14.懸念
神社めぐりを終えてから一週間。昼過ぎから法引の寺である妙昌寺に、法引親子のほか、探偵事務所組の三人もやってきていた。
法引と昭憲は、僧侶としての正装をし、袈裟を身に着けて、三人を出迎えた。
そして、揃って本堂へと向かう。
法引が用意した直径三センチほどの水晶玉といくつかの香、その香を燃やすための香炉などがすでに本堂に置かれており、いつぞや晃の瘴気を浄化するときに使った経文の書かれた布も、本堂の中央に東西南北に辺を合わせる形で敷かれている。
布の四隅には、燭台が置かれて大きな和ろうそくが立てられており、いつ火を灯してもいいように準備がなされていた。
そして、全員が本堂に上がると、法引がロールスクリーンを下ろして曼荼羅を現し、経文が書かれた布の中央に、小さな座布団状のクッションに乗せられた水晶玉を鎮座させる。
それを囲むように、東西南北に合わせて四つの香炉が置かれ、そこに香が乗せられる。
これから、万結花を護るために必要なお守りに力を込める儀式が始まる。
アカネを封じた守り石は、すでに兄の雅人を通じて万結花の手に渡ったはずだが、さらに防備を固めるためのものだ。
今回用意された水晶玉は、特に質のいいもので、無色透明のその球体の中には、一点の傷も曇りもなかった。
「では、これから始めますが、皆さん、用意はいいですかな」
法引が声をかけると、着ていたコートなどを本堂の隅に置き、その場にいる全員がうなずく。
晃の胸元の石から笹丸も姿を現し、本来の大型犬に匹敵する体格に戻って晃の傍らに立った。
「……和尚さん、僕は、本性を現していたほうがいいでしょうか? その方がより強力な力を出せるので。万結花さんを護るためには、その方がいいのではないか、と……」
どこか表情が暗いまま晃が問いかけると、法引は一瞬考え、答える。
「そうですな。より強い力を込めるのであれば、その方がいいでしょうが、わたくしが御し切れるかわかりませんからな。早見さんのほうで合わせられるなら、そうしてもらっても構いません」
「わかりました」
晃が真顔になる。それを見て、法引も結城も和海も内心いろいろ言いたいことはあったが、事情を知っているだけに何も言えなかった。
それはともかく、法引は儀式の始まりを告げ、各自を配置に付けた。
まず、儀式を司る法引が、ろうそくと香にそれぞれ火をつけ、自分の位置に戻る。
東の辺には晃が、その向かいの西の辺には結城と昭憲が、北の辺には法引が、南の辺には和海と笹丸がそれぞれ立ち、法引の読経に合わせて静かに力を込め始めた。
そして晃が、遼の力を呼び込んでその本性をあらわにする。生者と死者の気が入り混じる独特の気配が、辺りに満ちる。
晃の力は圧倒的だったが、他の四人と一体が生み出す力の上から覆いかぶさるように、静かになじんでいく。
晃がちゃんと御しているから法引でも制御出来るが、そうでなかったら誰も制御出来ないほど、晃から注がれる力は隔絶していた。
中央に置かれた水晶玉の周辺の空間が、歪んで見えるほどの力が注がれる。
やがて、水晶玉自体が内側からかすかに光り始めた。
かすかな光は、次第にはっきりわかるほどの、わずかに赤みがかった、白熱電灯を思わせる柔らかな白い光に変わっていく。
力を込める儀式が行われた時間は、それこそ十五分ほどだったが、終わった時には“視える”者には内側から明らかな白い光を発する、不可思議な水晶玉と化していた。
晃は遼の力を切り離し、普段の姿に戻ったが、少し肩で息をしている。
「早見くん、大丈夫か? ちょっと力を込め過ぎたんじゃないのか?」
結城が、心配そうに声をかける。
「そうよ、ちょっと顔色も悪いみたい。少し休んだら?」
和海も、晃の顔を覗き込むようにして言葉をかける。
「……大丈夫です。このくらいなら、特に問題はないですよ……」
晃はそう言ったが、確かに顔色はあまりよくない。
昭憲とともにろうそくや香の火を消し、水晶玉を黒いベルベットで出来た袋に納め、口紐をきちんと締めた後、法引が改めて晃に向き直る。
「早見さん、わたくしの見たところ、やはり顔色がよくありません。家で少し休んでいった方がいいでしょう」
「いや、それほどでも……」
晃がさらに言いかけたところで、結城がぴしゃりと言った。
「君の悪い癖だ。実際に顔色が悪いんだ。無理するな。休んでいきなさい」
「そうだよ。あれだけの力を込めたら、そりゃ消耗するって。オレらだって、ちょっと疲れた感じがするんだ。あれだけすごい力を発して、ばててないわけがない。家で休んでいけばいいよ」
昭憲にまで言われ、晃は仕方ないという感じでうなずいた。
言われるまでもない。なんとか隠しているつもりだったが、疲労で足元がおぼつかない感じがするのだ。顔色だって、よくないはずだ。
それでも、このままさっさと帰って、事務所の二階の自室で休めば、それでいいと思っていた。
この場にいた全員に、『休め』と言われるとは思わなかった。
(晃、ここは素直に休んどけ。みんな、お前のことを心配してるんだ)
(そうであるな。無理は禁物であるぞ、晃殿)
(……わかりました、笹丸さん、遼さん。疲れてるのは事実だし)
晃が休んでいく旨を示したことで、法引が昭憲に付き添っていくよう命じる。
「お前が付き添って、案内していきなさい。大丈夫だとは思うが、もし何かのはずみでよろけでもしたら、それが階段の途中だったら大変なことになるから」
「わかった」
晃が着ていた厚手のパーカーを抱えた昭憲に付き添われ、笹丸が石の中に戻ったタイミングで、晃は本堂を出ていく。
それを見送って、残った三人はそろって溜め息を吐いた。
万結花に自身の異変を知られたことが、相当精神的にきているようで、晃の表情は、初めからどこか思いつめたような、硬く、暗いものだった。
結城も和海も、あれから気にして晃の様子をうかがっていたのだが、笑顔がすっかり少なくなり、笑っても無理をしているのが透けて見えるような表情にしかならない有様で、かなり懸念していたのだ。
それはまるで、完全に失恋したと本人が思い込んでいるようにさえ感じた。
実際、守り石のやり取りは、キャンパス内で雅人を通じて行ったため、万結花と直接顔を合わせたわけではなかったそうだ。
雅人によると、万結花は事態を受け入れているという話で、それは法引たちも聞いていた。
それは晃にも伝わっているはずなのだが、どこをどう解釈したものか、暗い雰囲気が変わることはなかった。
だからいっそ、ちゃんと直接会って話をしてみればいいのに、とは思うが、本人がそれをしないのだからある意味重症だった。
今回のお守りも、直接ではなく雅人を通じて渡すのだろう。
彼女を護るために全力を尽くす癖に、本人に会いに行けない気弱な面が出ている。
「……早見くんは、どうしたもんかな。本人同士が会って話をすれば、あっさり解決すると思うんだが……」
結城が腕組みをしながら、眉間にしわを寄せる。
「でも……本人があれじゃあ……。晃くん、こういうところはヘタレなんだから……」
和海も、右手で額を押さえて、頭痛をこらえるような顔をする。
「仕方ないと言えば、それまでですが。今まで、ほとんど経験がないのでしょう? 自分でもどうすればいいのか、よくわからなくなっているのではないでしょうかな」
法引も、再度本堂への出入り口を見ながら、大きく息を吐く。
恋愛下手も、ここまでくると手の施しようがないようにさえ思える。
「しかし……本当に不器用ですな……」
思わずつぶやいた法引に、結城も和海もうなずく。
「かといって、横からああだこうだと言うのも違うしなあ……」
言いながら頭を掻く結城に、和海も応じる。
「余計なことを言うと、心の傷口広げそうだから、怖いんですよねえ……」
今のところは、まだ様子を見るしかないが、いよいよとなれば偶然を装って万結花と会わせるのも一つの手ではないか、とさえ思う。
しかし、本人も大人の年齢ではあるし、そこまで介入していいものか、という気もする。
「……とりあえず、移動しませんか。全員疲れているのは間違いないところですし、お茶でもどうぞ」
水晶玉の入った袋を改めてきちんと持ち直すと、法引が二人を促す。
二人ともうなずくと銘々アウターを抱え、法引とともに本堂を出て、本堂下の法引の自宅へと向かった。
自宅では、すでにお茶と茶菓子の用意が出来ていて、法引の妻の登紀子が、三人が座ったところで緑茶を入れてくれる。
しかしその場には、晃と、一緒にこちらに向かった昭憲の姿はない。
「先に降りてきた二人は?」
法引が問いかけると、登紀子はふすまの向こうを示した。
「隣で休んでいるわ。早見さんって言ったかしら、あのきれいな子、なんだか調子悪そうだったんで、布団に寝かしつけたんだけど、それでよかった?」
「いや、それでいいと思う。ありがとう。昭憲は、まだ付き添っているのかな」
「そうよ。さっき、お茶菓子持っていったら、『これでいいから』ってポテトチップかじってたけど」
「あいつは、まったく……」
苦笑しながら、法引がお茶を飲む。
結城も和海も、ひとまず休憩というところでお茶を飲み、茶菓子の一口まんじゅうを食べた。
疲れているときには、甘いものがいいというのは、こういう時に実感することが出来る。
そこへ、ふすまが開いて昭憲が顔を出した。
「……とりあえず、今寝てる。様子を見るかい、おやじ」
「一応、確認したほうがいいかな」
法引は完全には立ち上がらず、四つん這いの姿勢でふすまのところまで行き、中をのぞいた。
昭憲が体をずらして中が見えるようにすると、部屋の中で布団にくるまって横になっている晃の姿が見える。
こちらに背を向けているようで顔は見えないが、どうやら本当に眠っているようだった。
「このまま、目覚めるまで寝かせておいた方がいい。昭憲も、こっちへ来なさい」
「そうだね。じゃあ……」
法引は元々座っていたところまで戻り、昭憲もポテトチップの袋を手に、こちらに移った。
昭憲がそっとふすまを閉めると、ひと時の静寂が訪れた。