06.情報
店の前から、駅に向かって歩いていくと、駅前で再度周囲の気配を確認した。しかし、特に注意を要するほどのものはないので、切符を買ってそのままホームまで上がる。
「ところで、そのときあなた方が立っていたのは、どの辺でしたか」
結城が春奈に問いかける。
「ええと、確かこの辺でした。このあたりが、裕恵が降りる駅で、階段に近い場所だと本人から聞いたので……」
春奈が示した場所は、ホームの中ほどよりやや前方で、ちょうどベンチが置かれていた。
晃は素早くベンチの傍に行くと、そのすぐ脇に立ち、虚空をじっと凝視する。さらに、誰もいないはずの空間に向かって、何かぶつぶつとつぶやき始める。
その様子の異様さに、今まで晃に纏わりついていた春奈まで、足を止めて茫然と見つめた。周りの一般客は、晃を避けるように遠巻きにしている。
晃が何をしているのか、和海と結城にはわかっていた。線路の上空に立っていた霊に、当日のことを尋ねていたのだ。その霊は若い女性で、どうやら自殺してここに呪縛されているらしい。やはり霊能力がある結城や和海には、胸のすぐ下あたりで、胴体が両断されているのがわかった。血まみれの壮絶な姿のままの女性に、さすがに結城も顔をしかめ、和海に至っては“視て”いるのもつらそうな表情だったが、晃は顔色ひとつ変えずに女性を見つめ、話を続けている。
不意に、女性の霊がこちらを見た。晃も一瞬こちらを見、二人は再び向き合った。
しばらく話をしていたが、不意にその女性が吸い寄せられるように晃の元までやってくる。晃の視線は、その女性を確実に追いかけていた。そして、すがりついてきた女性を優しく受け止め、何事かを囁き、ふっと息を吹きかけると、女性の姿がかき消すように見えなくなった。
「……成仏させたんだな」
結城の言葉に、和海が感嘆した。
「あの霊を見つめる目が、優しかったわ。ああいう霊でも、晃くんは受け入れられるのね。わたしじゃ、あれだけすごい状態なのはちょっと……」
晃が、無言のまま三人のほうを見る。そして、小さくうなずいた。
今度は結城が、晃の元に小走りに駆け寄った。春奈はというと、今の晃の言動の意味が理解出来ず、立ち尽くすばかり。その傍らに、念のため和海が付き添った。
「早見くん、さっきの霊は、何か言っていたか」
「ええ。彼女は、見たんだそうです。少し前の夜、二人連れの女性の片方の腕に、四、五歳の防空頭巾姿の女の子がしがみついていたのを。しがみつかれていない方は、クライアントの深山さんに間違いないと彼女は言っていました。深山さんの顔も確認していましたからね。さっき、そちらを見たのはわかったでしょう。そして、女の子はこう言っていたんだそうです。『お姉ちゃん見つけた』と」
「『お姉ちゃん』だって!?」
「それも、ただ年上の女性ということではなく、まさに親族としての“姉”というニュアンスで使っていたようなんです。どういう意味なのか、僕も判断が出来ないでいるんですが」
これには、結城もすっかり考え込んでしまった。
そこへ、電車が入ってくる。結城は合図して、和海にそのまま春奈に付き添っているよう指示し、晃と電車に乗った。和海も、春奈の手を引くようにして、隣のドアから乗り込んだ。車内は、数人吊り革につかまる乗客がいる程度の混み方だった。
一般客は、二組が乗ったドアを避けて、さらにその向こうのドアから乗り込んでいる。
車内でも、今の駅で乗ってきた乗客は晃に近づこうとしない。そしてそれは、先程まで晃に纏わりついていた春奈にもいえた。
晃の突然の不可解な行動は、春奈の気持ちをある程度引かせることになったようだ。
「……あの、さっきのは一体何が……」
春奈が、どこか怯えたように和海に尋ねる。和海は、出来るだけ優しい口調で事情を説明した。
「最初に説明しましたけど、彼は強力な霊能者です。ですから、先程のものは、あの場にいた霊体に話を聞いていたのですよ。それだけのことですから、心配しないでください」
「……いたんですか、あそこに霊が」
「いたんです。何年か前に、あそこから飛び込み自殺した人が。その人が、あの夜の事を見ていたかどうか、尋ねていただけです。あなたは普段は、そういうものが“視えない”でしょう。だから、わけがわからなかっただけですよ」
和海にそう言われ、春奈は一応は落ち着きを見せた。けれど、駅に来る前に見せていた晃への恋慕の情のようなものが、すっかり影を潜めている。
隣のドア付近で、結城とともに手すりにつかまっている晃は、春奈の様子を見ながら安堵とも寂寥感ともいえない、複雑な気分になっていた。
(……やっぱりこうなったね、遼さん)
(まあ……いきなり霊に向かって話しかけたりすれば、普通のやつは引くわな。“視えない”やつはもちろん、“視える”やつだって当たり前のように霊に話しかけたりすれば、びっくりして引くだろうさ。……お前の悪い癖だ。大体、あの女の霊だって、いきなり話しかけられて、驚いてたぞ)
(……それは認める。子供の頃から、“視え”たり話しかけたりは当然のようにやってたし)
(でも、普通そういう能力を持って生まれたとしても、お前ほどは馴染まないと思うんだが。元々そういう気質に生まれたのか……。まあ、そんなお前だったから、俺ともこうしていられるんだろうけど)
(……だからみんな、外見に惹かれて近寄ってきた子でも、最後は離れていくんだ。今に始まったことじゃないから、またかと思うだけだけどね……)
(またかってことはないだろう、晃。何とかそれを乗り越えて、生身の女の子と付き合うようにしろよ。さっきの女の霊のときもそうだったが、優しい囁きは霊体以外の女に向かってやれって)
(努力する)
(こういうことに関しては、お前の『努力する』は当てにならんからな)
そのとき、隣に立っている結城が話しかけてきた。
「早見くん、さっきの霊の話だが、どう思うかね。『お姉ちゃん』というのは、どういうつもりで言ったと考えられるかな」
結城の問いかけに、晃は素直に思ったことを言った。
「そうですね。僕が思いつくことは、“被害者”の持田裕恵さんが、その女の子の実のお姉さんに似ていて、女の子が勘違いしたんじゃないかと。というか、それ以外、考えつかないんですが」
「……君もそう考えるか。その線が、確かに一番自然だと思うんだ。となると、その子は一体どこで、持田さんと出会って、姉だと思い込んだのか、ということだが」
「そこまでは、さすがにわかりません。情報がなさ過ぎです。消えたという現場に着いたら、お願いしますよ、所長」
「……そうなるとは思っていたが。やはり〈過去透視(サイコメトリー)〉か」
「当面考えられる方法は、それですからね。出来る限りのフォローはしますから」
結城は天井に視線を泳がせ、溜め息をついた。
「何かあった現場でダイレクトにやるのは、気が進まんのだが、仕方がないか」
しばらくして、春奈が窓ガラスに映った女の子の姿を見たという地点に来たが、特に変わったところはない。
「ところで所長。普段見えない人が、いくらガラスに映った姿とはいえ、霊を“視て”しまったというのが、僕には気になるんです。まさかとは思うんですが、案外“波長”が合ってしまっているのではないかと思えて、そこが心配なんですが」
「可能性としては、あり得る話だな。霊としては、直接働きかける存在には持田さんを選んでいても、自分と感度が合いやすい女性がいれば、そちらにも行く可能性はある。念のため、本人に確認しておいたほうがいいだろうな。『我々のところに来る前に、おかしなことはなかったか』と」
「電車を降りたら、尋ねてみましょう。ただ……駅のホームでやった霊視のせいで、クライアントがかなり引いているんで、僕が近づいて受け入れてくれるか、微妙なんですが」
「そこは私か小田切くんがやろう。君は、性質の悪い霊が近くにいないかどうか、監視していてくれればいい」
「わかりました」
やがて、あの日二人が降りた駅に到着し、春奈を含めた四人はホームに降りた。
「深山さん、当日は、そこのベンチに持田さんを腰掛けさせて、少し休んだということで、間違いないですね」
和海が、春奈に問いかける。
「はい、間違いないです」
そう答えた春奈に、今度は結城が声をかけた。
「それで、念のためお尋ねするんですがね、最近あなたの身辺に、変わったことはありませんでしたか。なければ、それで結構なんですが」
春奈は怪訝な顔になりながらも、首を横に振った。
「特に、そんな変わったことはありませんでしたけど……」
「それならばいいんです。失礼しました」
結城が何故このような質問をしたのか、春奈は腑に落ちないようだった。怪訝な顔のまま、結城のほうを見ている。結城としても、説明が難しいものなので、下手にいいわけめいた説明をするよりは、混乱が少ないかもしれないと考えたのだ。
そこへ、晃が口を開く。
「そろそろ行きましょう。あまりのんびりしすぎていると、暗くなってしまいますよ。夜になれば、多くの霊たちが彷徨い始めますからね」
その言葉に、春奈は明らかに嫌そうな表情になった。
咄嗟に和海が春奈の腕を取り、改札へと促す。春奈は、和海に引っ張られるように階段へと消えていった。
それを見て、結城と晃は顔を見合わせて苦笑する。
「唐突な質問と、フォローになっていない台詞が重なって、クライアントがちょっと不審を持ったかもしれませんね。いきなりあんなことを聞かれたら、普通は怖がるか、不審に思うかのどちらかですから」
「そうだな。それに考えてみると、気づかない人は本当に取り憑かれていても気づかないから、訊くだけ無駄だったんだ……」
「まったくですね。今のところ、彼女に取り憑いている霊はいませんから、今は大丈夫なんですが……。この先、僕たちがずっと護衛しているわけにも行きません。それが心配ですね。彼女が『神隠し』の第二の被害者にならなければいいんですが」
「それは、絶対あってはならん最悪の事態だ。クライアントの安全は、最優先事項になる。わかっているとは思うが」
「もちろんわかっていますよ」
結城と晃も、ホームを離れて改札へと向かった。和海と春奈は、改札を抜けてすぐのところで、二人を待っていた。
「所長、行きますよ。晃くんも、ついてきてね」
和海が、春奈に道を聞きながら、駅前通りへと歩き出す。結城と晃も、それに続いた。
駅前の商店街は、買い物客が数多くいた。近くのスーパーと商店街が、相乗効果で両方とも何とか経営が成り立っているようだ。
「この道で合っていますか」
和海の問いに、春奈がうなずく。
「はい。この先の十字路を右に曲がるんです」
和海は、後ろからついてくる二人に目配せしながら、春奈の傍らを歩いていく。
十字路を右に曲がり、しばらく歩いていくと、住宅地に入った。時折春奈も振り返るが、二人がついて来ているのを確認しているだけで、姿が目に入ると、すぐに視線を戻してしまっていた。
「……やっぱり、不審をもたれているのか」
結城が小声でつぶやくと、隣で晃も小さくうなずく。
「かもしれません。もう一度、きちんと説明したほうがいいでしょうね」
二人は、問題の失踪現場に到着したら、一連のことを初めから説明しようと決めた。能力を持たない一般人には、やはり理解出来ないことが続いている。霊視しかり、霊との対話しかり。
こちらは良かれと思ってやっていることだが、普段こういった能力を持たないものとは、感覚的にかみ合わないのだ。
一般人とともに調査することの、ある種難しさを、二人は痛感していた。