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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第十話 君の行く道
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03.当惑

 結城は、パソコンに向かって事務仕事をこなす晃の様子を見ながら、いまだに冷や汗が止まらなかった。

 隣にいる和海もまた、真っ青な顔をしたまま、半ば茫然と晃を見つめている。

 先程見せた晃のあの言動、あれはいったいなんなのだ。

 以前の晃は、いくら抵抗すると言っても、相手を直接害するようなことはしようとも思わなかったはずだ。

 それを、当たり前のように『片眼や片腕、片脚を潰せばよかった』という趣旨の発言をしたのだ。

 しかも、まったくの無表情で。

 感情を押し殺しているというのではない、感情が抜け落ちたと言ったほうが正しい。

 前に見た、ガラス玉のような眼と相まって、晃の姿をした人形か何かが、サンプリング音声でしゃべっているような、錯覚を起こしかけるほどだった。

 言いようのない空恐ろしさに、冷や汗が止まらない。

 それは和海も同様のようで、言葉を発することさえ忘れているようだった。

 遼が、『晃は少しだが心が壊れた』と言っていた。それがこれなのか?

 相手の行為に憤り、怒りを露わにするとかいうなら、まだ納得出来た。だが、まるで『邪魔なものを片付ける』かのような淡々とした言い方と、あの無表情だ。

 今の晃なら、同じような状況に陥ったら、絶対に今口に出したことをやるだろう。

 かつての晃は、自分の力が他人を傷つけることを恐れ、使うことを躊躇(ためら)ったはずだ。だが、今はそうじゃない。<念動(サイコキネシス)>を、人を傷つけるために使うことに躊躇いがなくなっているようだ。

 それが恐ろしい。

 すると、結城のスマホにメッセージが飛んできた。相手は和海だった。

 『所長、晃くんは、あんなこと言う人じゃなかった。どうしちゃったんでしょう?』

 結城は、それに返信する。

 『おそらく、あれが【壊れた】ということなんだと思う』

 結城は改めて、和海のほうに視線をやった。

 和海は、今だに血の気が引いたままの顔で、困惑の視線を返してくる。

 結城は内心溜め息を吐いた。

 ここに居る晃は、自分たちがよく知る晃ではない。あの事件で心が変容してしまった晃だ。

 精神科に通院しているはずだが、普通のカウンセリングや薬で、晃を癒せるとは到底思えない。

 それでも自分たちは、晃のために、彼を支えると決めた。

 逃げるわけにはいかない。

 逃げれば、晃はきっと、際限なく堕ちていってしまう。

 晃と出会ってから今までのことが、脳裏をよぎっていく。

 穏やかに微笑む晃の顔が、目に浮かぶ。だが、現実の晃は今も、ほとんど無表情のままでパソコンのキーを叩いている。

 病院からこちらに戻って来てから、晃はどこか表情に乏しくなったような気がしていた。

 こういうことだったのだ、と改めて思った。

 日常生活は普通にこなしているが、ふとしたはずみに深淵が口を開ける。

 結城も和海も晃に声をかけることが出来ず、しばらくそのまま時間が過ぎた。

 やがて、午後六時を過ぎ、さすがに結城が誰に言うともなく声を出す。

 「もう六時過ぎたな。一区切りつきそうかな?」

 「わたしのほうは、もう終わりです」

 和海が答えると、晃も続いた。

 「僕も、もう終わります。あとは、明日に回しても問題ないものだけです」

 「なら、ここで上がりにしよう。根を詰めても仕方がないからな。税務申告なんかは、早々に終わらせてあるから、ゆっくりしよう」

 結城の言葉に、和海はパソコンをシャットダウンすると、立ち上がって帰り支度を始めた。が、一瞬結城のほうに視線を向ける。

 結城もそれに気づき、微かにうなずく。

 晃もパソコンをシャットダウンし、立ち上がって机の上の書類をファイリングして棚に納めると、事務所として使っている部屋を出ていく。

 「お疲れさまでした」

 一度振り返ってそう言った顔は、いつもの晃だと思わせるようなものだったが、直後に部屋を出てしまい、そのあとどんな顔をしていたのかわからない。

 いつものような表情を見せてくれたということは、以前の晃の心が残っているということなのだと思いたかったが、明らかに決定的に壊れていると感じる部分もある。

 まだ、取り返しがつくのだろうか。それとも……

 「……和尚さんには、知らせた方がいいですよね」

 「そうだな。今の早見くんは、別な意味で危なっかしすぎる。和尚さんにも、相談に乗ってもらったほうがいいだろうなあ」

 うなずいた和海は、帰り支度の手を止めて、法引にメッセージを送った。つい先ほどの出来事の概要も添えて。

 ほどなく返ってきた返信には、『時間を作れるなら今夜、だめなら明日にでも詳しい事を知りたい』とあった。

 法引としても、晃の変容が気がかりなのだろう。

 「和尚さんも、相当気になっているんだろうな。小田切くんは、帰宅して構わないよ。私が和尚さんのところに行って、説明してくるから」

 「わたしだって、晃くんのことは心配です。でも……そうですね、一旦帰ります。でも、どうにか出来ないか、家で調べますから」

 和海が、真顔になる。結城は軽く溜め息を吐くと、こう言った。

 「調べるのはいいが、無茶はするなよ。我々全員、禍神側からすれば、警戒対象になっていておかしくはないんだからな」

 結城の言葉にうなずくと、和海は帰宅の途に就いた。

 結城もまた手早く周辺を片付けると、改めて自分のスマホから法引に連絡し、今からそちらに向かう旨を告げた。

 法引の了解の返信を確認し、結城は事務所を出ると、タクシーを捕まえて法引の寺に向かった。

 タクシーに乗ってしばし、妙昌寺が見えてきたところで、タクシーを止めてもらい料金を払うと、 結城は寺の門をくぐった。

 そのまま一階にある自宅の玄関に向かうと、すでに外で法引が待ち構えていた。

 「早見さんの現状については、家で話すより上に行きましょう。本堂脇の控室に、ストーブを置いてありますから」

 法引はどうやら、晃の現状を自分の家族に伝えるつもりがないようだった。

 促されるままに、上の本堂のほうに向かうと、その脇の控室に入った。そこは靴を脱ぐところで、六畳ほどの板張りの部屋になっている。

 そこに昔ながらの石油ストーブが置かれ、法引はそれに火を入れて部屋を暖める。

 法引はさらに、奥から畳んだパイプ椅子を二つ持ってくると、ストーブから程よい距離のところに置き、座れるように広げた。

 「ここで、話をしましょう。概要はメッセージで受け取っていますが、詳しいところを聞きたいですな」

 「ええ。こちらとしても、自分の頭の中を整理するためにも、詳しくお話しますよ」

 結城は、晃が見せた異様な無表情と、その時のぞっとする発言を詳しく話した。

 それを聞き、法引は溜め息を吐いて考えこむ。

 「……心の傷のせいでしょうな。『壊れている』というのもうなずけます。早見さんは、そんなことを言う人ではない。それが、そういうことを口にした。いや、口に出さざるを得ないほど、心の奥底に恐怖心がこびりついているのかもしれませんな」

 自分に恐怖心があるからこそ、先に相手を潰して恐怖を感じないようにしたい、と思ったのかも知れない。

 ただ、本人にその自覚があるかどうかはわからない。

 否、自覚などないだろうという気がした。あの無表情は、無意識に出たものだと思えるからだ。

 「……やはり、監禁されていた時の記憶が、そうさせるんでしょうかね」

 結城も、思わず溜め息を吐く。

 普段は何も言わないが、あの時晃は、殺されかけるような目に遭った。一歩間違えたら、本当に死んでいたかもしれない。

 それを思えば、晃がああいうことを口走っても、不思議ではないのかもしれない。

 さらに、彼の心を蝕んでいるのは、それだけではない。

 『自分が人食いの化け物に堕ちる』

 破滅の未来が見えてしまったのだ。心の傷としては、こちらの方が深刻だ。

 それに関しては、“遼との約束”があるため、かろうじて心の均衡がとれているようだが、それがいつ崩れるか、わからない。

 だからこそ、晃の側に逃げずについている者が必要だと思う。そしてその役目は、自分たちが果たさねばならない。

 “魂喰らい”の代償を軽減出来る方法がまだ見つからない今、出来ることはそれしかない。

 「……『自分が化け物に堕ちたら殺す』でしたか。確かにそういう“約束”がなされているから、本人は一応落ち着いている、というわけですな。しかしそれはそれで、いろいろ問題がありそうな……」

 法引が、腕組みをしながら溜め息混じりに考えこむ。

 こうして情報を共有してはみたものの、具体的に何が出来るかと言えば、今までと変わらない対応だけ。

 結城もまた、これといったことが思いつかず、すっかり考え込んでしまった……


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