24.錯乱
「……ちょっと話はそれるけど、鬼を喰らい尽くして、その……穢れはまた溜まったの?」
運転しながら、おずおずと和海が問いかけてくる。
「穢れは、お二人が心配するほどには溜まってません。しばらく暴走状態だったんで、その時に消費してます。暴走って、すごく消耗するんですよ。だから、鬼を喰らい尽くしたとしても、しばらく暴走したままでいたら、取り込んだ異形の力も消費してしまいますからね。……だから俺、わざとしばらく止めなかったんですけど」
だからこそ、下手なタイミングで結城たちが踏み込んできたら、女の鬼に出くわすか、暴走状態の晃の幽体に出くわしていたはずで、遼が『むしろ、あの時点で来てくれたのがよかった』と言ったのは、そういうことだったのだ。
遼の体感では、晃と無理に入れ替わってから結城たちが踏み込んでくるまで、十分経つか経たないかだったという。
車内には、しばし沈黙が流れる。その沈黙を破るように話し出したのは、結城だった。
「……訊きづらいんだが、それから早見くんは、どうなったんだ? 自分のやったことを自覚してしまったと、言ってたな」
遼が、目を伏せたままで口を開く。
「……正直に言います。今、晃は……錯乱状態です」
「!!」
結城も和海も、血の気が引く思いだった。
遼が表に出ていることで、何かあったとは思っていたが、そこまで行っていたとは……
「錯乱して、それこそ何をするかわからない状態だったんで、俺が無理に表に出てきて、晃の意識を半ば眠らせました。でも、俺がいつまでも表に出ているわけにいかない。そのうち、晃を表に出さないといけなくなる。その時に、押さえられる人がいないと、自分で自分を傷つけかねない。そこまで、ヤバい状態なんです」
晃の意識を無理矢理抑えつけ、自分が表に出てきて、今のうちに何とか後始末をつけなければと思っていたところで、結城たちが来たのだという。
「いくら霊能者としての修羅場はくぐってきたといっても、晃は本来ごく普通の大学生だ。暴力沙汰を、見聞きしたことだってほとんどない。それがいきなり監禁されて、殺されかけて、さらに自分が人を“喰い殺した”なんてことに気付いて、それで平然としていられるはずなんかない。晃の心はもう、壊れかけているんです……」
遼の顔が、つらそうに歪む。
「……そうだろうな……。とにかく事務所に戻って、落ち着かせられるか、やってみるしかないか……」
結城もまた、苦悩の滲む表情になる。
事務所に着いたなら、他のことが手につかない事態になるだろう。今のうちに連絡だけはしようと、結城は雅人のスマホに、晃を見つけて保護した旨を記したメッセージを送った。保護はしたが、精神的な動揺がひどいため、しばらく大学は休むことになるとも付け加えて。
ほどなくして、雅人から返答が来た。
晃の身を案じ、体は大丈夫かという問いかけとともに、『アカネが“あるじ様怒ってる”と言っていたが、何か関係はあるのか』という内容だった。
怒りに我を忘れる瞬間があったのだ。それも、アカネには伝わっていたことだろう。
とはいえ、今の状況をそのまま伝えるわけにもいかない。晃が表に出てきたとき、どうなるか全くわからないからだ。
『体は大丈夫。詳しくは後で連絡する』と再度返答し、結城は改めて遼に向き直る。
「もうすぐ事務所に着くが、伝え忘れていることはあるか?」
「いいえ。ただ、目につくところにある刃物や先の尖った物は、全部目につかないところに片付けておいてください。一時の混乱が収まったとしても、しばらくは相当不安定になっていると思うんで。それに、監禁されてた時のことも、絶対トラウマになると思うし……。こればっかりは、俺じゃどうすることも出来ないし……」
いくら晃を支えていたと言っても、出来ることは心が折れないように励まし続けることぐらいで、晃自身が受けた心の傷を、肩代わりすることなど遼には出来ない。
晃を案ずる遼の答えに、結城はもちろん、運転中の和海も黙ってうなずいた。
遼と晃が交代する瞬間、何が起こるのか。二人ともまだ想像が付かなかったが、大変なことになりそうな予感があった。
錯乱状態といっても、どう錯乱しているのか、わからないからだった。
やり取りしているうちに、車は事務所へと到着した。
遼と結城が降り、ガレージに車を置いてきた和海が合流したところで、結城と和海が先に事務所に入り、危険そうなものを片端から目につかないところにしまい込んで、改めて遼に声をかけた。
「ひとまず、危なそうなものは片付けた。いつ、早見くんを表に出すつもりなんだ?」
「……そうですね、少しぐらい大声を出しても、近所に不審を持たれない部屋があれば、そこに入ってから、と思ってます」
遼の答えに、結城は晃の状態を思って溜め息を吐いた。
「……それなら、資料室代わりにしている部屋だな。あそこは、窓に遮光カーテンを引きっぱなしにした上に、部屋の三面に棚を置いて、書類を入れた段ボールを入れてあるから、他の部屋よりはましだろうな……」
結城は、法引には予め連絡しておいてほしいと和海に頼み、遼がワンショルダーやコートを事務所のソファーに置くのを確認してから、二人で資料室に入った。
元々の広さが六畳ほどの部屋で、そこは確かに、ドアのある壁を除いて、三面に金属製の三段の棚が置かれ、書類を入れた段ボールがかなりみっしりと置いてあった。
ここならば、騒いだとしても比較的ましだろう。
「今から、晃と入れ替わります。結城さん、どうか晃を、頼みます」
そう言ってフローリングの床に無造作に座ると、遼ががくりと体の力を抜き、下を向く。
すると、その体が急に震え出したかと思うと、右手が頭を抱えるような形になり、次の瞬間悲鳴のような叫び声が響いた。
「早見くん!!」
咄嗟に晃に近づき、その体に触れようとした結城を、晃が突き飛ばすようにして離れ、部屋の隅にうずくまる。
再度近づく結城が、晃の手の動きに気が付いて、ほとんど反射的に手を伸ばし、晃の右手首を掴んだ。
今、自分で自分の顔を掻きむしろうとしていた!?
そのまま一気に自分の腕の中に抱き込むと、なおも暴れようとする晃に、必死に呼びかけた。
「早見くん! 私だ! 結城だ!」
しかし、その声も耳に入らないようで、なおも晃は意味をなさない言葉を喚き続ける。
そしてその喚き声が途切れたかと思うと、今度は震える声で何かをつぶやく。
結城は、かろうじてそれを聞き取った。
「……僕は……化け……物……人喰いの……化け物……」
「早見くん!!」
そこへ、声を聞きつけたのか、やや慌てた様子で和海がドアを開け、中の様子にぎょっとした表情になる。
結城が晃を必死に抱きしめるようにして押さえ、晃はただ意味をなさない声で喚きながら、闇雲に暴れている。
「小田切くん! 何か、口の中に詰められるものを! 万一舌でも噛んだら大変だ!」
「あ、はい!」
和海は取って返してダイニングキッチンにあったキッチンペーパーを数枚取ると、二人がいる部屋に引き返した。
そして中に飛び込むと、なおも喚き続けていた晃の口に、キッチンペーパーを押し込んだ。
「晃くん、ごめん!」
晃はまだ、激しく暴れており、結城はそれを押さえるのに汗だくになっていた。
「……このまま押さえていれば、そのうちに体力が尽きると思うが、もしものことがある。松枝先生にも、連絡を取ってくれ」
「わかりました。和尚さんは、もうすぐこちらに来ると思います。それにしても……」
普段はそんなに力があるように見えない晃が、これほどの力で暴れるとは、和海には信じられない思いだった。
「いわゆる……『火事場の馬鹿力』みたいなもんだ。人間は、自分の体を守るために、普段は本当の意味で全力を出さないように、無意識に抑制をかけている。それが、今の早見くんは外れてるんだ……」
言いながらも、結城は必死の形相で晃を押さえ続けている。
晃の体力が、そう長く持つとは思えないが、それを押さえている結城の体力もまた、相当に消耗するはずだ。そもそも、〈過去透視〉を散々使って、疲労していたのだ。かなり無理をして、押さえ込んでいる状態だった。
実際、晃が体力を消耗し尽くして暴れなくなるころには、結城もまたへとへとになっていた