04.万結花の想い
まさかとは思うが、晃が何らかの形で物の怪に取り憑かれたとか、そんなことはないだろうか。
いつもの晃なら、そんなものは寄せ付けないだろう。
だが、意識不明で自分の身も護れない状態で、何らかの物の怪の類に取り憑かれてしまったら、どうしようもないのでは?
自分が感じたのは、ほんのわずかな違和感程度の気配。それでも、霊能者なら気付くはず。ならば、晃や他の霊能者の人たちも、何が起こったかは気付いているはずだ。
そのうえで兄に口止めしたのだとしたら、これはあまりよくないことなのではないか。
不安が募った。
晃には、ずいぶん無理をしてもらっている。そのせいで、寿命を八年も削ってしまっているのだ。
それだけでも、重すぎる。いくら今現在兄と同い年の二十歳前後であっても、寿命そのものを削ってしまったら、その見た目が若いまま命が尽きてしまうという、最悪の事態を招いてしまうはずだ。
それだけは、絶対にさせてはいけない。
たった一度だけ、晃自身の視界を借りたとき、鏡に映って見えた晃の顔が、ふと脳裏に浮かんだ。
妹の舞花は“イケメン”だと言っていたが、自分はその顔が優しさに満ちていたように見えた。ほんのわずかな時間、垣間見えた世界の中の出来事だったが、自分を護る晃という青年の姿を脳裏に焼き付けることが出来てよかった。
万結花は、晃に生きていて欲しいと強く願う自分がいることに気が付いた。
その気持ちを初めてはっきり意識したのは、晃が初めてその本性を皆の前で表した時だった。
ひどく傷つき、血を流し、徐々に、しかし確実に命の灯が弱くなっていったと感じたあの時。思わず、 『生きてください!』と叫んでいた。
その直後、彼は自分の霊力を“喰らって”傷を治したという。
その瞬間は、確かに体から何かが出ていくような、妙なけだるさを感じたが、時計を見ることが出来ないのでおおよその体感だが、十分もしないうちに回復し、それから今まで何ともない。
あの時は、よかったと思っただけだったが、今、改めて思うとき、晃の身を心から案じる気持ちがあると自覚した。
晃の気持ちはわかっている。何せ、『好きです』と言われたのだ。まあ、あんな形ではあったが。
それだけに、あれは間違いなく本心だとわかる。
その気持ちは、いまだに変わらないだろう。自分の近くにいるときの晃の気配は、いつにも増して暖かい。まるで包み込んでくれるかのようだ。
現実には、わずかに手を握ることくらいしか出来ない関係だが、彼の気配はいつだって自分を包み込み、安心感を与えてくれるようだった。
そうして万結花は、自分もまた心が動いていることに気が付いた。
最初に『生きてください!』と言ったときには、まだ好きとか嫌いとかわからないが、家族のように信頼出来る人だと思い、そう伝えた。
でも今は、晃にずっと近くにいて欲しいと願う自分がいる。
もしかしたら、いわゆる“吊り橋効果”というやつなのかもしれない。それでも、晃が文字通り命がけで、自分と自分の家族を護ろうとしてくれていることは間違いない。
「……晃さん……」
自分はどうして、“贄の巫女”として生まれてきてしまったのだろう。ただの霊感の強い女の子だったら、もっと晃との距離を近づけることが出来たはずなのに。
そこまで考えて、それでは自分は晃と知り合うことはなかったと気が付いた。
“贄の巫女”だったからこそ、霊や妖、物の怪などに狙われ、それをどうにか出来たら、という依頼を出した結果、晃が川本家にやってくることになったのだから。
そう考えると、因果なものだ。
だからこそ、今の晃の状態は、心配でたまらない。
万結花は、自分で自分を抱きかかえるように腕を交差させる。なんだか背筋がゾクゾクしてくる。
晃の、あの暖かい気配が、変わってしまったらどうしよう。
それが一番怖かった。
どうしてそうなってしまったのだろう。
やはり、命を削ってしまったせい?
でもそれなら、今回急にそれを感じるのはおかしい。今回で三回目なのだ。
三回目の今回、前の二回とはどう違っていったのだろう。
考えていくと、ひとつ思い当たることがあった。“魂喰らい”だ。
以前の二回は、ただ命を削っただけだったのに対し、今回は“魂喰らい”と同時に使った。
あとで訊いたら、舞花の身に危険が及ぶのを防ぐため、一撃で相手を斃そうと、“魂喰らい”の威力を上げるために命を削る選択をしたのだという。
無茶だとしか言いようがない。
どうしてそんなことをしたのか、と訊きたいところだったが、もし晃がその選択をしなかったら、舞花はどうなっていただろう。もしかしたら、あの場で殺されていたとしても、おかしくはなかったという。
確かにあの時、微かに血の匂いがしたが、舞花の首筋に鎌のようになった手の、その鋭い先端が押し付けられ、少量だが血が流れていたそうだ。
もし一撃で終わらなかったら、舞花は首を切り裂かれ、頸動脈を切られていたかもしれないのだ。
そうなったら、舞花は死んでいた。
それを防ぐために、晃は自分の寿命と引き換えに一撃で終わらせたのだ。
しかし、その“魂喰らい”が何か影響したのではないだろうか。
前回との違いと言ったら、それくらいしかないのだから。
“魂喰らい”が、具体的にどんな力なのか、自分はよくわからない。それでも、相手の力を取り込む特殊な能力だということはおおよそわかった。
考えてみれば、そんな力は異質以外の何物でもない。
そして、それを使う人間が、それを負担に感じたとしても、おかしくはないのだ。
そうして考えているうちに、窓の外に今となっては慣れてしまいつつある気配が、どこからともなく近づいてくるのを感じた。
このくらいの気配なら、結界を破ることなど出来ないとわかる。
自分の霊力を餌として喰らおうと、どこからともなくやってくる霊たちや、妖とも物の怪とも呼ばれるモノたち。
万結花は、首にかけたままの護り石に手を伸ばし、それを右掌に握り込む。
その石には、晃の力が込められている。だから、その石が纏う気配は暖かい。
だから、以前は恐ろしかった窓の外の異様な気配も、今はあまり恐怖を感じない。晃に護られていると感じるから。
だからこそ、晃の身が案じられる。これ以上無茶なことはしないで欲しい。
だが、無茶をしなければ護れなかったのが、この間の出来事だ。
もしあの時、晃が舞花を助けるために戦わなかったら、自分は大切な妹を失ったかもしれず、そうなったらもしかして、自分は打ちのめされて禍神に対して抗う気力を失っていたかもしれない。
先程から、考えが堂々巡りをしているような気がする。
万結花は溜め息を吐いた。
窓の外は、それなりな数のモノたちの気配がうろついていると感じられる。
今外に出ることは、間違いなく危険が伴うはずだ。
それでも、そんなものを一切無視して、家を飛び出していきたいという思いさえ湧いてくる。
晃に問いかけたい。何を隠しているのかと。
それが何かはまだわからないが、自分はそれを受け入れられると思う。
『だって、こんなにも逢いたいと思えるんだもの』
そうだ、問いかけなんて、言い訳だ。
自分は、晃に逢いたいのだ。
とにかく、逢って話がしたい。彼のあの暖かな気配に包まれていたい。
きっと、今よりももう少し前から、自分は晃が好きになっていたのだ。
ただ、好きになったとしても、何も進展させることが出来ない。それが苦しかった。
自分は文字通りこれから、神に仕える“巫女”として、まさしく俗世を離れてしまうからだ。
もちろん最初の希望通り、働いて給料をもらい、その初任給で両親や兄妹に何か記念の品を買うつもりなのだ。巫女として神に仕えるのは、そのあと。
それまでは、護ってもらう約束だった。
しかし、こんなことになるとは思わなかった。
自分も彼が好きなのだと自覚したそのあとで、さらに彼を犠牲にして護ってもらいたいとは思えなくなった。
けれど、彼が……晃が立ちはだからなければ、誰も禍神の配下に太刀打ち出来ない。
最初にかわした約束を守るためには、晃が犠牲になるしかない。
今すぐ、仕える神を決めてしまえば、怯えることはなくなる。でも、それではきっと後悔すると言われた。一度口に出してしまえば、やり直しは効かないから、と。
万結花は、すっかり考え込んでしまった。