08.それぞれの思惑
その日の夜、結城や和海を見送ると、晃は自室で自分のパソコンを立ち上げ、パソコン上に広げた地図の上に、チェックを入れていた。小さなバツ印は、これで二ヶ所目。
まだ、丸印になっている箇所がいくつかある。
そこは、これから行く予定のところ。アカネを偵察に飛ばして、禍神関連と思われるところをピックアップした場所だ。
そして一ヶ所、二重丸が記されているところがある。こここそ、禍神が本拠地にしているだろうと推測されるところだ。
以前、アカネを偵察に出した時、偶然見つけた濃い瘴気におおわれた場所。おそらくここのどこかに、禍神が潜むところへの入り口がある。
まだ、禍神の本拠地へ乗り込むつもりはない。行ったら最後、おそらくは帰ってこられなくなるから。
ただ、“魂喰らい”を何度か使って、気づいたことがある。使えば使うほど、代償として穢れは溜まる。ただ、穢れが溜まるにつれ、“魂喰らい”の威力が増していくのがわかった。
つまり、自分が化け物に近づけば近づくほど、相手を楽に仕留められるようになるということだ。
どうせいつかは化け物に堕ちていくのだ。それなら、穢れがギリギリまで溜まったなら、その時は派手に暴れてこちらの意地を見せてやろう。
それこそ、周りが敵しかいないのなら、いくら暴走したところで破滅するのは自分だけだ。
禍神自身まで手が届くかどうかはわからないが、奴の手駒は減らせるだけ減らしてやる。
(……晃、わざわざ自分の命を縮めるような無茶は、してほしくないんだがな……)
遼が、説得半分諦め半分で声をかけてくる。
(万結花さんを護るためだ。僕は、彼女が社会人になって働き始めるまで、持たないだろう。だから、万結花さんが逃げ切れるように、禍神の手駒を削り落としてやるんだ。そうすれば、相手は後手に回る。逃げ切るだけの時間が稼げるかもしれないだろう?)
(そりゃ、そうかもしれんけどな……)
今やっていることは、確かにそれなりにリスクの高い行動だ。晃自身、それを承知してやっている。
禍神の配下だろうと見当をつけたモノたちが集まっているところへ、わざわざ乗り込んで殲滅させるなど、否応なしに相手の注意を引くはずだ。
それでもよかった。奴らの注意を自分が引き受けている分には、他の いくら元は神格であろうと、本当の力を取り戻す前なら、配下を潰しておけば手を出しにくくなるはずだ。
全ては、万結花のために。
こんな、化け物に堕ちるのが確定しているような自分を受け入れてくれた、愛しい人のために。
(晃殿)
不意に、声をかけられる。
そちらを見ると、笹丸が自分を見上げていた。
(笹丸さん、何ですか?)
(そう、根を詰める必要もあるまい。ちと、話をしたいのであるが)
(……話、ですか)
晃はとりあえず、パソコンをシャットダウンすると、パソコンデスクを離れ、笹丸の前に座った。笹丸もまた、そこに座る。
(何ですか、話って)
晃が改めて話しかけると、笹丸は静かに言った。
(……晃殿、あまり、刹那に走る必要はないのではないか?)
(刹那に走る……ですか?)
晃としては、多少のリスクを取ってでも、自分で考えられる最善手を打とうとしているだけなのだが、どうしたというのだろうか。
ある程度のリスクは承知で、それ以上のリターンが見込めるから、やろうとしているだけだ。状況を見極め、撤退するべき時には撤退しているのだが。
(みんな、心配しているところはおんなじなんだがなあ……)
遼が口を挟んでくる。しかし晃としては、何故皆が心配するのかがわからない。
(……何がそんなに心配なんだろう。特に、無茶はしていないつもりだけど)
(……前にも思ったが、自覚ないんだな、ほんとに……)
(……仕方がなかろう。自覚出来ておれば、こうはならぬ)
ふたりの会話に内心首をひねりながら、晃は改めて考える。
今の自分には、もう残された時間は短い。
いよいよとなれば、遼が引導を渡してくれるはずだという思いはある。
自分ではどうにもならないところを、遼に後始末させてしまう形になるのは少し心苦しいが、それでもその安心感が晃の心を支える柱の一つになっているのは間違いなかった。
その遼さえも、自分が進もうとする方向を危惧する発言をする。
人でいられる時間が限られているのなら、出来る限りのことをするのは当たり前だと思うのだが。
目の前で、笹丸が力なくうつむいた。
(……晃殿、我はちと出かけてくるゆえ、ここまでにしておこう。体を休めることも大切であるぞ。昼間に力を使ったのなら、早めに休んでおいたほうが良い)
(……そうですね。明日は大学があるし、休んでおきますよ)
晃が明日の授業の準備をし、シャワーを浴びに一階へ降りていくのを見送って、笹丸は転移の術を行使し、その姿を消した。
* * * * *
法引は、本堂で夜のお務めである読経をし終わり、家に戻る支度をしているところだった。
その目の前に、ふいに笹丸が姿を現した。
法引は驚いたが、すぐさま晃のことなのだろうとピンときた。
(夜分遅く、急に訪ねてきて申し訳ないと思うておる。だが、我の話を聞いてほしくての)
(……早見さんのことですかな?)
笹丸がうなずく。
(……無理な願いであるとは重々承知の上であるのだが、万結花殿と晃殿を逢わせてやれぬものであろうか。以前自宅を訪ねたときは、フラッシュバックとやらに襲われて、ろくろく話も出来ずじまいであったからの)
(万結花さんと話を、ですか……)
笹丸は語った。
記憶を共有する遼でさえ、もはや晃の心を動かせなくなっていた。それでも何とか、自ら堕ちようとする晃を、必死に引き留めてきた。
けれど、晃はもう、遠いところを歩いている気がする。
今の晃の心を動かすことが出来るかもしれない存在は、おそらく万結花をおいて他にはいないだろう。
笹丸とて、何とかしたいと思っているのだが、複雑な人の心の奥に分け入って、その傷を癒すような力など、持ち合わせてはいない。
識神となったアカネなら、ある程度は心の中がわかるだろうが、アカネなら逆にすべてを肯定して共に突き進みそうで、それが怖かった。
(今の晃殿の心を動かせるのは、万結花殿だけであろう。雅人殿も、あるいは揺さぶることは出来るやも知れぬが、引き止められるかといえば……)
(……そうですな。しかし、そこまで危うい状態になっているとは……)
(しかも、本人は自覚がないのだ。自分がどれだけ危うい行動をしているのかが。一応、リスクのある行動であることは理解してはいるようであるが……)
(リスクの大きさを、小さく見積もっている、ということですか?)
(その通りだ)
笹丸の口調だと、相当危ういことを、“少しはリスクがある”程度に捉えているらしい。しかも本人は、『自分はいつか化け物に堕ちて破滅する』と思い、それを前提として行動しているようだ。
笹丸の目から見て、破滅に向かって突き進んでいるようにしか見えなかった。
(……出来れば、代償を軽減する方法を見つけ出せればよいのであるが……)
笹丸が溜め息を吐くと、法引も唸った。
(……そもそも、人の身で“魂喰らい”の力を使うということが、本来あり得ないことといえます。それを考えると、軽減方法など……)
(わかってはおるのだ。だが、我は諦めきれぬ。何とかしたいと思うて、いろいろ当たってはおるのだが……)
(見つからないのですな?)
法引が、再度溜め息を吐いた。
おそらくは、後にも先にも彼だけだろう、このような力を使う人間は。
そう考えると、力を使うたびに代償があると言っても、それを軽減する方法など、新たに見出さなくてはならないかもしれない。
そのものずばりの方法など、あるはずがないのだ。
似たような事例から、試行錯誤することになりそうだが、晃自身がすでに諦めている節がある。
軽減方法を見つけるための試行錯誤など、しようとするだろうか。
法引と笹丸は互いに顔を見合わせ、肩を落とした。
その時ふと、法引は思い付いた。
禍神のほうを、封じるというのはどうだろう。何も、永続的な封印でなくともいい。万結花が自分の将来を定めるまでの、十年弱でいい。
万結花が逃げ切れれば、それでいいのだ。
法引の思い付きに、笹丸も賛同した。
(……そちらを探す方が、まだ手掛かりがあるやもしれぬ。まだ力を取り戻しきっておらぬ今なら、封じることは可能であろう)
(そうですな。そちらを当たってみましょう)
一人と一体は、互いにうなずき合った。