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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第十話 君の行く道
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12.涙の願い

 遠い。

 万結花は思った。

 すぐ目の前にいるとわかるほど、気配は近いのに、晃の存在が遠くに感じられる。

 その暖かい気配は変わらないのに、以前の晃とはどこかが違う。

 本当に、どこか遠くへ消えていきそうな、そんな危うさが感じられてならない。

 一生懸命引き留めているのに、その手をそっと払って去っていきそうに思えてならない。

 結城や和海から、晃の変容を聞いた。お坊様(法引)も、それを認めていた。

 自分たちでは、もうどうしようもないと、三人は嘆いていた。

 それとなく、晃に会ってほしいと言われそうだと感じ、自分から『晃に会いたい』と、今回機会を作ってもらった。

 それなのに……

 晃の中に、かたくなに誰にも触れられない何かがある。以前の彼は、ここまでのものはなかった。

 自分でさえ、届かない。

 先程、彼に言ったことは、本当に自分の本音だった。いつか神に仕える身になっても、晃には自分の側にいて、互いの心を支え合う関係になっていたいと思った。

 本当の意味で結ばれることがなくても、心は結ばれていたいと願っていた。

 彼に、自分を覚えていて欲しくて、お守り作りの真似事までした。

 先日たまたま行った近くのお寺の縁日で、骨董品(こっとうひん)や守り石などを売っている露店があったのだ。なんとなく気配を感じ、一緒に来てもらっていた兄の雅人とともにそちらへ行き、店を見つけた。

 そこで、どうしても気になる気配に思わず手に取ったのが、丸い円盤状の石だった。真ん中に穴が開いていて、そこにひもを通して首飾りとして使うものだろう。

 兄に訊くと、一部に白い部分もあるが、きれいな緑色の翡翠だという。

 どうしてもそれが気になって、その場で購入してしまった。

 それを家に持ち帰ってから、これに念を込めたら、お守りに使えるのではないかと思い付いた。

 母に頼んで手芸用の布を用意してもらい、思いを込めて、一針(ひとはり)一針(ひとはり)大事に縫い上げた。

 そして、まさに見様見真似で翡翠に念を込め、縫い上げた袋の中に入れて口をひもで閉じ、お守りにして仕上げた。

 そしてそれを、今しがた晃に渡した。彼が、大事そうにバッグにしまっただろう気配は感じた。

 それでも、感じてしまった。晃は、どこかへ行こうとしていると。具体的にどこへ行くというのではなくて、自分の手の届かないところへ、行ってしまうような気がしてならなかった。

 だから、“側にいて欲しい”と口に出してしまった。

 『ずっと側にいて欲しい』というのは、本音ではあるけれど、とても傲慢なことだ。

 だって、彼には彼の人生があるのだから。

 ずっと自分の側にいたら、それこそ()()()()()()()()()()()

 一生神に仕え、人と結ばれない宿命(さだめ)の自分の側にいたら、彼は新しい恋人も作れない。結婚することも出来ない。

 晃がいいと言っても、それは許されないこと。

 そう頭では思うのに、ずっと自分の側にいて欲しいという願いを、捨てられない。

 晃が、好きだから。好きで好きで、たまらないから。

 今すぐにでも、晃がどこかへ行ってしまいそうで、彼の手を握った自らの手を、離すことが出来ない。

 「……晃さん、どこにもいかないで……。お願い……」

 実際、今ここで手を離したら、そのまま姿を消してしまうのではないか。そんな気がして、本当に怖かった。

 「……万結花さん、僕はあなたを護るために動いています。それだけは信じてください。僕は、あなたが自分の道を歩いていけるようにしたいだけなんです……」

 晃の声は、優しかった。けれど、自分の側にずっといるつもりはない、ということも感じられた。

 どこかで、何か危険なことをやろうとしていると感じられるが、晃は自分の手を振り払っても、そちらへの歩みを止めようとしない。

 引き止められない。

 そう思ったとき、万結花の心の均衡が崩れた。

 見えない目から、堰を切ったように涙があふれる。

 それを見て焦ったのだろう、晃が慌てたように声をかけてくる。

 「万結花さん!? ……僕は、あなたを護りたいだけなんです。それは信じてください」

 言いながら、晃が手を握り返してくる。

 「泣かないで……。僕は、あなたの涙を拭ってあげることも出来ないんだ……」

 晃がへたに触れれば、万結花の霊力が一気に降りかかって、そのまま破滅に至る。だから、見ていることしか出来ない。

 切なさにあふれたその声が聞こえたとき、万結花はその手を放し、自分でバッグのポケットからハンカチを取り出すと、自分で涙を拭った。

 ほんの少しだけ、彼の心が感じられた気がした。

 触れることの許されないもどかしさに心を痛め、その体がかすかに震えていたのが、感じられたからだ。

 「……晃さん、お願いだから。どこかへ行ってもいい。その代わり、必ず帰って来て」

 万結花は、もう一度だけ告げた。行ってもいい。でも、必ず帰ってきて欲しい。そのまま、いなくならないで……

 晃は少しの間黙っていたが、やがて口を開いた。

 「……約束します。僕は、帰ってきます。どんなことがあろうと……」

 晃の言葉に、嘘は感じられなかった。そういう気配を感じなかった。

 「……きっとよ。きっと、約束は守ってください。必ず帰ってきて……」

 何とか、約束だけは取り付けた。

 生真面目な晃のことだ、何とか約束を守ろうとするだろう。

 それだけでいい。

 何とか自分の気持ちを落ち着かせると、最後の涙の残滓を拭いきり、万結花は大きく深呼吸した。

 そして、晃に向かって微笑んで見せる。うまく微笑むことが出来ているかはわからない。でも、これ以上、涙を引きずりたくはなかった。

 そもそも、泣くつもりなどなかったのに……

 「……ごめんなさい。僕が、至らないばかりに、あなたを泣かせてしまった……」

 どこか沈んだような、晃の声がする。

 あなたが悪いわけではない。こちらが勝手に、手が届かないのを嘆いて、感情のバランスを崩してしまったのだ。

 晃を好きな気持ちは、今も変わらない。出来れば、本当にどこにもいかないで欲しい。

 自分を護るというのなら、ずっと自分の側に居て欲しい。

 でも、それがわがままだということも、わかっている。晃には、いつか自分のことを忘れて幸せを掴んで欲しい。

 晃は本当に、万結花のために自分の人生を棒に振ってしまいかねないところがあった。

 それではだめなのだ。

 彼こそ、自分やその家族を護るために、(おのれ)の命まで削ってしまうような人だからこそ、幸せにならなければならない。

 そこに自分がいることが出来ないだろうことが、哀しいけれど……

 万結花はもう一度大きく息を吐くと、冷めてきたコーヒーを口にした。

 食器が触れ合う音で、晃もまたカフェオレを口にしたとわかった。

 冷めかけたコーヒーは、ひどく苦く感じた。それでも、ミルクや砂糖や入れる気にはならなかった。

 この苦みは、自分が背負わなければならない、もろもろの象徴のような気がしたからだ。

 それにしても、本当はもっといろいろ話すつもりだった。

 それなのに、楽しい話題がちっとも出てこない。自分が泣いてしまったせいで、辺りの空気まで重くなってしまった気がする。

 どうして、こうなんだろう。

 もっと話したいのに、言葉が出てこないなんて。

 「……晃さん、ごめんなさい。こんな雰囲気にするつもりじゃなかった。もっと、いろいろなこと……」

 そのまま言葉が続かなくなった万結花に、晃が静かに口を開く。

 「……万結花さん、元はといえば、僕が悪いんだ。僕が、ちゃんと話すことが出来ないから……。でも、どこへ行くかは言えないけれど、きっと帰ってくることだけは、約束します……」

 万結花は知らない。ここで言う『きっと帰ってくる』というのが、いわば“努力目標”に過ぎないことを。

 晃自身、約束を守りたくても守れなくなる日が、必ず来ると思っていることを……


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