29.エピローグ
正月三が日も過ぎたころ、晃は退院し、探偵事務所の二階の自分の部屋に戻ってきた。
そこで退院祝いと称して、結城や和海が仕事を早めに切り上げ、ちょっとしたデリバリーの食事を取り寄せ、みんなで食べることになった。
晃が戻ってきたのに気付いたアカネは、晃にへばりついて離れず、晃は仕方なしに自分の頭の上にへばりつかせたままにしたほどだった。
笹丸はと言うと、そんなアカネの様子に苦笑しながら、晃の脚元で静かに座っている。
「早見くん、今日のところはまあ、無事に退院出来たということで、そのお祝いだ。私からのおごりだから、気兼ねせず食べてくれ」
デリバリーしたパスタを前に、結城が改めて口を開く。
「……早見くん、私たちも和尚さんも、君の魂の穢れが出来るだけ溜まらないようにするにはどうすればいいか、ずっと相談していてね。まだ、解決策は見いだせていないんだが、必ずそれを見つけるから、無理をしてはいけない。わかってるとは思うけど」
結城が、どこか言い聞かせるような口調で、晃に話しかける。
「そうよ、きっと見つけてみせる。あなたが、本物の物の怪にならない方法を。絶対にあるはずだもの」
和海もまた、励ますような口調で言葉を続ける。
晃は、二人の気持ちが嬉しかった。
「ええ、無理はしません。それに、力を使うたびに取り込んだ力をすぐに放出すれば、そんなに急激には穢れが溜まるとは思えないので。だから、そこまで切羽詰まっているわけじゃないと思うんです」
晃の言葉に、結城も和海も表情を緩める。
「君が力を使わなくて済めば、それに越したことはないんだが、こればっかりはなあ……」
結城が言いながら、溜め息混じりに天井を仰ぐ。
法引から受け取った白木の霊具を使ったとしても、本性を現した晃の実力には遠く及ばないことは、二人とも自覚していた。
だからといって、手をこまねいているわけにもいかないのが、晃が背負う“代償”の重さだ。
今回、取り込んだ力を放出出来なかったため、一気にある程度の穢れが溜まってしまい、あの“左手の変異”を引き起こしてしまった。
それでも晃が、すべてを承知で“魂喰らい”を使い続けるのは間違いない。
(晃殿、我も何とか穢れが溜まらぬよう、術式を組んでみようと思う。うまくいくかどうかは、わからぬが)
(ありがとうございます。そうやって、気を使ってもらえるだけで嬉しいです)
笹丸もまた、晃を案じて何とか代償を軽減出来ないかと考えてくれていた。
みんな、すでに“左手”が人のそれではなくなってしまっているというのに、それを受け入れて何とかならないかと考えてくれている。それがとても嬉しかった。
けれど、晃はわかっていた。この力を使い続ける限り、穢れが溜まり続ける。それを止めるすべなどない、と。
軽減することは出来るかもしれないが、止めることなど出来ないのだ。
それでも、覚悟は決まった。
皆が受け入れてくれたから、最後の最後まで前を向ける。
そう心が決まれば、恐怖は多少は和らいでいた。
しばしの沈黙ののち、わざと明るくしたという口調で、和海が料理を示す。
「とにかく、料理が目の前にあるんだし、食べちゃいましょ」
「そう……だな。冷めないうちに食べよう」
結城もまた、そう言ってフォークを手にパスタに口を付ける。
それを見た晃も、パスタを食べ始めた。
入院中、絶食状態が何日か続いて胃が縮んだか、そうでなくても少食なのが、さらに少食になってしまっている。
だから、量が少なめに見えたリガトーニのボロネーゼを選んだ。
実際、そんなに容器に盛られているわけではないので、このくらいなら食べ切れそうだ。
笹丸には、コンビニの稲荷寿司が出されており、アカネはさすがに一旦晃の頭の上から降りて、それでも晃から離れたがらなかったので、椅子に座った晃の膝の上で、やはりコンビニスイーツのマドレーヌを“食べて”いた。
しばらく皆でちょっとした雑談を挟みながら、思いだしたように結城が話し出す。
「そういえば、和尚さんがこぼしてたな。『お前が何とか出来ないのか、と松枝先生に怒られた』と」
松枝は医師だ。医師として、自分の命を粗末にしているとしか思えない晃の行動について、思うところがあるはずだ。
晃自身、目覚めた直後に、しっかり説教を食らった。
それだけに、晃を止めることが出来ない法引以下の霊能力者たちを、不甲斐ないと思っているようだ、とも。
「その松枝先生ですけど、薄々僕の身に異変が起きていることに、気づいてるみたいなんですよね」
晃の言葉に、結城も和海も驚きの表情を浮かべた。
「……そういう雰囲気っていうか、話があったの?」
和海の問いかけに晃はうなずき、病室で問いかけられたことを話した。
「……そうか、違和感、ねえ……」
結城がそうつぶやくと、和海が溜め息を吐く。
「……わたしたち、あなたの中にいる遼さんにだって、普段はその存在に気づけない。今だって、そんなに変化があったなんて、思えない。でも、松枝先生は晃くんに違和感を覚えた。やっぱり先生は、和尚さん並の力が本来ある人なんだわ。ただ、磨かれていないだけで……」
あの先生にはかなわない、という表情で、二人とも肩を落とす。
「でも、僕はまだ、松枝先生には本当のことは打ち明けられません。……やっぱり、怖いですから。拒絶されるのが……」
「晃くん……」
「……早見くん、あの先生が、一方的に拒絶するとは思えないんだが」
二人がなだめるように口を開くが、晃はかすかに首を横に振りながら、ぽつりと言った。
「……あの先生なら、“魂喰らい”の代償のことを知ったら、きっと言うと思います。『この一件から手を引きなさい』って。でも、それは出来ない……」
そして、改めて真顔になって、晃は告げた。
「僕は、この一件から絶対に手は引かない。引きたくない。僕が離れたら、万結花さんを護れる人はいなくなる。そうなったら彼女は、禍神に囚われてしまう。あの神は、“贄の巫女”を“巫女”ではなく“贄”として扱うはずです。囚われたら、確実に彼女は命を落としてしまう。そんなことにでもなったら、僕は自分で自分を許せなくなる。だから、絶対に手は引きません」
晃の目を見つめていた結城も和海も、無言のまま真顔でうなずく。
松枝先生は、間違いなく自分を案じてくれるいい人だ。だが、あの先生がいい人であるからこそ、心を許しきれない。
自分の中の“正義”と松枝先生の“正義”は違う。だからこそ、すべてを打ち明けられない。打ち明けるのが、怖い。
それに、自分にも意地がある。好きな人を護れなくて、何が“最強の霊能者”だ。
確かに、自分が本物の物の怪に変わってしまうのは怖い。今でも、何か大きく恐ろしいものが迫ってきているような気がする。だが、手をこまねいていれば、追いつめられるのは万結花だ。悲しむのは、雅人をはじめとする彼女の家族だ。
ならば、万に一つの可能性にかけて、“魂喰らい”の力を使いこなし、その力を我が物として飼い慣らしてやる。
自分の力に、自分が負けるわけにはいかないのだ。
それに、自分は一人ではない。
すべてを承知で、代償の軽減の手段を模索してくれる人たちがいる。
どんなことになろうと、隣に立つと言ってくれた親友がいる。
心の支えになってくれる存在が、自分の周りにはちゃんといる。
ならば自分は、胸を張って代償に向き合おう。
絶対に、逃げたりなどしない。
晃は、心の中でそう誓った。
これで第八話終了です。
次は第九話となるのですが、今回あまり筆(?)が進んでおらず、ストックがあまりありません(苦笑)。
ですので、来週の更新はお休みさせていただき、次回の更新は9月9日となります。
暑かったり、大雨が降ったりという、不安定な天候が続きますし、コロナ禍もますますひどくなっています。
どうか、ご自愛ください。