の感覚が、否応なしに甦っていた。

 体が硬直したようになって飛び起きることも出来ず、体の震えがまだ続いている。

 しかも、夢の最後に見た光景が、晃の心を押しつぶさんばかりにまざまざと脳裏に浮かび上がる。

 五人の男たちが倒れている。誰もが、死人のような土気色の顔をして、まったく動かない。そう、自分が()()()()()男たち。

 お前は、人食いの化け物だ。あれは、そう突きつけるものだった。

 人を喰らう化け物が、人の皮をかぶって(うごめ)いている。それが自分なのだと。

 パジャマ代わりに着ていた長袖Tシャツやスウェットパンツも、汗でじっとりと濡れているのがわかった。下手をすれば、シーツなども湿っているのではないかとさえ感じる。

 ほとんど、フラッシュバックに近い状態だ。

 さすがに、今どういう状態なのかわからないほど、混乱しているわけではなかったが。

 それでも、意図的にゆっくりと深呼吸するように努めていないと、そのまま過去の悪夢に飲み込まれそうな気がした。

 (晃、無理するな。今のお前は、精神的には危ういところを抱えたままなんだ。無理矢理押さえ込もうとしても、かえっておかしくなるぞ)

 (……遼さん、それでも僕には、時間がないんだ。少しずつだけど、確実に穢れが溜まってきている。いつまで、人間でいられるか、わからない……)

 (……まあ、そりゃそうなんだが……。でもお前、ギリギリまで穢れが溜まったら、本当に禍神のところへ乗り込むつもりか? いくらなんでも、生きて帰れるとは思えない。それだけは、やめてくれ。少なくとも、いざとなったら俺が間違いなく引導を渡す。他に被害が及ばないように。だから、今から命を粗末にするような真似はしないでくれ)

 遼の訴えは、真摯だった。

 彼なら本当に、晃が人食いの化け物に成り下がった時には、殺してくれるだろう。

 だが、それでも不安なのだ。

 遼の判断が間に合えばいい。もし間に合わずに、すぐ隣にいた人物を手にかけてしまったら……そう考えてしまうと、自分で自分が恐ろしくてたまらない。

 それでも、禍神の配下とまともに戦えるのは自分だけ。そう考えると、いっそ一思いに……などということは絶対に出来ない。

 遼に指摘されなくても、自分が危うい精神状態だということは、わかっていた。

 ただ、周囲がそれを許さない状況であるがゆえに、何とか持ちこたえているのだ。

 自分の目の前に立ちはだかる“邪魔者”を排除するのは、もはや仕方がない状態なのだ。

 ()られる前に()らなければ、万結花を護れるはずがない。そういうところまで、来てしまった。

 震える手が、半ば無意識にあるものを服の上から掴む。入浴時以外、肌身離さず身に着けている、万結花からもらったお守り。

 仄かだけれど、確実に万結花の気と想いを感じられる、お守り。

 万結花の顔が目に浮かぶ。優しく微笑む顔、切なげに涙を流す顔。どれもが、愛おしくてたまらない。彼女を護れるなら、自分はどんなことになっても悔いはない……

 少しずつ、乱れていた心が凪いでいく。まだ大丈夫。自分は、まだ正気だ。

 何とか震えが止まったところで、上体を起こして時刻を確認する。

 午前四時四十分過ぎ。

 起きるにはまだ早いはずだが、とてももう一度横になる気にはならなかった。

 のろのろと、ベッドから這いずるように降りる。簡易ベッドで、高さが低かったから出来たことだが、体が重くて、すんなりと降りられなかった。

 それでも着替えを持って、何とか下に降りると、シャワーを浴びる。

 体にねばつく汗とともに、悪夢も洗い流してしまいたかった。

 熱めのシャワーを頭から浴び、とにかく汗を流すことに専念すると、バスタオルで充分に体を拭き、出しておいた服を着る。

 汗に濡れたパジャマ代わりのルームウェアは、最近―といっても、監禁暴行事件の直前の頃だが―中古で安く購入した全自動洗濯乾燥機に放り込んだ。ついでにシーツも交換し、それも入れてしまう。

 洗剤と柔軟剤をセットし、スイッチを入れる。これで、乾燥までやってくれる。

 大学に向かう準備が出来る頃には、乾燥まで終わっているだろう。

 それから、洗濯物が仕上がるまでの間に、ドライヤーで髪を乾かすと、少し早いが朝食を作って食べる。

 最近はこれでも、それなりに料理は作るようになっていたが、今日は精神的にそれが出来る状態ではなかったため、簡単にパンをトーストしてバターと蜂蜜を塗り、インスタントのポタージュスープをマグカップに入れてお湯で溶かし、それを飲むことにした。

 シャワーを浴びたせいか、少しは気分が落ち着いていた。

 それでも、ふと気が抜けると気分が落ち込んでくる。

 それをなんとか奮い立たせると、朝食を半ば無理矢理胃の中にスープで流し込み、食後に飲む薬を服用した後、後片付けを済ませる。

 今日は、出席しないといろいろとまずい必須の授業があった。

 たとえ授業内容がほとんど頭に入ってこない状態であっても、出席しなければ後が大変だった。

 洗濯物が完全に乾燥まで終わったことを確認すると、それを適当に畳んで自室に置いてくると、大学へ行くためにワンショルダーを背負い、鍵を手に玄関までやってきて、きちんと戸締りをしてから大学へと向かう。

 昨日のうちに、今日必要な物をちゃんと入れておいてよかった。朝のあの状態では、朝に準備したら何か忘れ物をしていたかもしれない。

 いつものように電車に乗り、最寄り駅で降りると、同じように大学に向かって歩く学生たちに混じって歩いていく。

 大学構内に入っても、いつものような気力が湧かない。

 それでも、いつも通りのことをルーティンとしてやっていないと、特に今日のような寝覚めの悪い日は、薬を飲んでいても自分の精神がおかしくなりそうだった。

 睡眠不足とは言えないので、居眠りはしないだろうが、授業内容が頭の中にちゃんと残るか、わからない。

 残らなかったら残らないで、仕方がない。復習で補うしかないだろう。

 たとえ未来がなくとも、いつも通りのことをしていないと、すべてが崩れ落ちそうな気がしていた。

 それから何とか昼休みまで過ごすと、カフェテリアでサンドイッチとフルーツ牛乳の紙パックを手に、空いている席に座って一息ついた。

 思い返してみても、あまり頭に入ったとは言えなかった。

 ノートはそれなりに取ったはずだが、どこまで要点をまとめられたか確認をしていない。あとで見返すことにして、サンドイッチに口を付けた。

 「……相変わらず、そんなので大丈夫なのか?」

 聞き覚えのある声に顔を上げると、目の前の席に雅人が座っていた。

 カレーライスの大盛りに、漬物の小鉢と味噌汁という、よくわからない組み合わせがトレイに載っている。

 「……大丈夫だよ。それより、お前の方こそ就活はどうなってるんだ?」

 逆に問いかけると、雅人は溜め息を吐く。

 「一応、明日会社説明会に行く。おれは出遅れ決定組だからな。まだ、最終面接まで行ったところがないし」

 「……それは……頑張れとしか言いようがないね」

 『なんで三年生のうちに内定が出てるんだよ』とぼやきながら、雅人はカレーライスに口を付けた。

 彼には未来がある。すでに先が見えている自分とは違って。

 自分がいなくなっても、万結花は兄である雅人や両親に守られて、穏やかに生きていけるだろう。

 「……お前、何かとんでもないこと、考えてないか?」

 不意に、雅人が睨むような眼差しを向けてくる。まるで、こちらの心を読んだかのように。晃は、何とか動揺が表情に出ないようにした。

 「……別に、何も思ってないよ」

 「……おれはこれでも、勘はいい方だからな」

 雅人も霊感があるのは、知っている。最初に考えていたよりも、強い方だということも。

 きっと、薄々気づいているのだろう。自分が、すでに将来のことを考えていないことに。

 それでも、雅人はそれ以上のことは訊いてこなかった。自分からは話すつもりはない。

 なんとなく微妙な空気のまま、二人で向かい合ったまま昼食を取る。

 「……早く、内定が出るといいね」

 「……ああ、そうだな」

 当たり障りのない会話を、ぽつぽつと続け、ほぼ同時に食べ終わった二人は、申し合わせたかのようにほとんど同時に立ち上がった。

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