18.接触
また一つ、隠れ家が潰された。
配下となった妖から報告を受けながら、黒猿は焦燥に駆られていた。
あの霊能者とは、一度顔を合わせている。
初めて、“贄の巫女”に関わることを命じられた時のことだ。
あの時は、『連れてこい』と言われた。ただ、『出来ないと判断したら無理はするな』とも言われた。
あれは、判断力を試されたのだと思う。
結果、自分はさっさと見切りを付け、戻った。
だが、あの時はまだ知恵が回らずに深く考えなかったが、今ならわかる。
あの霊能者は異常だった。
ぎりぎりまで異界と現世の狭間に潜み、急所を外して切り付けて、“贄の巫女”を無力化するつもりだった。
それが、気付くとあの霊能者が割り込み、血を流しながらも自分を睨みつけていた。
直後に他の霊能者どもに身構えられ、不利を悟ってすぐさま撤退した。
他の霊能者はともかく、なんであの霊能者は、自分が切りつけてくることがわかったのだ。普通、割り込めるはずなどない。
そして、創造主たる虚影様から、『あれは“生ける死者”だ』と知らされた。
そして、結界を張っているはずの隠れ家が襲われ、潰されていることから、結界を強化するための守り石をいただいてきて、結界を強化した。
今回報告が来たところも、それをしていたはずなのだが……
それで潰されたというならば、霊能者の力のほうが、勝っていたということになってしまう。
信じたくはなかったが、間違いはないらしい。
あいつは本当に、化け物だ。自分はあの時、不意を突いたから逃げる余裕があったのだ。正面から対峙していたら、より知恵のついた今でさえ、消し去られていただろう。
そう考えると、本当にぞっとする。虚影様の役に立つ前に、消滅するなんて……
そうなると、虚影様が棲んでおられるあの場所も、強化しなければ危険なはずだ。
先輩格の三体の鬼たちは、何とか結界の強化に使えそうな人間を探しているらしい。
人柱一人か、生贄の五人の子供か。
両方とも、かなり厄介な条件が付いている。
だが、黒猿には少しだけ考えがあった。
実は黒猿は、様々な妖や霊などを、いわば合成して創り出された存在だ。しかも、最近にだ。
きちんと自我が確立した今、黒猿の意識の中に、昨今の人間世界の知識が自然と頭の中に入っていた。“現代”のモノたちを、取り込んでいるからだった。
その知識によると、今の人間たちは、“インターネット”なるものでいろいろなことをやり取りしているらしい。
そこに入り込むことは大変だが、一度入る道を作ったなら、様々なことが出来そうだ。
そして、もしたどり着けたなら、人柱や生贄にふさわしい者たちにつながるものもあるかもしれない。
入り込むためには、そのインターネットにつながっている“何か”を見つけ出さなければならない。
それがどういうものであるかは、朧げに記憶があった。取り込んだ霊の中に、いわゆる現代人の意識を持った存在がいたせいだ。
結界は強化したが、それが破られているからには、漫然としているわけにもいかない。いつここに、例の“化け物”がやってくるかわからないのだ。
その前に、ここが潰されてしまう前に、虚影様の身の安全を何とかしなければ。
そのためには、ここを出て人間の世界に行き、インターネットに入り込むための物を見つけ出し、入り込まなければ。
現代人の朧げな意識から拾うに、略してネットと呼ばれるその世界には、“情報”と呼ばれる様々な知識が飛び交っており、その中には、自分たちにとって都合のいい情報も必ず含まれているはずなのだ。
黒猿は、それなりに数がいる配下の中から、頭の執れる者を選び、留守居役を命じると、結界で守られた隠れ家を抜け出した。
とはいえ、いきなり現世に出ていけば、“視える”者に見つかってしまうだろう。やはり、異界と現世の狭間の部分に潜り込み、動くしかないだろう。そこに潜むのは得意な方だ。
そして、潜り込むための物についても、心当たりはあった。
虚影様が、現世での隠れ蓑として使っていた人間の女だ。あの女のところにも、それが出来るものがあったはずだ。
あの女は最近、体を壊したという。虚影様によれば、神である自分の依り代として、その身の内に長く宿していたため、体に過剰な負担がかかり、体の各器官に異常が出たのだという。
『どうせもう長くは持たないので、最後に一花咲かせてやるつもりだ』と話されていた。
ならば、その女が持っている“ネットにつながる物”を利用させてもらってもいいだろう。
黒猿は、女の気配を辿った。こちら側から現世を眺めながら、女がいる場所へと近づいていく。
そこは、かなり大きな四角い建物だった。頭の中の知識によると、ここは病や怪我を癒すための建物で、多くの医者が常駐する“病院”というところだという。
現世では、そろそろ人間どもが眠りについてもおかしくない時刻だった。ちょうどいい。
黒猿は、建物に近づいていく。
そして現世の側に出ると、四角く区切られて透明な板がはまった枠の中を、一つ一つ覗き込んでいく。
頭の中の知識は、上の方の階を覗くように教えてくれる。
そうやって確認していくうちに、ついに見つけた。依り代の女がいる場所を。
女は、脚のついた寝台に横たわったまま、ぼんやりと天井を見上げていた。
女の体からは、明らかに人とは違う力の残滓が、辺りに滲むように染み出している。
虚影様の力の名残だ、とすぐにわかった。
そしてそれはまた、辺りの浮遊霊や妖などを引き寄せる。滲む力の残滓は強くはないため、集まってくるモノたちもそれなりのモノしか来ないが、長く付きまとわれて力を吸われたら、そうでなくとも限られた余命が、さらに短くなるかもしれない。
黒猿は、ふとあることを思い付いた。
のっそりと壁を抜け、建物の中に入る。先程まで明るかった部屋の中が、暗くなったところを見計らってだ。
当然、女は驚きの表情を見せるが、それを無視して女が横たわる寝台の側に近づくと、ちょうど姿を現しつつあった妖どもを、手にした小刀で、切り裂き、消滅させてみせた。
『自分は、虚影様より遣わされたものである。お前の窮状を見た虚影様が、忌まわしきモノを祓えと仰せになられた』
黒猿がそう告げると、女の顔に安堵の色が浮かぶ。
無論、そんなことはない。虚影様は、すでにこの女を見限っている。ただ、名づけを行ったために“絆”が生まれ、ゆるく繋がっている状態であった。
そのせいで、すでに依り代になれぬほど体がぼろぼろになっているにもかかわらず、まるで奥底に虚影様が潜んでいるかのような錯覚を起こしているのだという。
その勘違いをそのままにしておけば、まだ自分が利用出来ると踏んだのだ。
女は、毎晩毎晩化け物どもに囲まれて恐ろしかったとつぶやき、黒猿に向かって微笑みかける。
「……虚影様は、ちゃんと私を見ていてくれたんだわ。あなたをよこしてくれたんだもの……」
女は嬉しそうにそう言うと、名前は? と尋ねてきた。
『黒猿』
そう告げると、女はうなずいた。
「あなたはもう名前があるのね。虚影様につけていただいたの?」
『そうだ』
黒猿の答えに、女はうなずく。
それからは、簡単だった。
女が持つ、四角く平べったい少し厚みがある小さな板のようなものが、ネットに接続出来るものだと確認が取れ、それを使ってネットの中を覗くことを了承させたのだ。
現代の知識は、スマートフォンというものだと教えてくれた。
いつもは始終ネットに接続出来るようにしてあるらしいのだが、病院と呼ばれるこの建物の中では、使えるところが制限されるため、力の元を切っているという。
寝台脇の物入れの引き出しに、それが入れてあるというので、実体化してそれを取り出してみる。
それを女に渡すと、女は何やら表面を触っていたが、やがて触っていた面を黒猿に示した。
先程まで、のっぺりとした黒っぽい面があるだけだったものが、いろいろな印が表面に浮かんでいるようになっている。