27.代償
晃が松枝クリニックに担ぎ込まれてから、数日が過ぎていた。
松枝からは、目覚めて最初の診察で、思いっきり説教をされた。こんこんとお説教が続き、さすがに晃も何も言い返すことなど出来ず、素直に聞いていたが、最後に『あまり無茶なことをしていると、さすがにご両親を呼ばなければならなくなるぞ』と言われ、それだけは、と平謝りすることになった。
そして今は、短時間ならかろうじて上体を起こすことが出来るようになったが、いまだに酸素マスクが手放せない状態だった。
無論、一人でベッドから離れることも出来ない。
そんな状態の晃の元に、午後の面会時間を利用して、雅人と万結花、舞花の川本三兄妹が見舞いにやってきた。
本当のことを言えば、親の俊之や彩弓も来ると言い張ったのだが、大人数で押しかけても相手の負担になるだけだ、と雅人が説得し、当事者だった三人だけが来たというわけだ。
明らかに顎の線が細くなり、ひと回りやつれた晃の姿に、見舞いに来た雅人も舞花も言葉を失う。
顔色も、いまだに血の気があまり感じられない、透けるような白さだ。その顔立ちと相まって、どこか本当に人間ではなくなってしまっているような雰囲気さえ漂っている始末だった。
晃の様子が見えない万結花でさえ、その気配の弱々しさに、体が弱っているのだとすぐさま感じた。
そのため、晃が起き上がろうとするのを、雅人を筆頭に全員で止めて、横になった状態のまま話をすることになった。
「……早見、具合はどうかって言っても……その様子じゃなあ……」
何とか言葉を絞り出した雅人に、晃は静かな様子で答える。
「……見た目はひどいけど……自分ではそんなにきつくはないんだよ。だから、そんな顔しなくていい。三人とも、ちゃんと食事や睡眠取ってる?」
三人が三人とも顔色が悪く、表情がこわばったままため、晃のほうが三人を案ずるような口調になる。
「……早見さん、ごめんなさい。私のせいで、こんなことになって……」
舞花が、唇を噛みしめながら頭を下げる。着ているタートルネックのセーターのせいで見えないが、首筋にはまだ念のため絆創膏が貼ってある。逆に言えば、その程度の傷で済んだのも、晃が妖を一撃で葬り去ったおかげだ。
その代償が、今のこの状態だった。
「……自分を責めないで。僕は、自分で最善だと思った方法を選択しただけ。すべて自分で納得したうえでやったんだから、謝らないで」
晃はそういうが、舞花はもちろん、雅人も万結花も納得出来るものではなかった。
前回までは、倒れた翌日の朝には目を覚ました。
だが今回は、目を覚ましたのは丸一日以上経った翌々日の朝だった。
それだけ、ダメージが大きかったのだと、誰でもわかる。
それから三日は経っているのに、この顔色だ。しかも、まだ食事は喉を通らず、点滴で栄養などを補っている状態なのだ。
松枝によると、年内の退院は難しいという。
身の回りの世話をしてもらえる、両親のいる自宅へ戻るなら、年内の退院も何とかなるかもしれないが、本人が望まないので必然的にもっと回復してからになり、年内の退院は無理だろうとのことだった。
「それでもやっぱり、あたしはごめんなさいとしか言えない。だって、取り返しのつかない事を、晃さんにさせているのだから……」
万結花が、沈痛な表情で頭を下げる。晃が命を削ったのは間違いないことで、自分たちに関わったばかりに、約八年寿命が縮んでいることになる。
削った寿命を、元に戻すことはもう出来ないのだ。
それでも、晃は関わり続けることを選ぶ。万結花を必ず護ると誓ったから。
誰に対してのものでもない。自分自身に誓った誓いだから、誰も覆せない。
それがわかっているから、川本三兄妹もこれ以上何も言えないのだ。
本性が知られてしまったときでさえ、『最後まで護らせてください』と頭を下げようとした晃の姿を、はっきり覚えているから。
見舞いに来てはみたものの、かえって空気が重くなってしまい、何も言えなくなってしまった三人は、晃の体調も考えて早々に病室を離れることにした。
三人がもう一度頭を下げ、病室を出ようとしたとき、晃が声をかける。
「川本、ちょっとだけ話しておきたいことがあるんだ。少しだけ残ってくれないか?」
そう言われ、少し怪訝な顔になりながらも、万結花のことを舞花に任せ、下の待合室ででも待っているように告げると、雅人は一人その場に残った。
「なんだ、話しておきたいことって」
雅人が尋ねると、晃は真顔になって雅人の顔をじっと見る。
「……これは、一応探偵事務所の人や、和尚さんには告げてあることなんだ。元々の依頼人であるお前にも、話しておくべきことだと思って……」
「なんだよ、もったいぶって」
雅人がますます怪訝な顔になると、晃はいきなり遼の力を呼び込み、本性を現した。
「おい! なんだよ!?」
弱っている体で何やっている、と雅人が思ったその時、晃は無言で“左手”を雅人の前に差し出してみせた。
「!?」
“視た”瞬間雅人は息を飲み、自分の目を疑った。
晃の左手は、先日“視た”ときには、間違いなく普通の人間の手だった。
だが、今自分の目の前にある手は、爪の先端が鋭く伸び、指もどこか節くれだっていて、到底人間の手には“視え”なかった。
それはまるで、『鬼の手』のようだった。
雅人も、何度か鬼を“視て”いる。その鬼の手を彷彿とさせるものがあったのだ。
これは人の手ではない。
「……お、お前、これは……」
顔色を変えた雅人に、晃は淡々とした口調で告げる。
「以前から、“魂喰らい”の力を使うたび、少し違和感があった。それで、喰らった力は出来る限り溜めないで、放出するようにしていた。それでも、澱のようになんだか残るものがあってね……」
今回、直後に意識を失ったため、その放出が出来ず、結果的に喰らった異質の力をすべて取り込んでしまう形になってしまった。
「……それで、わかったんだ。“魂喰らい”の致命的と言えるような欠点に……」
“魂喰らい”の致命的欠点。それは、取り込んだ異質の力が、晃の人としての魂を穢してしまうことだった。
「それって、どういうことだ?!」
顔をこわばらせながら問いかける雅人に、晃は告げる。
「……つまり、このまま“魂喰らい”を使い続けると、いつか必ず、溜まっていく穢れが魂の許容量を超える。その時には、僕の魂は正真正銘の物の怪、妖と化してしまうだろうね……」
「おい!! ちょっと待て!!」
雅人の声が、思わず大きくなる。
「使い続けたらって、祓うのも難しいような相手だったら、使わざるを得ないんだろ? だったら……だったらお前、いつか本当に……」
その先を口に出来ずに顔を歪めた雅人に、晃は遼の力を分離して大きく息を吐く。左腕は“視え”なくなり、晃は普段の姿に戻った。
「……いつか本当に、僕の魂が“半分物の怪”ではなく“本物の物の怪”と化す時が来る。ただ、それがいつなのかはわからない。もしかしたら、ギリギリで完全な変化を免れるかもしれない。少なくとも、最大でもあと三回しか使えない“これ”より余裕はあるはずだから……」
晃の言う“これ”が、今回同様“命を削る”ことだと、雅人にはすぐに見当がついた。
「そりゃ……そうかもしれんけど……。だからって、なんでお前……」
それに、なぜそんな重大なことを、自分に打ち明けたのか。
確かに自分は依頼人だが、そんなことを打ち明けて欲しくはなかった。
そう思った雅人の心を、まるで読んだかのように、晃が雅人の顔を見上げる。
「……ごめん、ずるいことをしている自覚はある。本当なら、自分ですべて受け止めなきゃならないんだけど……」
そこまで言った晃が、急に声を詰まらせる。
「……自分でも、怖いんだ。……自分がいつか……本当の意味で人ではなくなる時が来るかと思うと……」
晃は、まるで何か大きく恐ろしいものが迫ってきているような、そんな気がするのだ、とぽつりと言った。
「……一人で受け止めなくちゃいけない……。わかってはいるんだ……けど……」
晃の肩が震える。いったん雅人から顔をそむけはしたが、その肩が涙を必死にこらえていると、すぐにわかった。