17.危機
大学に行っても、晃はどこか授業に身が入らなかった。
何とか教授の話を聞こうとするのだが、言葉が頭の中にうまく残らない。
よく、右の耳から左の耳に抜けるというが、ほとんどそれに近い。
それでも懸命にノートを取り、かろうじて要点をまとめる。
午前中のコマは何とかクリアしたが、昼食のためにカフェテリアにやってきたところで、朝から感じていた“何かが起こるかもしれない予感”が、完全に“嫌な予感”に変わっていた。
万結花の身に、何かが起こるのではないか。そう思うと、冷や汗が流れてくる。
また、あの猿の化け物が襲ってくるのではないか。あの襲撃の瞬間が、頭をよぎる。
あの時は、刹那の時間に“来る!”と感じて咄嗟に万結花を庇い、相手の刃から彼女を護ることが出来た。
だが今は、彼女の周りにいて動けるのは、アカネくらいのものだ。ただ、アカネはまだ、自分と互角以上の力を持ったものと戦った経験が少なかった。相手が高度な戦術をもって戦いに臨んだら、どうなるかわからない。
そうなると、居ても立っても居られなくなった。
簡単にサンドイッチで昼食を済ませると、晃は人気のない建物の裏手にやってきた。
そして、月長石にいる笹丸に念話で話しかける。
(笹丸さん、無理を承知でお願いしたいんですが、こちらの紅玉髄に施してある術式を利用して、万結花さんのところへ飛べないですか?)
(……無茶なことを、と言いたいところであるが、それ程嫌な予感がするのであるな?)
(そうです。今でも、背筋がゾクリとするくらいです)
(……元々、これに術を施したるは我だ。どうすればそのようなことが可能かは、大体わかる。まあ、かなり無理矢理な方法になる故、今ここにある紅玉髄 は、二度と術を込めることが出来なくなり、完全に力を喪う。それでも、我が向こうへ行った方がいいということか?)
(そうです。万結花さんの身に何かがあったら、僕はどうしたらいいか……)
(わかった。そこまで言うのであるなら、我は向こうへ飛ぼう)
(ありがとうございます)
周囲に人気が無いことを再度確認し、笹丸が外へ飛び出してくる。そして、本来の大きさに戻ると、右の前足を伸ばして晃の胸元の紅玉髄に触れようとする。
気付いた晃は素早くそれを首から外すと、笹丸に向かって差し出すように手を伸ばす。
笹丸が橙色の石に触れた途端、石から仄かに橙色の光が湧き出し、それが笹丸を包んでいく。
そして、一瞬まばゆく光ったかと思うと、たちまち光は消え、笹丸の姿も見えなくなっていた。
いや、姿どころか、気配も感じられない。
直後、微かに何かが割れるような音がしたかと思うと、晃が手にしていた紅玉髄に大きなひびが入った。
かろうじて二つには割れていないが、最早その石が使い物にならなくなったことは一目でわかった。
本来ならかなり硬いその石に、大きなひびを入らせる力とは、どれほど無理矢理だったのだろう。
(なんだか、やっちまった感が半端じゃないんだが。また新しい石を用意して、アカネをこちらに呼べるようにしないと、アカネの奴がぐるぐるすると思うぞ)
遼の言葉に、晃は小さくうなずく。
(わかってる。元は、アカネが僕の気配をいつも感じられるようにしておくためのものだったからね。今日の帰りがけにでも、買ってきておくつもりだよ)
この石が壊れてしまったからには、アカネはあるじである晃と切り離されてしまった状態であるはずだ。
一応、従属の術がかかったままの状態であるため、精神的な繋がりは完全に切れているわけではないのだが、行き来が出来るほど強い絆が繋がっているわけではない。
アカネの心情を考えると、早めに門を繋いでおかないと、向こうで不安定になりそうだ。
それでも、こうして笹丸が向こうに行ったことは、少しは安心材料になる。
アカネと笹丸が力を合わせれば、かなり重篤な状況でも持ちこたえられるはずだ。
アカネひとりでは、まだ力任せの感が否めない状態であったが、笹丸がそこにフォローに入ることによって、アカネが安定して戦えるようにあるはずだ。
本当は、連絡したほうがいいとは思うのだが、万結花に直接連絡するのは躊躇われ、雅人のほうは、就活中の今の状況がよくわからないため、迂闊に連絡すると迷惑になるかもしれない。
実際に笹丸が向こうに付けば、彼から説明があるだろう。
ある意味、一番如才ないのが笹丸なのだ。
晃は少しだけ落ち着き、午後は比較的身を入れて授業に向かい合うことが出来た。
そして、この日の全ての授業が終了したところで、晃は足早に駅に向かった。
そして電車に乗ると、実家近くの駅で降り、その近くにあるショッピングセンターへと足を向ける。
そこにあるテナントに、パワーストーンやトライバルアクセサリーなどを売っているショップがあった。
晃はいつも、そこでパワーストーンなどを買っていた。
上部に一つだけ穴の開いた、タンブルストーンと呼ばれる石が並んでいるところに行くと、紅玉髄が置かれている一角に立つ。
他の石もざっと見てみたが、やはりアカネにふさわしいのは、その眼の色に似た紅玉髄だと思えた。
比較的薄い色から濃い橙色のものまで、さまざまなものがあったが、右掌を石の上にかざし、アカネのための石を改めて選び出す。
これだと選んだ石は、不思議にも割れた先代の石によく似ていたのだ。
タンブルストーンは自然石であるため、ひとつとして同じ形や色、模様の石はない。
ないはずなのにその石は、色はもちろん全体の形も割れた石に似ていた。
晃にはまるで、めぐりあわせのように思えた。割れてしまった先代の石が、自分によく似た次代を引き寄せたようなそんな気がした。
その紅玉髄のタンブルストーンを買い求め、店の人が石を入れてくれた紙の小袋を、大事にワンショルダーの中にしまった。
実家なら、ここから徒歩でも帰れるが、結城探偵事務所へ向かうには、バスに乗る必要があった。
電車で行けなくはないが、路線の関係上微妙に遠回りするため、バスに乗ったほうが楽なのだ。
時間を確認すると、午後三時半になるところだった。今なら、あまり待たずにバスに乗れそうだ。
バス停自体は大きな通りに面したところにあるのだが、そこへの近道は裏道を通る。
住宅地の端を回り込むように通る裏の道は、乗用車が路肩まで使ってすれ違うのがやっとなほどの狭さで、元々人通りが少ないうえ、ちょうど今の時間帯は人も車もほとんど通らないため、そこを足早に突っ切ることで、表の通りを通るより、かなり早くバス停近くに出ることが出来た。
何度も通ったことのあるその通りを、晃は足を速めて歩いていた。
この時、もう少し周囲に意識を向けていれば、あるいは違った結果となったかもしれない。
だが晃は、万結花のこととアカネのことを繰り返し考えていて、注意力が鈍っていた。
車はめったに通らない道ではあるが、まったく通らないわけではない。
背後から車のエンジン音が迫り、晃は半ば無意識に道路の右側に寄った。
車はシルバーのワンボックスカーで、晃を追い越して向かって右側、晃の前方の路肩に止まる。
晃がその横を、少し距離を取って通りかかったその瞬間、側面のスライドドアが開いたかと思うと、数人の男たちが飛び出してきて、いきなり晃に掴み掛って来たのだ。
「!?」
全くの不意打ちだった。身を守るための行動を取る間もなく、男たちに腕や肩を掴まれてしまう。誰かの手が、背後から口を塞いでくる。
咄嗟に振りほどこうとしたその時、いきなり刺激臭とも思えるものが鼻を突き、急に喉がいがらっぽく張り付くような感覚を覚えたかと思うと、激しい咳が出て、それが止まらなくなった。
目の前を見ると、無精ひげを生やした自分と同年配の男が、くわえタバコをしていた。その先端から立ち上っていた煙をまともに吸ったのだ、と気づいたときには、激しく発作的に出る咳のために、晃はほとんど呼吸困難に近い状態に陥っていた。
それでも、何とか逃れようともがく晃の鳩尾に、誰かの膝蹴りがめり込む。
衝撃に息が詰まり、気が遠くなる。体に力が入らなくなる。
ぼやける頭で、あの“嫌な予感”はこれだったのか、と思い至った。
以前、自分が標的になった時でも、確かに嫌な予感はしていた。それどころか今回は、直感がいわば最大限の警告を発し続けていたのだ。
それに気づかず、自分が襲われる可能性を失念していた自身の過ちを晃は悔やんだが、すでに抵抗する力もない。
男たちは、ぐったりした晃を、半ば引きずるようにしながら車の中に連れ込み、座席に押さえつける。
車内も、タバコの煙が薄く充満しており、晃にとって呼吸困難がひどくなるだけだった。
まともに呼吸も出来ない苦しさに薄れゆく意識の中、晃は最後の力を振り絞るように、声にならない声で必死に叫んだ。
(……誰……か……助……け……て……!)
完全に意識が途絶える直前、スライドドアが閉まる音を聞いたような気がした……
今年の更新は、今回で終了です。
今年1年、読んでいただいてありがとうございました。
しかし……書き溜めておいたものを少しずつアップしていったら、今年最後の話がまさかこれになるとは……
とはいえ、来週1/6の木曜日にもいつものように更新しますので、続きをお持ちください。
今年も結局、コロナで大混乱した1年となりましたねえ。
来年こそ、穏やかに過ごせる1年であればいいな、と思います。オミクロン株がどうなるかですが……
皆様、どうかご自愛ください。
では、よいお年を。
P.S
今回出てきた車のイメージモデルは、ト〇タのハ〇エースです。あれが一番、イメージぴったりだったもので。
関係各位、ごめんなさい。