28.親友
「……本当にごめん。一人で受け止め切れないからって……直接関係ない人にまで打ち明けて、巻き込んで……本当に……ずるい奴だって……自分でも思う……」
その声が次第に涙声になって来た時、雅人は思わず強い口調で、叫ぶように言葉を発していた。
「何言ってんだよ! そんなの、怖くて当然じゃんかよ! 一人で受け止めようって考える方が無茶だろうが!! お前が打ち明けたのって、おれも含めてみんな事情がわかってる人間だろ!? それなら、頼りにしたって罰なんか当たらないぞ!!」
雅人は、晃を励ますつもりで右手を伸ばし、甲に点滴針が刺さっている晃の右手に触れようとした。
その瞬間、晃のほうから雅人の手を握ってきた。それはまるで、縋りつくようだった。
「……早見……」
内心軽く驚いた雅人に、晃が向き直る。その眼には今にもあふれそうなほどに涙が溜まっていた。
「……怖いんだ……。自分が自分でなくなる……その時が来るのが……」
震えながらそうつぶやく晃に、雅人は黙って自分の手を握りしめているその手に、針が刺さっている場所を避けて左手を重ね、気合を入れるかのようにぐっと握った。
それほど怖いなら、そんな力使わなければいい。自分たちと関わらなければ、これ以上ひどいことにはならず、静かに生きて行けるはずだ。
でも、晃は自分が自分でなくなることを恐れ、涙した。
それはつまり、関わりを断つことも、力を使わないで済ませることもしない、ということの裏返しなはずだ。
命を削り、魂を汚れさせながらも、それでも万結花を護りたい気持ちのほうが強いのか。
「……早見、今ここでおれは決めた。これからどんなことが起ころうと、おれはお前の隣に立ち続ける。絶対に、逃げたりしない。お前が、どんな姿になろうと、俺はお前の隣に立つ」
雅人は、晃が『怖い』と言いながらその力を使い続けるだろうことを感じ、はっきりと言葉に出してそう告げた。
それが、自分に出来る精一杯のことだ、と。
「……ありがとう……」
かすれた声でそう言って、ふと目を閉じた晃の頬を、涙が伝う。
涙はあとからあとから零れ落ち、枕を濡らした。
しばらくは、声もなく涙をこぼす晃の様子を見ていた雅人だったが、やがて晃が再び目を開けたとき、思った。
『ああ、こいつは落ち着いたな』と。
いまだに涙に潤んではいたものの、晃の眼には、先程までの動揺はもうなかった。
「……いろいろ、ごめん。そして、もう一度言うよ。ありがとう……」
雅人の手を握りしめていた晃の手から、力が抜けた。それを感じた雅人も、力を抜き、手を離す。
「ここで、おれたちと関わるのをやめれば、怖がることもなくなるんだぞ。それでもお前、関わることを選ぶんだな?」
「もちろんだよ。ここで手を引くなんてあり得ない」
晃の眼には、はっきりとした意志の光があった。
「これは、自分で選んだ道だ。どんなことになろうと、後悔しない。逆に、ここで手を引いた方が、きっと後悔すると思う」
続く言葉に、雅人も真顔になってうなずいた。
たとえ後戻り出来なくなっても進み続けるという、決意の表れだった。
そして晃は万結花と舞花には、このことは秘密にして欲しいと頼んできた。やはり、あの二人……特に万結花がこのことを知れば、どれだけ動揺するかわからない。
雅人としても、とても言えたものではない。それどころか、親に言うのさえ躊躇われるくらいだ。
そんなことをしているうちに、結構な時間が過ぎていた。そろそろ下で待っているはずの妹たちが、不審に思うかもしれない。
雅人は晃の体調も考え、ここで病室を離れることにする。
最後に右手の親指を立てて少々わざとらしく笑うと、雅人は病室を出て行った。
病室のドアが閉まったところで、晃は再度目を閉じ、大きく息を吐く。
精神的に巻き込むように、雅人にまで打ち明けてしまった。
始めはそんなつもりはなかったのに、話をしているうちに、打ち明けてしまいたくなったのだ。
もしかしたらそれで、相手は自分を恐れて離れていくかも知れなかったのに。
だが、雅人が見せた反応は、意外なものだった。
結城や和海、法引は、初めの衝撃が収まると、何とか晃の負担を減らせないかという方向で、打開策を模索し始めた。
それはそれで嬉しかったが、雅人は『隣に立つ』と言ってくれた。『どんなことが起ころうと、逃げたりしない』と。
たとえ現実には、誓いを忘れて逃げ出すことになろうとも、今ここで、本気でそう言ってくれたことが、何より嬉しかった。
もしかしたら自分は、雅人のことを無意識に信じていたのかもしれない。打ち明けたとしても、突っぱねたり逃げたりせずにいてくれるのではないか、と。
自分が自分でなくなっていく根源的な恐怖は、いまだ心の奥にこびりついたまま、晃を闇に引きずり込もうとするかの如く、蠢いている。
それでも、もう一度前を向けたのは、自分のために奔走してくれている結城、和海、法引と、隣に立つと言ってくれた雅人のおかげだ。
(……ほんとにあいつ、いい奴だな。まさか、逃げずに受け止めてくれるとはな)
(うん。僕も、まさかあそこまで言い切ってくれるなんて、思わなかった……)
(……よかったな、晃。信じられる親友が出来て。それと、俺も誓う。もしお前が本当に物の怪になり切ってしまって、正気を失って周りの人に襲い掛かるようなことになったら、どんなことをしても俺が止める。あいつが隣に立つなら、俺は地獄の底へだって一緒に行ってやる。ひとりぼっちにはさせないさ)
(……ありがとう、遼さん……)
実際に、行きつくところまで行ってしまったらどうなるか、晃自身にもわからない。
それこそ、正気を保っていられるかさえ、定かではないのだ。
それでも、今逃げ出したりしたら、絶対に後悔する。
結末はどうあれ、自分にはあの禍神の配下たちに対して、太刀打ち出来る力が確かにあるのだから。
万結花はもちろん、他の川本家の人々が、悲嘆にくれる未来は、何としても避けたい。
ならば、今出来る最善の手を打つよりほかはない。
その最善手が、自分を蝕むものであろうと、それしか方法がないのなら、自分はそれを使う。
すると、病室のドアが再び開き、松枝が入ってきた。
「今そこで、川本さんのところの三兄妹に会ったんだが、口々に君のことを心配していたよ。特に雅人さんだったか、彼が一番真剣に頼み込んできた。『よろしくお願いします』と」
そこまで言った後、不意に松枝は晃の顔を覗き込む。
「……何かあったかな? どうも様子がおかしかったし、私自身、目覚めてからの君の気配に、どうも違和感があると感じてね」
晃は、何とか表情を取り繕った。やはりこの人は、基礎的な能力が高いのだ。
「君たちの事情は分かっている。相手が強力すぎて、まともに相対することが出来るのが、君一人なのが現状だということも」
松枝が、真顔でじっと見つめてくる。
「だが、それにしたって少し様子が変だった。前に、西崎や探偵事務所の二人が見舞いに来た時も、君と会った後で三人とも様子がおかしくなっていた。そして、今回もだ。何があったんだ?」
晃が押し黙っていると、やがて松枝は溜め息を吐き、肩をすくめる。
「まあ、無理強いはしない。君が話したくなった時でいいから。今は、体を回復させる方が先だ」
松枝はどうやら、うっすらと晃の身に何らかの異変が起こったことに気付いているらしい。さすがに、何が起こったのかを具体的に知っているわけではないだろうが、晃の中の決定的な変化を感じ取っているのかもしれない。
「とにかく、正月はこの病室で迎えることになるけど、その頃にはある程度は口から食べられるようになっているだろう。おせちまではいかないが、それらしい食事は出せるよ。今はゆっくりお休み」
松枝はそう言うと、自ら無くなりかけた点滴を交換し、病室を出て行った。
(あの先生、やっぱり鋭いな。何か気づいてるんだろうな)
(そうだね。本当に、いつか知られるか、僕から打ち明けるかすることになりそうだ)
あれだけ勘がいいのだ、もし打ち明けたとしても、あからさまに拒絶することはないだろうとは思う。
受け入れてくれるかどうかまでは、わからないが。
そして晃は、ふっと考えた。自分には、後どれだけの猶予があるのだろうかと。
禍神が、“贄の巫女”を諦めるとは思えない。しかも、徐々に力を増してくることだろう。
“魂喰らい”を使わずに済ませることは、おそらく出来ない。最後には、禍神と何らかの形で決着を付けなければならない。
その時まで、自分は曲がりなりにも人間でいられるだろうか。
それは、晃自身にもわからないことだった。