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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第九話 踊る愚者
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15.逃避

 晃は、意識がゆっくりと浮上してくるのを感じた。

 夢を見ていたような気もするが、よく覚えていない。

 それでも、なんだか心がふさぐような気分なのは、きっとよくない夢だったのだろう。

 覚えていないことが、幸いだった。

 ゆっくりと上体を起こすと、周囲を見回し、見覚えがないことに一瞬戸惑い、すぐに法引の家で休ませてもらったのだと思い出した。

 溜め息を吐き、布団から這い出ると、大雑把にたたんで立ち上がると、身だしなみを一応整える。アウターを脱いだだけの恰好で寝てしまったため、乱れた服装を整えないと、人前に出られない雰囲気だったのだ。

 ふと窓のほうを見ると、すでに日が傾いていて、陽の光が橙色に染まっている。

思った以上に寝ていたようだ。

 少し焦ってふすまを開けると、その向こうにはまだ絨毯の上に座っている結城や和海の姿が見えた。

 「ああ、起きたのか。それじゃ、帰ろうか」

 結城が、晃の顔を見ながら、静かに告げる。おそらく、二人して待っていてくれたのだろう。

 「すみません。ちょっとした仮眠程度のつもりだったんですけど、思いの(ほか)寝てしまっていたようで」

 晃が軽く頭を下げると、和海が苦笑いをしながら手をひらひらさせる。

 「そんなこと、気にしなくていいのよ。それより、気分はどう? まだ調子悪いとか、そういうことはある?」

 「いえ、それはありません」

 「なら、それでいいじゃないか。さて……」

 結城も和海も立ち上がると忘れ物がないかどうかを確認し、和海が奥に声をかけて帰る旨を告げ、結城が晃の肩を軽く叩きながら、玄関へと促していく。

 玄関先で、法引夫婦と昭憲に見送られ、三人は駐車場に止めてあるいつもの軽自動車に乗り込むと、探偵事務所へと出発した。

 道すがら、ぼんやりと外を見ている晃に、隣に座った結城が声をかける。

 「……早見くん、あの水晶玉は、こちらで預かっている。どうする? 君が届けるか? それとも、こちらで接触して渡すことも出来るが」

 「……所長のほうから、渡しておいてください。これからしばらく、川本は就活で忙しいみたいなんで……」

 そういう晃は、ほとんど無表情に見えた。

 結城は内心溜め息を吐きながら、それでも出来る限り軽い感じで答える。

 「そうか。なら、こちらで連絡を取って、明日にでも渡しに行く。君は、明日は大学か?」

 「……ええ。ここのところ少し休みがちになっていたので、早めに追いつかないと、単位を落としそうなので」

 確かに、遊びまくっても何とかなるような授業の取り方はしていないだろうし、留年はしたくないだろうから、本来なら勉強に専念したいはずだ。

 今回作ったお守りとなる水晶玉によって、何とか余計な存在を遠ざけることが出来ればいいのだが。

 しかし、それを抜きにしても、晃の表情が乏しいのは気になってしまう。

 やはり、心の動揺を抑えようとして、かえってこうなっているのではないか。

 かといって、下手に話題を振ることも出来ない。いくらこちらでああだこうだと言っても、本人が聞く耳を持たなければ、どうしようもないのだ。

 結城もさすがにこれ以上、踏み込めなかった。

 出来れば和海と協力したいところだったが、晃に知られないよう相談するなら、スマホの通信アプリを使ってやり取りするしかないが、今現在運転中の和海に、それは出来なかった。

 和海も、今のやり取りは聞こえていたはずだが、割り込めそうにないと思ったか、無語のまま運転している。

 結局結城も、間が持たずに窓の外を眺めているしかなくなってしまった。

 (おい、晃。もうちょっと冷静になろうや。何も、振られたと決まったわけじゃないんだし)

 (……あの手に気づかれて、何にもないはずはないよ……。そりゃ、川本からは『万結花本人は受け入れてるから』とは言われたけど、受け入れる程度があるはずだろ?)

 これからも護ってもらわなければならないという立場から、仕方なしに受け入れるということも、充分考えられる。否、普通はそうだろう。

 誰が、化け物になりかかった存在を、まともに受け入れるというのか。

 恐れて当たり前、気持ちが離れて当たり前なのだ。

 それでも、完全に拒絶されたわけではないことに、わずかな安堵の思いを感じる。

 少なくとも、最後まで約束を果たすことが出来そうだ。

 それだけでも、良しとしなければ。

 (晃殿、そなた、こういうことは本当に悲観的に考えるのだな。万結花殿本人に、確認したわけでもあるまいに)

 笹丸が、半ば溜め息を吐くようにそう言うと、晃は目を伏せる。

 (そうはいっても、あの手に気づかれ、代償のことも、知られてしまった。そう思うと、無理だっていう気がひしひしとするんです。本当の意味で受け入れられるはずないんだと……)

 遼も笹丸も、相当にもどかしそうにしていたのだが、晃自身が諦め切ってしまっている状態なため、どうにも気持ちを浮上させる糸口がつかめない。

 晃はと言えば、もうとりとめもないことを考え始めていた。まるで、万結花の話題に触れて欲しくないとでもいうかのように。

 そうして半分考え事をしながら過ごすうち、車は事務所に到着する。その頃には、辺りは薄暗くなり始めていた。

 和海が車庫に車を入れているうちに、結城が事務所のドアを開ける。

 中には村上がいて、パソコンで報告書を作っているところだった。

 「お帰りなさい、所長。と、早見くんか。小田切さんは?」

 「小田切くんは、車庫入れだ。もうすぐ来るよ」

 結城の返事になるほどとうなずいて、村上は再び報告書の作成に戻った。

 結城もひとまずコートをいつものパイプハンガーにかけると、自分の席に着き、パソコンを立ち上げる。

 晃も同じようにパーカーをかけ、席に座った。

 そこへ、車庫入れを終えた和海が入ってくる。

 あとは、皆でパソコン作業をしばらく続けることとなったが、しばらくして村上が出来上がった報告書を結城の元に提出した。

 「大体こんな感じなんですけど、どうですかね」

 村上から渡された書類を確認した結城が、静かにうなずく。

 「これで、特に問題はないな。この後まだ業務は残っているかな?」

 「いや、今のところはないですね」

 「じゃあ、上がっていいよ。お疲れ様」

 そう言われ、村上はにっこりと笑った。

 「それじゃ、お先に失礼します」

 そのまま自席に戻ると、帰り支度を始める村上の姿を横目に、結城はデスクワークの合間にスマホで和海にメッセージを送る。

 『早見くんだが、今日のところは早めに上がってもらって、勉強するなり、気持ちの整理をつけるなりしてもらったほうがいいような気がするんだが?』

 『そうですね。今のところ、そんなにたくさん事務仕事が溜まっているわけじゃないですし』

 そうして二人がやり取りしている間に、帰り支度が済んだ村上が、自分のコートを手に部屋の出口に向かい、最後に振り返って『お先に!』と一言言ってぺこりと頭を下げ、帰宅の途に就いた。

 それを見送った結城は、おもむろに晃に声をかける。

 「早見くん、君も今日は早めに上がって構わないよ。仮眠は取ったが、まだ疲れているだろうし、明日の授業の用意もあるだろうしね」

 それを聞き、晃は一瞬考え、やがてぽつりと言った。

 「……僕に、気を使ってくれなくても大丈夫ですよ。まだ、切りのいいところまでいってないんで、もう少しやりますね」

 言いながらも、タイピングは止まっていない。どうやら本当に、まだやめる気はないようだ。

 もしかしたら、こうして単純作業をしていたほうが、気がまぎれると思っているのかもしれない。

 実際あの“事件”から、晃の事務仕事の時間は間違いなく増えていた。

 だから、こうしていたいのだろう。

 ならば、無理強いも出来ない。しかも、時間的にも超過勤務になるほどには時間を使っているわけでもないから、上司命令で休めと言うほどでもない。

 こうなると、晃は意外に自分の意志を押し通すことが多い。

 結城と和海は、アイコンタクトで“しばらく様子を見るしかない”と互いに確認し合い、小さく溜め息を吐いた。

 そして晃は、二人の様子に気づかないほど意識を集中して、パソコンの打ち込み作業をしていた。

 あと少しで、自分でキリがいいと思えるところまで、終わらせることが出来る。

 そうして精神を集中して作業している理由もまた、自分でうっすらわかっていた。現実逃避の一種だ。


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