20.古文書
法引は、知り合いの修験者に連絡を取り、とある神社を紹介してもらっていた。
郊外の山裾にあるその神社は、修験道の行者が集まるところとして知られ、背後の山は、修行の場になっていた。
その神社の宮司が、古からの様々な古文書を個人的に収集し、蔵に保管していると聞いたからだった。
いわば、アマチュアの研究者とでも言うべき人物であった。
予め訪れることを連絡しておいたため、法引がその神社を訪れた時も、相手はスムーズに対応してくれた。
その日は、少し冷え込んだものの、穏やかに晴れた日だった。
創建から千年近いその神社は、水鏡神社と言った。
その名の通り境内奥にこんこんと清水の湧く泉があり、澄んだ水をたたえたその泉に姿を映すと、時に自分の未来が映し出されると言われており、知る人ぞ知るパワースポットとなっていた。
そこの宮司である高原輝政は、頭にだいぶ白髪が混じった六十がらみのやせぎすの人物だった。その人が、白い着物に紫袴を身に着け、にこやかに法引を出迎えた。
さすがに、神社を訪れるということで、法引も普段着ている僧侶としての着物ではなく、普通のダークグレーのスーツ姿だった。
「西崎さんでしたか。ようこそ、いらっしゃいました。しかし、お坊様が訪れるとは、珍しいですね」
にこやかながらも、やや不思議そうな顔をする高原に、法引はこちらも一応穏やかな表情を浮かべながら応える。
「はい、わざわざ出迎えていただき、ありがとうございます。実は、調べ物がしたいと思いまして、この神社の蔵に保管されている古文書の閲覧が出来ないかと考えまして、こうして足を運んできたのです」
「はあ、調べものですか。閲覧自体は構いませんが、何をお調べで?」
その問いかけに、法引は真顔になって告げた。
「……邪神を封じる方法です」
「えっ!?」
法引の返答に、高原は一瞬目を剥いた。しばし目をしばたかせていたが、ほどなくこちらも真顔になってさらに問いかける。
「……何か事情がおありですか? 邪神とはいえ、“神を封じる”とはただ事ではありません」
「ええ、わかっております。わたくしの知る、二人の若者の将来がかかっているのです」
「……立ち話もなんですから、社務所のほうへどうぞ。詳しいことは、そこでお聞きいたしましょう」
高原は、法引を促して社務所に向かうと、奥の休憩所に上がったところで座布団を勧めた。
法引は礼を言って座布団に座り、高原はその足で休憩所の奥にある小さな給湯設備に置いてあるポットから、用意してあったお茶の葉を入れた急須にお湯を注ぎ、それを湯飲みに注ぐと、お茶を入れた湯飲みを盆に乗せて運んできた。
「とりあえず、お茶でもどうぞ。ここは、私一人で切り盛りしておりまして、他に誰もおりませんから、話を誰かに聞かれるということもありません」
「ありがとうございます。これからお話しすることは、もしかしたら荒唐無稽と思われることかもしれません。それでも、話しておかなければ、おそらくは納得されないでしょう」
法引は、“贄の巫女”と呼ばれる神の嫁となるために産まれた存在のこと、その彼女が、復活して間もない力衰えた邪神に目を付けられたこと、彼女を護るため、自分の知り合いの霊能者の青年が、自らの心や命を削りながら邪神の配下と戦っていることなどを話した。
「……“贄の巫女”ですか……。ずいぶん前に、古文書で読んだ記憶があります。その時は私もまだ若く、『本当にそんな存在がいるのか?』と疑問に思ったことを覚えております。なるほど、そのような存在が、本当にいるのですね」
自分が入れたお茶を飲みながら、高原が唸る。
「信じてくださるのですか?」
法引が問いかけると、高原はうなずく。
「私とて、自分が手にした古文書は、一通り目を通しております。別々のところから私の元に来た複数の古文書に、“贄の巫女”のことは記されておるのです。偶然とは考えられません」
当時は半信半疑だったが、法引の話を聞くと、いろいろ腑に落ちるというのだ。
「しかし、その、巫女の娘を護っている青年というのが、心配ですね。本当に命を削っているということですか?」
「はい。わたくしの大学時代の同期に、霊能者として高い素質を持ちながら、医者になった者がおりまして、その者の見立てでは、すでに八年ほどは寿命が縮んでいるとのこと。これ以降は、その力を使えば使うほど加速度的に寿命が縮むとか。そして本人が、最近になって心に深い傷を負う出来事に遭遇して、そのせいかひどく刹那的な行動をとっておりましてな……」
さすがに、晃の真実をここで言うわけにいかない法引は、そこのところをぼかしたが、ある意味自分が破滅することを、前提としているとしか思えない行動をとっているのだと話した。
「わたくしが最近顔を合わせたときには、もう以前とは考え方が変わっているように思えました。以前は、霊や妖たちのことも慮る心優しい背年だったのですが、どこか狂気を孕んでいるかのように冷徹になった面がありましてな……」
法引がそう言って溜め息を吐くと、高原は眉間にしわを寄せる。
「……心に深い傷とは……いや、聞いてはいかんのでしょうね。それで、邪神を封じる方法を探しているというのは、そこに関係するわけですか?」
「そうです。“贄の巫女”は、生涯でただ一度、自分が仕える神を定め、その神の巫女として残りの一生を送るのだと言います。そこで、たとえ一時的にであっても、邪神を封じてその間に仕える神を定めてしまえば、邪神と言えど、手出しは出来なくなるのです」
“贄の巫女”が邪神の手から逃れられれば、それを護っている青年も、自分で自分を傷つけるような刹那なふるまいをしなくて済む。
そして、邪神の巫女となるように仕向けるために、巫女の家族が狙われたりすることもなくなる。
それで、無茶を承知で邪神を封じる方法を探しているのだ、と法引は告げた。
巫女である娘が、自分が仕えたいと思う神に巡り合うまでの時間を稼げれば、それでいいのだと。
法引の言葉に、高原は考え込んだ。
「……なるほど、事情はわかりました。少しでも参考になるものが見つかればよいのですが……」
「ありがとうございます」
高原自身は、そんなに霊感の強い方ではなかったが、宮司として長年神社で神に仕えているうちに、次第に鋭くなってきたという人間である。
その彼の直感が、荒唐無稽にも思えるこの話が、決して嘘偽りではないと知らせていた。
また、いくら力衰えているとはいえ、神と呼ばれた存在を人の手で封じることの困難さも、容易に想像がついた。
高原は、改めて法引の顔を見た。
完全に真顔になったそれは、どこか怖いほどで、目の前の人物が並々ならぬ決意でここまでやってきたのだということがうかがえた。
「……では、ご案内します。今から蔵の鍵を持ち出しますので、先に社務所の外に出ていてください」
「わかりました」
残りのお茶を飲み干すと、法引は立ち上がり、言われた通りに社務所の建物の外に出た。
それほど間を置かず、数ヶ所直角に曲がっているところがある、長さ三十センチほどの鉄の棒を持った高原が、外に出てきた。
その棒には柄がついてるので、あれが鍵なのだろうとわかる。
そのまま高原は進んでいき、神社の裏手に回った。法引も後に続く。
わずか一分ほどで、木々に囲まれた二階建ての白い漆喰の建物の前に着いた。その重厚な扉と大きな錠前に、ここが蔵なのだとわかる。
高原は、錠前の横にある穴から鉄の棒を差し込み、しばらくガチャガチャと音を立てていたが、やがて錠前が外れ、外れた錠前は扉のすぐ外側にそっと置かれた。
そして、高原の手でおもむろに蔵の扉が開かれる。
中は、外の光が届く範囲には、様々な物が雑然と置かれていた。
高原は、懐から小ぶりのLEDライトと軍手を二つずつ取り出すと、一組を法引に渡し、もう一組は自分で手にして明かりをつける。LED特有の光量のあるはっきりとした白い光が、蔵の中を照らした。
「古文書は、二階に置いてあります。階段ではなく、梯子を上ることになりますので、ご注意ください」
高原はそう告げると、ライトを手に蔵の中に入っていく。法引も、軍手をはめ、ライトを手にしてあとに続いた。
古文書の確認のため、時折中に入っているという話で、中は思ったほど埃っぽくはない。
雑多に置かれたものをよけながら、二階に上がるための梯子のところまでやってくると、まず高原が慎重に上っていく。片手にライトを持ったままなので多少不安定だが、ライト自体が手の中に収まるほど小さいので、何とかなっている感じだ。
梯子自体、昔から使われているらしい木製で、一段一段上がるたび、ぎしぎしと音がする。
それでも、高原は梯子を上り切って二階へと上がった。
それを見た法引も、意を決して梯子を上る。
木製でどっしりと重い梯子は、音自体は気になるが、案外安定感がある。
何とか何事もなく法引も二階に上がると、それを確認した高原は、こちらだとばかりに足元を照らしつつ歩きだす。
そして、壁に作りつけられた木製の棚の前で止まった。そこには、いくつもの古い茶箱が収まっている。
「この茶箱の中に、古文書をしまってあります。力ある存在を封じる方法が記されているかもしれないものなら……この中かと」
言いながら、ひとつの茶箱を棚から引っ張り出し、床に置くと、高原はそっと蓋を開けた。
中には、黄ばんで端がぼろぼろになっている紙束がいくつも入っていた。
「失礼します」
法引は、ライトで中を照らしながら、ライトを持たぬ手で古文書の束をそっと取り出した。
蓋の上に取り出した古文書を乗せると、法引はその中の一つを手に取り、そっとめくってみる。高原は、近くからその手元を照らした。
古文書特有の崩し字の文字は読みやすいとは言えなかったが、崩し字を読む練習をしていた法引は、それを読み解くことが出来た。
「いろいろ興味深いことが書かれておりますが、この調子で探すとなると、かなり時間がかかりそうです」
法引がそう言うと、高原もうなずく。
「そうでしょうね。そもそも、『邪神を封じる方法』など、そのものずばりのものなど、まずあるとは思えませんから」
「……でしょうな」
それは、法引自身思っていた。曲がりなりにも神と呼ばれる存在を封じる方法など、そう簡単に見つかるとは思えないし、見つかったところでそれが禍神に通用するかどうかもわからない。
それでも、探さなければならない。最近特に、危なくて見ていられないと感じるようになった、晃のためにも。
結局法引は、この神社の蔵に、何度も通い詰めることになるのである。