01.プロローグ
何とか第九話をスタートします。
ただ、うまく話が浮かんでこず、更新が途切れるかもしれません。その時は、「ああ、詰まったんだな」とスルーしていただけると助かります。
では、どうぞ。
登山道から外れ、木々や藪の奥、獣道しか通っていないようなところに、それはあった。
夏は昼なお薄暗いその場所は、かつては一柱の古い神格が封じられていた。
しかし今は、解き放たれた神格の、ある種の“聖地”と化していた。
もっとも、そこにはまともな人間は近づくことなど出来はしない。人が過ごすには、濃すぎる瘴気が漂い始めているからだ。
山の動物すら近づかず、周辺の木々も瘴気の影響を受けて、徐々に枝がねじれ、幹がどす黒く変わり始めているのを、そう深くはないが降り積もった雪が、半ば覆い隠していた。
そこの主たるものの名は、人によって名付けられたる『虚影』。またの名を禍神。
傾いた鳥居の奥の壊れた祠こそ、かつての封印場所であり、今はそこを通じてこの世ではない異界へと足を踏み入れられるところとなっている。
そして深夜、この世の裏側というべきその異界で、何体かの雑霊と物の怪、妖どもが集められていた。
そこは、古い板張りの壁や天井を持ち、床が土間となっているちょうど学校の教室程度の部屋だった。不思議なことに、出入り口らしいところが見当たらない。
雑霊や物の怪どもは、その部屋の中央部に集められていた。
その傍らには、平安貴族を思わせるような古の衣を身に着けた、壮年の男が立っていた。衣の色は、上は蘇芳色。下は濃紺。足元は、黒い色をした古の靴。
依り代となっている苅部那美の体から一時離れ、ここにやってきた禍神その人だ。
部屋の四隅には、それぞれ禍神配下の鬼が居り、中央部に集められているモノたちが、逃げ出さないように見張っているといった雰囲気だ。
かつては力を失い、おぼろげな影のような姿となり果てていたが、力を取り戻すにつれ、その姿は確かなものとなり、今は古の姿を彷彿とさせる姿を取り戻していた。
ただ、だからといって、その力までまだ戻ることはない。
少し、取り戻せただけに過ぎない。
だが、少し取り戻しただけの力であっても、これから行われるようなことくらいは、余裕をもって行えるようになっていた。
禍神が、祝詞のような、呪文のような、何がしかの言葉を紡ぎ始める。奇妙な抑揚のついたそれは、どこか声明のようにも聞こえた。
その声が部屋の中に響き続けるうち、部屋の中央にいるモノどもに変化が起きる。
全員がより真ん中に押されるように集まっていったかと思うと、ぎゅうぎゅうに押し固まり、次第に一つに融合していく。
何本のもの腕と、何本もの脚と、数えきれない数の眼が現れ、蠢き、やがてそれらさえも融合していき、いつしかほぼ人型の姿に集約していく。
禍神の声が止んだ時、そこには一体の異形のモノがいた。
顔は猿のようであり、体は無理矢理直立した四足獣のようであり、手足は完全な人間のそれであった。
全身は黒みがかった茶色の毛で被われ、顔や手首足首の先には毛は生えていない。
その体から溢れる力というか、存在感は、四隅に立つ鬼たちに勝るとも劣らない。
ソレは、言葉にならぬ唸り声のようなものを発し、自分の前に立つ禍神を見つめている。
『儂は貴様の創造主じゃ。儂に従え!』
その言葉を聞いた途端、ソレは唸るのをやめ、その場で跪く。
『今から貴様は、我が配下じゃ。貴様のことは、【黒猿】と呼ぶ。儂が付けたる名を、忘れるでない』
『ハハァ、創造主サマ。コノ身ト忠誠ハ、創造主サマニ捧ゲマス』
黒猿と呼ばれたモノは、跪いた姿勢のまま、さらに深く頭を下げた。
いまだどこかぎこちなく、抑揚のないしゃべり方ではあったが、先程まで唸り声しか上げていなかったものが、名付けによってここまで話せるようになったことは、確かに禍神の配下として彼と繋がったことを示すものだろう。
これは、晃のよって喰らい尽くされて消滅した存在をもとに、新たに術式を編み出して作られた、新たな手駒であった。
儀式が終わったことで、鬼たちも禍神の近くにやってきて、それぞれ跪く。
『さて、お前たちから見て、こ奴はどうじゃ。使えそうか』
禍神からの問いに、漸鬼が答える。
『先日の試作よりも、より強い力を持つに至ったと思われます。充分、期待出来るかと』
それを聞き、禍神は小さくうなずく。
その様子を見ながら、劉鬼、蒐鬼、濫鬼の三体は、その顔にわずかに複雑な感情を浮かべる。
今生み出された“黒猿”は、自分たちの直接の配下ではなく、格で言えば自分たちと同格に近い。
もちろん、自分たちのほうが上であることはわかっているのだが、自分たちが直接の手出しを禁じられる代わりに、後から出てきたこういう存在に邪魔者の“討伐”を任される可能性があるのは、あまり面白い事態ではない。
邪魔者の実力はわかっている。厳鬼を斃したほどの実力者だ。
自分たちの主が、これ以上の配下の損耗を良しとせず、より簡単に使い捨て出来る手駒を創り出したということは充分ありがたいことであるとは思っている。
だが、この手で厳鬼の仇を討ちたいという思いも、胸の中にくすぶっている。
しかし、誰もがわかっていた。
禍神は、自分が真に神としての力を取り戻した時の、側近としての役割を自分たちに与えようとしている。そのために、潰されてもいい存在をぶつけようとしているのだ。
それを無下には出来ない。
ただ、それでもあの霊能者が排除出来なかったらその時は、自分たちが行くことも考えていた。
そう考えていくと、ますます邪魔者が憎たらしく思えてくる。
すると、禍神が再び口を開いた。
『お前たち、余計な気を回す必要などないのじゃ。儂の力がもう少し戻れば、このような迂遠な方法などとる必要はないのじゃからな』
『はっ』
皆が揃って頭を下げ、続いて立ち上がると、それぞれが別な方向に散っていつの間にか姿を消し、ほどなく再び現れたときには、四体それぞれが、若い女性を抱えていた。
そして、その女性たちを禍神の前に横たえる。
彼女たちの服装はばらばらで、学校の制服を着ている者もいれば、アウトドア系の服装の者もいた。普段着と思われる服の者さえいた。微かに胸が上下することで生きているとわかるが、意識があるようには見えなかった。
禍神は黒猿を隅に下がらせると、自分の前に横たえられた女性の一人手を伸ばす。すると、その女性の体が宙に浮き、横たわった時の姿勢のまま禍神の腰の高さまで持ちあがった。
禍神の手が音もなく女性の胸の中にずるりと入り込む。本当の意味での肉体など持っていないため、傷口が開くわけでもなく、服が破れるわけでもない。それでも、女性の体が一瞬痙攣し、直後にその全身から力が抜けた。禍神の手が女性の体から離れるのと同時に、女性は再び床に降りた。
しかし、明らかにわかった。彼女はすでに、息をしていない。
禍神は、他の三人の女性に対しても同じことを繰り返し、床に降りた彼女たちは皆、生を奪われていた。
『やはり、新鮮な贄はよいものじゃ。体の始末は、いつものようにしておくのじゃぞ。美味じゃった』
『御意』
満足そうにうなずく禍神に、鬼たちが再び頭を下げる。
それを確認すると、禍神は踵を返す。途端に目の前の空間が歪み、その歪みに足を踏み入れた刹那、苅部那美が暮らす部屋へと戻っていた。
(ふむ、予め術により門を創っておいたのは、我ながら上出来じゃの。この女には、まだ気づかれるわけにいかぬ)
禍神は、ベッドで眠る那美の姿を見下ろした。自分に【虚影】という名を付けた協力者。
禍神はにやりと笑うと、彼女の体に溶け込むように消えた。
枕元に置かれたスマホに表示されていた時刻は、午前二時……