07.届かぬ心
どうやら晃が、単身で動いている。そう気が付いたのは、一番身近で彼に接していた結城と和海だった。
神社めぐりを断られてから、週末に気がついたら姿が見えなくなり、夕方に帰ってくる、ということが二週続いた。
一度目は気にも留めなかったが、二度目に帰ってきたとき、微かに瘴気の残滓を感じ、二人揃ってぎょっとしたところで、何かやってきたのだと気づいたのだ。
「早見くん、何だか、瘴気のようなものの気配を微かに感じるんだが、どこに行ってきたんだ?」
内心の動揺を何とか抑えながら、結城が問いかける。
「そう、たいしたところへは行ってませんよ。しいて言うなら、“ゴミ掃除”ですか」
そう答える晃の表情は、ほぼ無表情に近い。
どうやら、何をしてきたのか言うつもりがないようだ、と感じられる。
ただ出かけたのなら、別に構わないのだが、瘴気だとわかるものの残滓を纏って帰ってくるのなら、これは聞いておかなくてはいけない。
「ねえ、“ゴミ掃除”って言っても、具体的に何したの? 普通にゴミ拾いのボランティアとかしてきたわけじゃないよね?」
和海の問いかけにも、晃ははっきりとは答えなかった。
「荷物を置いてきます」
そう言って二階の自室に向かう晃に向かって、アカネが駆け寄って足元にじゃれつくのが“視えた”。
そういえば、最近アカネの姿を時々事務所の建物の中で見かけるようになった。笹丸がこちらに戻ってきたのは知っているが、アカネはまだ、護衛として万結花に張り付いているはずだが。
「そう言えば、アカネはこっちに戻ってきているの? 最近、時々見かけるんだけど」
和海の問いに、晃は一旦足を止め、足元のアカネを抱き上げると、振り向いた。
「……アカネは、僕の正式な識神になりました。だから、送り出すのも呼び戻すのも簡単になったんです」
何も聞いていなかった和海も、もちろん結城も、えっという顔になった。
「“正式な識神”って、今までも、そういう事じゃなかったのか?」
思わず結城がつぶやくと、晃がそれに答える。
「今までは、“ただ従属させただけ”です。識神は、まったく別の存在です」
今回は、アカネのほうから、識神になりたいと申し出てきたのだという。
それで、先日笹丸が術を施し、識神となったのだ。
今ならば、晃自身がすでに行ったことのある場所なら、識神をそこへ一気に転移させることも可能なのだという。
だから、今ここでアカネを戯れていても、いざとなれば瞬時に目的地まで転移させることが出来る。
「この前のことでは、アカネにもずいぶん心配をかけてしまいましたからね。だから、アカネのほうから申し出てきたんです。“識神”のことを」
そして晃は、アカネに向かって何事か言うと、アカネの姿が急にぼやけたかともうと、そのまま見えなくなった。
「アカネは、また川本の家に行かせました。でも、精神的にはっきり繋がっているので、いつでも会話は出来ますし、向こうの様子もわかります。だから、心配しなくて結構ですよ」
そう言うと、晃は再び自室へと歩き出し、階段を上って姿が見えなくなった。
「……早見くんは言わないつもりみたいだが、あの瘴気の気配、ただ事じゃないぞ」
「ですよね。和尚さんにも、一報は入れておきます」
和海が法引へとメッセージを送るのを見ながら、結城は考え込んでいた。
最近の晃は、やはりおかしい。何か、危険なことをしているのではないか。
先程『ゴミ掃除』といったが、それはもしかして……!?
なんとなくだが、状況証拠を鑑みるに、霊や妖が集まっているところへ出向いて、それを一人で祓っているのではないだろうか。
それなら、瘴気の気配を纏ってきたことといい、あの言葉といい、辻褄が合う。きっと、禍神に関する場所を、何らかの方法で突き止め、そこに行っているのだろう。
だが、どう考えても危険を伴うのではないのだろうか。
「所長、何を考えこんでいるんですか?」
メッセージを送り終わった和海が、少し怪訝な顔をしている。結城は自分の考えを話してみた。
推測に過ぎないことではあるが、充分あり得ることだ、と。
「……そうですね。今の晃くんなら、やりかねないような気が……」
和海もまた、嫌な予感がしたのだろう、眉間にしわを寄せる。
そこへ、自室へ荷物を置いた晃が戻ってきた。
いつもはここで、事務の手伝いをしてもらうのだが、それを始める前に訊いておかなくては、こちらが落ち着かない。
「……早見くん、はぐらかさずに答えてくれ。今日、何をしに行ったんだ?」
結城がもう一度問いかける。
結城の顔を見た晃は、いつか見た感情の抜け落ちた無表情になっていた。
「……さっきも言ったとおり、ゴミ掃除です。万結花さんに危害を加えそうなゴミを、掃除してきただけですよ」
冷徹に、淡々としゃべる晃に、結城は背筋が寒くなるのを感じていた。
「やはりそういう事か……」
以前の晃は、いくら悪霊や邪悪な妖であろうと、こちらから積極的に狩りたてるような性格ではなかった。
あくまでも、こちらに危害を加えてくるモノに対して、自分や護るべき人を守るため、その力をふるっていたにすぎない。
だが今回の行動は、明らかに今までの晃とは違う。
そして本人はおそらく、自分の行動が今までと違うとは気づいていない。
結城は、ちらりと横にいる和海のほうを見た。彼女の顔も、明らかに青ざめ、引きつっていた。和海もまた、今までとの違いがはっきりわかったのだろう。
「……晃くん、危ないことはしないで。一人で行ったら、万が一何かあった時、周りに誰もいないってことになるのよ」
和海が、訴えかけるように言葉を発すると、晃は顔色一つ変えずにこう返した。
「一人で行けば、他の人に迷惑が掛からないじゃないですか。万が一また暴走しても、周りに敵しかいないなら、何の問題もないですから」
結城も和海も悟った。
晃が、自らの破滅を受け入れて、それを前提に動いているのだと。
「早見くん、私は、君がどんなことになろうと、あの時のように君を探す。そして必ず見つけ出して連れて帰る。だから、一人で行動すればいいなんて、考えないでくれ」
結城が真顔になって、晃の顔をじっと見つめる。
「そうよ。問題大ありだわ。わたしだって、所長だって、あなたのこと、ずっと心配してるのよ。一人ですべて背負いこまないで」
二人が訴えかけても、晃の表情は動かない。
「……昨日の続きでいいですよね」
そう言うと、無表情のままいつもの自分の椅子に座り、デスク上のパソコンを立ち上げる。
結城も和海も顔を見合わせ、揃って肩を落とした。
やがて二人も、無言のままそれぞれの席に着き、パソコンを立ち上げる。
どうすれば、晃の心に触れることが出来るのだろう。
おそらくは、いまだに傷だらけで血を流し続けているだろう心に。
あれから何度も思った。
自分たちがもっと早く駆け付け、暴走を引き起こす前に助け出していたなら、晃はきっと違っていたはずだと。
だが、いくらそんなことを考えようと、それはむなしい“たら・れば”でしかない。
それに、以前と同じような表情を浮かべることもあるのだ。完全に心が壊れ切っているわけではない。
諦めてはいけない。彼を、二度と“暴走”させてはいけない。
そこへ、法引からの返信が届いた。
やはり、二人と同じことを考えていたようで、『禍神に関係するところへ行ったのではないか? 無茶をしでかさないか、とても心配だ』という内容のメッセージが届いていた。
あとでちゃんと相談しよう、と心に決め、二人はひとまず事務仕事を始めた。