23.合流
クリーム色の軽自動車が、寂れた商業地のはずれのとあるビルの前に止まる。近々解体されることを告知する張り紙がされたそのビルの敷地の中に、晃をさらったシルバーのワンボックスカーが入り込むのを、結城は〈過去透視〉で確認していた。
「……ここだな。車がまだあるか、確認してみよう。さすがに疲れた……」
「そうですね。何かあったら、警察に通報します」
結城と和海が、車を降りる。
改めて時刻を確認すると、午後八時を回るところだった。
晃が拉致された現場からまっすぐ来れば、三十分もかからないはずの距離だったが、途中〈過去透視〉で相手の車の行き先を確認し、一時どうにもならずに休憩を挟んだりしながら来たので、思いの外時間がかかってしまった。
さすがに、結城の顔には疲労の色が濃い。
それでも、晃が今どのような状態なのかわからず、最悪の事態も考えられなくはないので、ここで踏み込む以外の選択肢はなかった。
不測の事態に備えて、結城の手には特殊警棒が握られている。万が一、乱闘になった時のための用心だった。
ビルの脇には、普通自動車なら何とか通れる程度の通路が、裏手に向かって伸びている。例のワンボックスカーは、ここに入っていったのだ。
街灯の明かりもほぼ届かないそこへ、和海の照らす懐中電灯を奥に向けてみると、シルバーのワンボックスカーが止まっているのがわかった。
ナンバープレートを確認したが、間違いない。
二人は互いに顔を見合わせてうなずくと、周囲を確認し、ビルの裏手へと歩みを進める。
近くの商業地が寂れているためか、ここも人通りがほとんどない。誰かを監禁するのには、都合がいいところだった。
まず、結城がワンボックスカーの中を覗き込む。スモークガラスでよくわからないが、誰も乗っていないようだ。
フロント側に回り込んで、懐中電灯で中を照らしてみるが、誰か乗っている様子はない。
そして車が止まっているすぐ近くに、ビルの裏口があった。鍵穴の辺りに、かなり傷があることから、無理矢理こじ開けたらしい。
「……入るぞ。本当なら、我々も不法侵入に当たるんだが、確認するためには仕方がないな」
結城は小声でそう言うと、ポケットからハンカチを出してノブを包み、ハンカチ越しにノブを回した。ドアはあっさりと開いた。
二人は、特殊警棒を持つ結城を前に、懐中電灯を持つ和海がその後ろに付く形で、ビルの中に踏み込んでいく。
内部は静まり返り、二人の靴が床のPタイルを打つ足音だけが、妙に響く。
足元の少し前を懐中電灯で照らしながら、足音を出来るだけ抑えて慎重に歩いていくと、廊下に面した窓に、わずかに明かりが見える部屋があった。
明らかに、部屋の下半分しか照らしていないであろうその光りかたに、ある種の確信が湧いた。
二人はうなずき合い、結城が再びハンカチ越しにドアノブを掴み、一気に開けて中に踏み込む。そして、踏み込んだ結城はもちろん、覗き込んだ和海も息を飲んだ。
そこは、広さとしては小学校の教室ぐらい。そこのほぼ中心部に、五人の男たちが倒れており、さらにその真ん中に、上半身裸の晃が立っていた。
否、気配が違う。
「……君はまさか……」
思わず問いかけた結城に、晃は結城のほうに顔を向ける。明らかに、顔つきが違っていた。これは、遼のほうだ。
晃ではなく、遼が表に出ている。しかも、てっきりひどい怪我をしていると思っていたのだが、その体は以前の事故の古傷を除いて、傷ひとつなかった。
「……結城さん、来てくれたんですね。これからどうしようかと思ってたところだったんで、助かりました」
間違いなく、遼の声だった。
和海が懐中電灯で、部屋の中をくまなく照らすと、晃の服やワンショルダーが部屋の隅に無造作に放り出してあるのがわかり、和海が声をかける。
「ねえ、遼さん。寒くない? そこに服、あるわよ」
「あー……自分の身体じゃないもんで、どうも感覚が鈍いんですよね。でもさすがに少し寒いか。今、着ますから」
「しかし、この倒れている連中はいったい……?」
結城の問いかけに、服を着ながら遼が告げる。
「こいつらは、このままにしておけば、あと持っても小一時間で全員死にます。警察でも、救急でもいいから、通報してください。通報した後は、ここを離れましょう」
その言葉にぎょっとする二人の視線をあえて無視するように、シャツの前を合わせ、フリースのファスナーを閉め、コートを羽織ると、ジーンズの汚れを叩き落とし、ワンショルダーに何かを押し込んで、遼が二人に向き直る。
和海のほうは、床をよく見たときに、引き剥がされた粘着テープの残骸や、タバコの吸い殻、血痕らしいものが相当数あることに気づき、顔を引きつらせていた。そういえば、なんとなくタバコ臭い臭いがあたりに漂っている。
「……なんか、血痕みたいなものがあるんだけど、ここで、何が……?」
「ここで何が起きたかは、後で説明します。敢えて言うなら、今、俺が表に出ているってことで、ちょっと察してもらえるとありがたいんですけど」
遼にそう言われ、結城も和海も瞬時に『晃に何かあった』と気が付いた。
遼に促され、二人は現場をそのままに表に出ると、車に戻ったところで結城が匿名で『解体予定のビルの中に、勝手に入り込んで騒いでいる者がいる』という通報を警察に入れ、その場を離れる。
そして、遼が改めて口を開いた。
「……あれをやったのは、晃です。そのせいで今、晃はちょっとヤバい状態で……」
「ヤバいって、いったい何があったんだ?」
再度問いかける結城に、遼は初めから話さないと説明しきれないからと、あの場で晃がどういう目に遭ったのかを手短に説明した。
「……それじゃ、相当ひどいことになっていたのか。もう少し早く来られればな……」
痛ましそうな表情になる結城に、遼は首を横に振る。
「下手なタイミングで踏み込んでこられたら、結城さんたちが危なかった。むしろ、あの時点で来てくれたのが、よかったと俺は思ってます」
遼は、あの場に例の女の鬼がやってきていたことを話した。倒れていた男たちは、鬼に誑かされて操られていた連中なのだ、と。
「そいつが姿を現した時、晃はもうズタボロで、それこそ一か八か幽体離脱で相手を慌てさせるぐらいしか手が残ってなかった。それを、あの鬼の奴が……」
女の鬼が、万結花を侮辱したのだ。瞬間、晃がキレたのだという。
「元々、体力的にも精神的にも追い詰められて、ギリギリになっていたところで、かっと頭に血が上ってキレた。ただ、キレたんじゃありません。晃が、“魂喰らい”の代償で、魂に穢れが溜まっているってことは知っているでしょう。弱っていて自身への守りが余計に弱くなっていたせいか、晃の怒りの感情に引っ張られて、その穢れ……つまり妖の要素ですが、それが晃の意識の中に入り込んでしまった。そのせいで、晃が暴走状態になったんです」
「暴走状態!?」
結城が思わず聞き返す。和海も、運転しながら聞き耳を立てている。
「早い話が、人としての理性が完全に吹き飛んだんです。それで、手駒になっていたあの男たちを、晃が喰らったんですよ。自分がズタボロだっていうことで、それを解消するために。これは、妖の要素が入ったせいで起こった、生存本能の暴走だと思う」
そうして力を回復した晃が、女の鬼を喰らい尽くして消滅させた。
そして、一時の暴走状態が徐々におさまってきたとき、遼が妖の要素を晃から引き剥がして無意識域に押し込めたところで、晃に理性が戻ってきた。
この状態で現状を認識し、幽体離脱したまま精神が混乱したら、きちんと体に戻れるかどうかわからない。
そう考えた遼は、周囲の状況を完全には把握出来ていなかった晃をせっついて、<念動>で拘束されたままの自分の体からテープを剥がさせてから、幽体を体に戻した。
そうして、完全に我に返ったところで、傷一つ残っていない自分の体と、倒れている男たちの様子を見て、自分が何をしたのかはっきり自覚してしまったのだという。
遼の表情が、痛みをこらえるようなものになる。
「あいつ、自覚してしまったんです。自分が、『五人の人間を喰い殺した化け物』だと」
「……」
聞いていた二人とも、一瞬絶句した。
一呼吸置くほどの間で、なんとか立ち直った結城が、遼に問う。
「喰い殺したって、あの連中まだ生きているんだろう? 病院へ運べば助かるんだろう? だったら、“喰い殺した”なんていうのは違うんじゃないのか?」
遼は一瞬目を伏せ、真顔になって答える。
「あいつらはもう、助かりません。あの場で死なせないようにするために、通報してもらったに過ぎない。ただの、アリバイ作りみたいなもんですよ。あいつら全員、魂も命運も、晃にほとんど喰らい尽くされてしまった。病院で一時的に命を取り留めたとしても、意識なんか戻らない。魂がほぼ存在してないから。そして、わずかに残っていた命運を使い果たしたら、そこで全員死にます。おそらく、どんなに長くても三月と持たないでしょう……」
遼は大きく溜め息を吐くと、さらに続ける。
「俺、何とか“魂喰らい”の威力を弱めようとしたんですけどね、結局このザマでした。抑えきれなかった。別に、いくら操られていたからって、晃を痛めつけた連中のことを守るつもりはなかったですけど、晃が、自分がしでかしたことにショックを受けるんじゃないかと思って、必死にやったんですが……。あいつの力なら、“視”れば連中がどういう状態か、すぐにわかってしまいますからね……」
遼の話に、車内には重い空気が漂う。